てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『センター・オブ・ジ・アース』 面クリゲー

どーせ子供向け映画だと思ってスルーしてたんですが、テレビでやってるの観たら面白かったでした。

センター・オブ・ジ・アース

2008年のアメリカ映画。エリック・ブレヴィグ監督作品。

いや、違うな。敬遠してた理由はそれだけじゃないな。昔、ディズニーシーに初めて行ったとき、人気アトラクション『センター・オブ・ジ・アース』に並んでたら、なんか前の方で怪我人が出たとかでその日は運航中止になってしまったのでした。後で調べたら、死人も出てるらしいとも噂のこのアトラクション。

でも、あの夢の国なら死人の一人や二人もみ消すのはわけないんでしょうね。

そんなことよりも、兎に角自分が乗れなかったことが悔しくて悔しくて。以来、シーの方には背中を向けて生きてきました。平日ランドの方に赴いては「トゥモローランド」の寂れ具合に盛者必衰の理を感じ、客が数人しかいない「魅惑のチキルーム」を必死に盛り上げようと頑張るお姉さんに無為自然を感じるようになりました。

シンデレラ城ミステリーツアー」で、剣を託されちゃったおじいちゃんには諸行無常の響きあり。

こうしてシーのことは忘却の彼岸に渡した筈だったのに。テレビをつけたらやってるんですね。『センター・オブ・ジ・アース』が。トロッコで地底を突っ走ってるシーンから。トロッコっていったら芥川龍之介の小説が中学の国語のテストで出まくったせいで、読んでないのに何故か全部知ってるって話は今は関係ないのです。

で、そーこーしてるうちに全部観ちゃった。面白かったでした。

なんだろう、この懐かしい面白さは。ファミコンの面クリゲー的な面白さですね。トロッコに乗っていたと思えば、食虫植物と闘ったり、海の上でピラニアを打ち返したりと、目まぐるしく冒険のステージが移り変わっていく感じは、まさしくファミコンのアクションゲームの楽しさのソレなんだと思いました。

ステージクリア型のゲームに革命を起こしたのは、やはり『スーパーマリオブラザーズ』です。

それまでの面クリゲーといえば、次のステージに進んだところで、ちょっと違う敵がでてきたりとか、ギミックが違うとかその程度の違いしかなく、ずっと同じ世界を冒険していました。名作『マリオブラザーズ』でずら、ずっと下水道の中で、兄弟が殺し合いをしながらついでに敵を倒すゲームだったのです。

そんな中登場した『スーパーマリオブラザーズ』は、色々な世界を冒険することができました。

地上を冒険していたと思えば、地下にもぐったり、雲の上にのぼったり、水中を泳いだり、まさに千差万別の世界を冒険することにぼくらは魅せられたのです。この作品のヒットにより、ステージのバリエーション数はゲームの面白さを最も端的に示す数字ともなっていきました。それは、現代に至っても変わりません。

そんな、原初的なゲームの面白さが詰まった映画、『グーニーズ』という作品がありました。

スーパーマリオブラザーズ』発売と同年、1985年に公開された『グーニーズ』は、既に人気のあった『インディ・ジョーンズ』シリーズをキッズ向けの冒険活劇に作り替えただけの作品ながら、様々なステージを冒険するという極めてゲーム的な内容から、当時のゲームキッズたちに大ヒットしました。

シンディ・ローパーの歌うエンディング曲は、映画を観てなくとも誰でも口ずさめたほどです。

その理由は、映画本作以上にポピュラーだったファミコンソフト『グーニーズ』の存在。そのステージBGMがまさに映画のエンディング曲でした。ゲームのステージ構成も映画に準拠し、映画の主人公になりきって冒険することができました。当時にしては誰でも全クリできるほど低い難易度設定が人気の理由だったとも思います。

映画『センター・オブ・ジ・アース』に感じたのは、この『グーニーズ』と同じ空気でした。

面クリ型のアクションゲームなんて少なくなった今、今のキッズたちがこの映画を観て感じるものは、我々元ゲームキッズとは違うものなのかもしれません。それでも、こういう“原初体験”を思い出させてくれるような映画の存在は貴重なのだなと思いました。てゆか、願わくば『グーニーズ』のリメイクとかしないですかね。

そういや、マイキーの子は『ロード・オブ・ザ・リング』のでぶのホビットだよ。ししし。