てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『300』 呟記世界の瑕

300

2007年のアメリカ映画。ザック・スナイダー監督作品。

テレビでやってるの観ました。ていうか、感想は前書いたので割愛。(前書いたのはこれ。
そうか、劇場で観たときリアルで鼻血だしてたんだな自分。

で、その鑑賞中にTwitterで起きていた事件に関するお話です。

自身もフォローさせていただいていた漫画家の平野耕太先生が、突然Twitterのアカウントを削除されてしまいました。『300』を観ていた先生のつぶやきに対し、誰かが「もっとおもしれーこと言えよ。」的なことを言い、その発言に対して我慢ならなかったということが、先生の最後のつぶやきから見てとれました。

個人的に先生のTwitterでの存在は、Twitterを見る理由の9割以上を占めていたのでショックでした…。

そもそも、Twitterでのつぶやきが面白い人っていうのは、プロアマ問わずごく一部です。有名なコメディアンやラジオのパーソナリティだって、そんな日頃から面白いこと考えてしゃべってるわけないんです。フォロワーが増えたところでお金とれるわけでもないですし、何よりプロだったら売るネタを残しておかないといけないですし。

そんな中、ヒラコー先生だけは、日頃から出し惜しみなく笑えるネタを振りまいてくれてたんですね…。

当然、先生の消失を悲しむ人間は自分だけではないはずなので。当然、先生に対して失礼な発言をした人間を特定し、攻撃したがるユーザーも多いようです。ただ、そうなることを事前に慮った人たちが、既に「犯人を責めないように」と呼びかけてくれてますので、本当によく訓練されたコミュニティだなーと感じましたけど。

自分もその犯人を責めるつもりはないです。こういうことが起きてしまうのはしくみ的に仕方ないですもの。

誰でも自由にアカウントを作成でき、有名人にでも自由にリアルタイムで話しかけることができる。そんなオープンなコミュニティは少なくとも日本にはなかったですし。さらにオンラインゲームやSNSのように、規約で迷惑行為を禁止していたり、その違反者を取り締まるような運営やサポートもされているものではありませんし。

とはいえ、自分はそれが悪いとは思いません。そのオープンさ故にこそ、Twitterは拡大できたと思ってますし。

サービスの運営会社がユーザーを監視し、利用規約で具体的な迷惑行為を禁止し、違反者に対しては退会を促し、そもそもアカウントの作成に制限を加えれば迷惑行為を防ぐことはできるでしょう。しかし、そういうサービスの監視はユーザーの利用方法を制限し、楽しみ方の幅を狭くするものでもあります。

Twitterはユーザーの自由意思と自己責任に委ねる範囲が極めて広いサービスが特徴なわけですし。

単に友達同士の慣れあいに使うもよし、好きな有名人のおっかけをするもよし、宣伝や販促などのビジネスに使うもよし。でも、何かトラブルがあったら自己責任で解決してねという、利用者の裁量の大きさ故にここまで流行っているとも言えます。故に、迷惑行為に関しても、自己責任に基づく理解と解決が求められます。

厭な奴はブロックすればいいし、そもそも話を聞きたくない人はフォローしなければいいし。

発言する側も「他人に迷惑と思われる可能性」を覚悟して話をすることもできますし。その話を迷惑と感じる人からフォローを切られること、ブロックされるのもまた自己責任の範疇。「バイクに乗るときヘルメットをかぶらなくてもいいが、それで死んだら自己責任。」っていうアメリカの法律みたいな考え方なわけですね。違うか。

だから、自分はヒラコー先生に何か言った人がいたとして、それを責めるつもりはありません。

ただ、先生の最後のつぶやき「映画の感想もつぶやけないようじゃ、もう末期だ。」的な感じの言葉には、その発言者に対する想いだけではなく、何かもっとこうTwitterに対しての、大いなる不満が吐露されていたように自分は感じました。たぶん、そういう発言を受けたのは今回が初めてじゃなかったんじゃないかとは思います。

故に自分が一番問題と感じていることは、こうしてサービスの牽引者が一人いなくなったことへの危惧です。

Twitterに限らず、「このサービスで面白いことをやってやろう!」と思ってる人。そういう人が増加してるのは正常な状態。しかし、そういう人が不満を口にし始め、引退するサービスは、折り返し地点を越えているという見方ができます。過去に衰退したMMORPGにしろ仮想世界にしろ、その傾向は兆候は必ず見られました。

少なくとも、こういう事件は今後も後を絶たずに起こると思われます。
サービスの牽引者や有名人を妬み、隙あらば嫌がらせをしたいという人間はいくらでもいます。

そんな悪意に満ち満ちたユーザーも増加する状況の中、“サービスの牽引者たる人たちの「精神的なタフネス」だけが頼り”というのが、Twitterの現状です。通常、ユーザーの悪意に翻弄されるのはサービスの運営会社であるはずなのですが、Twitterの場合は、その対象がおおむね志の高いユーザーに向かってしまっているんですね。

じゃあ、そんな悪意あるユーザーがいなくなるよう、“ユーザーモラルの底上げ”をすればいいじゃん?

そういう目的で“ローカルルールの徹底”と“有志の唯識者による自治”という解決案を提示する方もいるでしょうけど、それではまさにアレの二の舞です。少なくとも個人的に唯一許せないことがあるとすれば、Twitterのような自由なコミュニティにおいて、ローカルルールを振りかざすようなことです。