てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『ノエイン』 

連休最終日は、カフェイン摂取してゲームやるか、アルコヲル摂取してアニメ観るかどっちかにしようか悩んだ挙句後者を選びました。『ノエイン』最終話まで借りてきちゃってたしなので。

ノエイン
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アトリかっこいいよアトリ。そして、カラスが結構空気。さらに、あの毎回体のどっかがなくなっていっちゃうおじさんがさらに空気で、複雑なラストでした。誰かあのおじさんを認識してあげてる人はいるのかなあ。彼がどこかの誰かに認識されて、存在できる時空があることを願ってやみません。自分はもう名前忘れたけど。

で、やっぱり物語をさらっとなぞる上では必要ないにしろ、ちゃんとあのオチを理解るためには、ちょっとばかし量子論とかSFの知識がいるんだなーと。そのために、できたらDVD特典とかで『トップをねらえ!科学講座』的なわかりやすい(十分わかりにくいけどさ)感じの解説つけてくれたらいいのになーと。

おかげで作中に出てくる「エヴェレットの多世界解釈」とか「量子デコヒーレンス」とか調べるハメになりましたが、理系的素養が皆無な自分にはサパーリ理解りませんでした。ただ、「シュレディンガーの猫」に指摘される「観測者の有無が実験結果に影響を与える」なんかは、ちょっと観念論に近いお話なので、テラ文系の自分にもちょっとだけ理解ったつもりにはなれましたけれども。

観測者、つまり人間の存在が世界の形を決めているっていう考え方の一番わかりやすい例が「宇宙の大きさ」の概念だと思います。よく宇宙の大きさは「半径137億光年」って言われますが、その根拠は「137億年前に宇宙が始まったから」というもの。仮に宇宙がヨーイドンでスタートして光の速さ以上の速度で膨張しているとしても、スタート地点にいる人間が観測できるのは、光の速さで進んでいるように見える宇宙の背中だけ。だから、宇宙の大きさは「人間が観測できる限界である半径137億年」という考え方。

インフレーション理論」とか、さらに難しいことを考えると宇宙の大きさについてはもっと楽しい推論ができるのですが、こういう「人間の目に見えない世界は存在しない」っていうか「考えても無駄」って考え方は傲慢というより非常に謙虚で好きです。自分も「自分がアメリカに行くまではアメリカは存在しない国」だと思ってましたし。

閑話休題。こういう一銭にもならない無駄思考に耽らせてくれるアニメはやっぱりいいアニメだと思います。ただ、一時的に消費されて何の記憶にも残らないお話は、観念論的には「存在しなかったアニメ」になってしまうわけですが(作り手側にお金だけは残るけれども)、こうも脳みそメモリの占有領域が大きなアニメは、売れる売れないに関わらず「確かに存在したアニメ」となっていくわけですから。

しかし、『ドラえもん』然り『クロノトリガー』然り『時かけ』然り、なんで日本人はこうもタイムスリップ系お涙頂戴ネタに弱いんでしょうかね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか、アメリカのお話は結構ドライな感じなのにね。藤子先生のSF(すこしふしぎ)教育の賜物なんでしょうか。