読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

泥船てすかとりぽか

FC2ガ沈ムマエニ逃ゲダシマシタ。

『現代霊性論』 葬式をやる理由

現代霊性論

内田樹さんという哲学者の人と、釈徹宗さんという浄土真宗の先生の方が死生観から、霊、タブー、霊能者、新宗教、カルト、スピリチュアルブームとか諸々について対談した内容をまとめたご本。なんというか、説教臭くもなく、胡散臭くもなく、極めて良識的で現実的な視点からユルーい感じなのが共感しやすいのです。

中でも、すごくわかりやすい説明だなーと思ったのが「なぜ、葬式をやるのか?」という話。

最近、『葬式は、要らない』という本がベストセラーになってたんでチラ見してみたところ、別に「葬式やんなくていい」みたいなことは全然書いて無くて、単に金のかけ方の問題提起だけがされてたんで、なんだこの詐欺タイトルと思ったりしていて。逆に、なんでやらなきゃいけないのかって部分を詳しく書いた本も他になかったんですよね。

「オレは霊なんて信じないし、仏教も信奉してないから、親が死んでも葬式なんかやらん!」

みたいに、思ってる人は絶対相当数いると思うんですけど。でも、結局やらない人はほとんどいない。普段「葬式仏教がッ!滅べツ!」とか言ってるような人でも、ちゃんとお葬式はやってしまう。法律上でやらなきゃ罰せられるとかそういうわけでもないのに。なんでそこまで不可避なイベントになってしまっているのでしょうか。

なんでかって、やらないと現実的に社会から抹殺されかねないほどの圧力を受けるからなんだそうです。

「お前は親が死んでも墓にも納めないのかッ!」と周囲からフルボッコにされるから。要するに、極めて現実的な利害関係に基づいた理由で回避できないのです。霊とか宗教が科学的見地からでは全く現実味がないというにも関わらず、現実主義的にそれを回避できないというのは本当に興味深い話だと思います。

そもそも、葬送儀礼というのは、霊や宗教の概念に先んじてあるというのも理由なんでしょうけどね。

いやホラだって、死体そのへんにうっちゃっておいたら、蠅がたかって伝染病の媒介にもなりかねないし。それ以前に臭いわグロいわ。埋めるなり焼くなりしちゃった方が現実的なわけです。死んだらどうなるとかいう霊とか宗教のお話はその後に考えられたネタなわけですし。本来信仰とは関係ない儀式なんですね。

あと、今はちゃんと許可とって葬らないと死体遺棄になるんで、葬らないという選択肢はないんですけど。

まぁ、他にも葬式をやることによる現実的なメリットというのも少なからずあると個人的には思っています。これは自分の経験から得た感想ですが、親族が死ぬとその準備やらお金やら死ぬほど忙しくなるんで、正直悲しみに暮れてる暇なんかない。忙殺されてるうちに葬式は終わって、気が付いたら悲しみも弱まってたり。

だから、一番ダメージが大きい筈の配偶者や子供が、一番忙しい喪主を任されるんだなーと。

逆に、アメリカとかだと喪主というシステムはなく、葬儀は業者が全部取り仕切ってやっちゃうそうなんで、家族は式の間もちゃんと悲しむ余裕があるんだとか。でも、その分悲しみを何年も引きずって、毎日喪服着て泣いて過ごすような人も多いんだそうです。現実主義的に考えるなら、日本のシステムのがいいかなと思います。

ちなみに葬式以外でも、「式」とつくものでは、一体なんでそんなことやるんだろう?というものは多いです。

でも、よくよく調べたり考えたりしてみると、そのほとんどに必ず現実的な意味や、合理性に基づいた理由があったりします。例えば、結婚式だって、なんであんなしちめんどくせーやりたくねーと正直思ってましたが、やらないで親戚全部に挨拶周りするとか考えてしまうと、一番めんどくさくない手段なんだなーと。

「式」っていうのは「式を打つこと」、つまり「呪いをかける」的な話をなんかで読みましたけど。

昔の人がいろいろ考えて、現実的かつ合理的に一番うまく行く方法を考えた結果生まれたTODOが、「式」なんですね。そのテキストに秘められた意図なんか別に知らなくたって、そのとおりやればちゃんと機能するというのは、まさに「呪い」の類だとも思います。宗教なんかは、その式を伝播する役割を担ってるだけなんだなーと。

いや、それでも葬式なんかやるもんかッ!!ってチャレンジドな人が出てきてもいいとは思いますけどね。

特に宗教という概念を頭ごなしに否定し、攻撃してくるような人を見ると。じゃあ、お前絶対葬式やんなよ?と思ってしまいます。ていうか、土日も休まず働けよと。いくら社会通念上仕方ないとはいえ、安息日という極めてメジャーな宗教行事に関わるようなひよった考えはいただけません。休むなら他の曜日を自分で決めましょう。

あと、今話題の「非現実青少年」とかいうアレ。宗教を絡めて考えてみると興味深い。それはまた別の機会に。