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泥船てすかとりぽか

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『借りぐらしのアリエッティ』 最恐のラスボス

※※この感想文は、作品に登場するラスボスに関するネタバレを含んでいます。※※

借りぐらしのアリエッティ

2010年の日本のアニメ映画。米林宏昌監督、宮崎駿脚本の作品。

結論から言うと、とっても面白かったです。

ネット上での批評ではあまり良かったという話も聞かず、そもそもここ数年の作品では脚本部分をないがしろにしてきた御大自身が脚本を担当するということもあり、あんまり期待してなかったんですけど。今回は御大も自分のやりたいことは脇に置いて、キチンといい仕事をしてくれたんだなあと感じました。

話が理解り辛いとか、投げっぱなしでもなく、ここ数年のジブリ作品の中でも珠玉の脚本ですね。

特に、ここ数年のジブリ作品に「?」という感想を持っている人にこそ楽しめる、古き良きジブリ臭い映画だと思います。『崖の上のポニョ』の感想を観てこの日記を読まれてる方も多いかとは思われますが、正直「クトゥルー神話」的な観方でもしないと面白く観れないような映画は、とてもいい映画とは思えないのです。

また、ゴア表現を用いずとも、しっかりとカタルシス効果を得られるストレスドラマな所も好いです。

殺す。殺される。焼き払う。腕が吹っ飛ぶ。サンダルが沼に浮いてる。中学生がプロポーズ等々、ジブリ作品といえばまず凶悪なゴア表現によるストレスドラマという特徴がありました。本作は、そうした残虐描写は抑えながらも、しっかりと恐怖心と圧迫感を与えてくるという、極めて文学的に優れた作品と感じました。

というか、本作のラスボスは、歴代ジブリ作品のラスボスのなかでも、おそらく最恐。

その本作のラスボスは、家政婦のハルさん。アリエッティたちの棲む家に長年住み込みで働いている。65歳。好奇心旺盛な性格。アリエッティたち小人の存在に気づき、何かと彼らを捕まえようとする。その動機は不明。心臓病の療養のためにやってきた翔や、主人の貞子との間には特に諍いや不満などもない。

てか、ただのオバチャンやんか!? って言っても、ただのオバチャンやからこそ怖いんやで。

まず、アリエッティたちを捕まえようとする目的がわからない。目的が不明のラスボスほど怖いものはないです。ラピュタ王になりたいとか、腐海を焼き払いこの地に王道楽土を築きたいとか、そういうわかりやすい目的のラスボスなら幾分かは感情移入のしようがあるんですけど…。皆目見当がつかないのです…。

プロフィールに書いてある通り、“好奇心”だとしたら恐いどころの話じゃあないですしね。

その他の場面から想像するに、おそらくは彼女の“無神経”に起因するものなんでしょう。物語冒頭に「車で道路を塞いでる」とか、「心臓病で手術を控えた翔を驚かせたりする」とか、ハルの行動には兎角“無神経”という言葉が似あいます。ただ、決して悪人として描かれているわけではないということは特記しておきたいところ。

その凡人の“無神経”が、小人たちを追い詰めていく過程こそ、鳥肌たつくらい恐ろしいのです。

特に、アリエッティの母親を捕まえるシーン。どんなに小人とはいえ、人間と同じ形をし、人間と同じ言葉をしゃべる小人を掌で掴み、ポケットに入れ、空き瓶に閉じ込め、上からラップをかけ、爪楊枝で空気穴を開け、戸棚にしまっちゃうあのシーンは心底震えがきました。まるで、虫か何かを扱うような“無神経”さです…。

その上、“ネズミ捕り業者”まで読んで、小人の家族全員を生け捕りにしようとします。

で、やってきたネズミ捕り業者の装備を観て、また頭がクラクラ…。“ポンプ式の殺鼠剤”なんか持ってやがる!!最悪のパターン!!物語の冒頭、自分の中で考えたこの映画の最悪の結末は、「白アリ駆除業者がやってきて床下消毒でアリエッティ一家全滅」だったのですが、その最悪の展開がホントにやってきちゃうなんて…。

てか、オバチャン。単に誰でもいいから小人の発見を自慢したいだけなんじゃ!?

“無神経”なだけじゃないですね。わざわざ外部の人間を呼んだり、主人の貞子に報告する時の楽しそうな素振りを見るだけでも、“自慢したい”という極めて浅はかな目的が汲み取れます。しかも、そこで呼ぶのがテレビ局ではなく、駆除業者という誰でもいいあたりが、頭の悪さというか、思慮の足りなさまで露呈しているのです。

小人を殺すのは、悪意でもなんでもない、ただの“無神経”と“愚かさ”なのです。

しかも、本来思慮深い筈である“老人キャラ”にしてコレですから。本作のラスボスによる恐怖の描き方については、筋金入りとしか言いようがありません。何より、誰がこのオバチャンを責められるでしょう?もし、本当に小人を見つけたとしたら、こういう愚かで無神経な行動をとるいい大人って結構いるような気がしますよ?

ウチの母親とか、間違いなくビンに閉じ込めて、空気穴も開けないうちに自分に電話してきますよ?

そして、今回のラスボスは、“誰にも罰せられることなく生き残る”のです。ここまで主人公たちに酷いことしたんだから、貞子から「主人に無断でなー、ネズミ捕り業者なんか読んどいて、どう責任取られはりますん自分?」とか問い詰められて、家政婦クビになるぐらいあって当然だと思うんですが、何もお咎めなしなのです。

『家政婦は見た! 』だって、ちゃんとオチでは主人公が結構な酷い目に遭うというのに。

お咎めなしなどころか、「次こそ絶対に全部つかまえたるでー!!」的な、オバチャンの台詞とアップ顔で終わるんですよ!?このシーン、オバチャンの顔が凄い無表情、知性の欠片も感じられない、床下を飛び跳ねてるカマドウマそっくりな表情が、滅茶苦茶怖かったですよ。反省しないどころか、次回への抱負で終わるとか…。

嗚呼、おそらくハルは、観客が自分自身を投影し、見つめ直すためのキャラなんですね…。

俗にいう“光の側の人間”は、無神経に他人を傷つけながら生きているといいます。むしろ、そうした他人のことや些細なことを気にしないぐらい図太くないと、現代社会の荒波を渡っていくことはできないなどと標榜する“自称勝ち組と、そういう生き方をしてまで勝ちたくないという側の論点としてよく目にします。

自分はこの光とか闇とか論が好きではなくて。何故なら、誰でも光の側に立ちえる話ですから。

要するに、発言者の意図に沿わず、受け手側を傷つけることはいつでもありえるということです。翔がアリエッティに投げかけた「君らは絶滅する運命なんだ云々」の話なんて、その典型ですね。翔の優しさから出た言葉なんでしょうけど、アリエッティにとっては「絶滅とか縁起ワリーこと言ってんじゃねーよタコ!」ってこと。

ハルだって、絶滅させようと思って小人を追ったわけじゃないのです。単にバカなだけだったのです。

じゃあ、その彼女を咎められるほど、我々は頭がいいのだろうか?自分の些細な好奇心や自己満足のためだけに、他人や世界を傷つけてはいないのだろうか?否、そんなことは誰も知る由もないし、知ってると思ってるやつ、自分は世界に対して優しいと思ってるやつこそ、そんなのはただの思い上がりにすぎないと知るべきです。

“人間はそこまで便利にできていない。だから、思い上がるな。”

ソレこそが、ハルに罰を下さなかった理由。そして、ソレは小人たちにしたって同じ。“借りぐらし”なんて自分たちで言っておいて、要するにやってることは泥棒と同じです。だから、ハルの言う「泥棒の小人」という言いがかりは正論です。そう呼ばれたくなければ、角砂糖一個でも返しに行けばいいのに。

「人間に見られてはいけない。」って、そりゃ泥棒やってんだから当然。小人だからとか言うのは思い上がり。

強い国は弱い国から奪い、資本家は労働者から奪い、政治家は国民から奪う。
世の中は奪い合いだ。 ちょっとずつ気付かねェようにしているだけで、
俺が『奴隷君(債務者)』から奪うのとなンも変わらねェ。
奪るか奪られるかなら、俺は奪る方を選ぶ。

闇金ウシジマくん第一巻 第一話より)

父親だけはその世界の理に気づいているんでしょう。だからこそ、本来の狩猟者という意味を持つ“狩りぐらし”のスピラーを見ても、他の2人ほど驚かなかったし。むしろ「他に生き残りはいないかも」と言っていたのは嘘で、家族ごと孤立することで自分が実はただの泥棒であることを家族に知られたくなかったのでは?とも。

アリエッティが友達と話して初めて「あれ?ウチだけ“かりぐらし”の意味が違くね!?」と気づくのです。

そいで、家に帰って父ちゃんを問い詰めるアリエッティ。「よく聞きなさい、アリエッティ闇金業者はみんな悪いやつらなんだ。だから、闇金から借りた金は踏み倒してもいいんだよ。」とか、とんでもないことを言いだす父ちゃん。アリエッティの運命やいかに。次回、「その日ぐらしのアリエッティ」。