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『インセプション』 ネタバレと考察

※※この感想文はネタバレを含みます。※※

インセプション

2010年のアメリカ映画。クリストファー・ノーラン監督作品。

とりあえず、ネタバレなしの所感は昨日書いたので、今日はネタバレありで色々考えたことをば。

早速ですが、ネット上で考察が進んでいる「ラストシーンは現実か?夢か?」について。個人的にそこいらへんは結構どっちでもいいと思ってるんですが、話題的に触れておかねばなりません。まず、フツーに解釈するなら、最後は現実世界に戻って、冤罪も晴れて、子供にも会えてめでたしめでたしと観えるところですが。

ラスト、ディカプリオが回す独楽が、本来夢の中でしか回らないはずの独楽が回りつづけるシーン。

独楽が回り続けるか、止まってしまうのかは最後まで映像に移らない。これをどう解釈するべきか。ラストはやはり夢の中ではないのか。何者かがしかけたインセプションなのではないか。また、“独楽が回らないのは現実”という思い込み自体が、インセプションされたもので、それが修正されただけではないのか。

まぁ、どっちにしてもハッピーエンドなので、個人的にはどっちでもいいのです。

攻殻機動隊』みたいに、電脳の記憶を操作され、何年もの間妻と子供と過ごしてきた幸せな記憶が偽りだったと知らされ、写真を見たら自分と犬しか映ってなかったみたいなラストだったら、シャレになんねーよなーとはずっと思っていたので。嗚呼、ラストで振り向いた子供たちに、ちゃんと顔があってどんだけ安堵したことか。

でも、それら全ての記憶が“インセプション(植えつけられた)”モノでないという保証はどこにもないのです。

常に、自身が夢の中の住人でないかどうかも、知る由はないのです。薬剤師の家に眠っている人たちは「夢こそ現実と思っている」人たちということでした。江戸川乱歩の言葉を借りるなら「現世は夢 夜の夢こそ真」。複数ある夢の階層のどこにいるのかすら、夢を見せれらている側には判断のしようがないわけです。

自分も一日何十時間もオンラインゲームやってた頃に、そういう不思議な感覚に囚われてましたし。

本作では、そういう“夢か現実か誰もわからなくなってしまった世界”つまり、インセプションが可能になった世界をディストピアとして描いてる側面もあるんじゃないかと思います。あるいは、オンラインゲームのような仮想現実に関する技術が急激に進歩してきた現代に対する危惧感を表しているんじゃないかとも。

“鯖では有名な、サービス開始以来一度もログアウトしたことがないという勇者”とか困るんですと。

ちなみに夢の階層の一番底、薬が効きすぎてる時に夢の中で死ぬと落とされるという“虚無”について、日本語で理解しようとすると少々難しいようです。英語では“LINBO”と言ってましたけど、“リンボ”とは、ダンテの『神曲』などに登場する地獄界を構成する一層、“第一圏 辺獄”のことです。

たまたま、ゲームの『ダンテズインフェルノ』をやってて、その中で説明されたばっかでしたので。

リンボは、洗礼を受けなかった者、信仰がなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす場所です。おそらく、夢の階層でも最も時間の流れが遅い場所という意味合いで、この呼び名が選ばれたのでしょうけれど。我々日本人にはピンとこない単語というわけで、“虚無”と訳されてしまったようですね。

ただ、“虚無”という訳は、その意味の幅広さから考えると、正直適切ではないと思われます。

倫理学でいう“虚無主義”はニヒリズムに近い思想だし、物理学では“完全な無は物理的に存在しえない”と言われているし、仏教や老荘思想における“無”の理解でもなんかスッキリしません。どっちかと言えば、『ファイナルファンタジー5』のラスボスが提唱するような“無”の概念が、今回は一番当てはまるような気がします。

ていうか、『ドラゴンボール』で言う、“精神と時のホニャララ”のことですよね。

ぶっちゃけ、そんな場所に一瞬でも落ちてたケン=ワタナヴィーさんが、超爺さんになってこそすれ、正気を保っていたというのには驚きです。てゆか、ジャパニーズ・キャッスルに住むのが日本人の夢なんだろ?って思われてる時点で、だいぶ国辱映画だと思うんですがどーなんでしょうか。絶対、日本人馬鹿にしてるだろあれ。

次にあいつらが飲んでる薬について。なんか薬で全部どうにかなるあたり、藤子F臭がしますけど。

実際、風邪ひいてる時とか『パブ〇ンゴールド』を飲んで二度寝すると、6時間ぐらい寝たつもりなのに時計をみたら5分しか経っていなかったという経験が何度もあります。これは、要するに強い薬物の作用によってより深い階層に潜り、時間の流れる体感速度が遅まった結果だと思います。(※絶対に真似しないで下さい。)

最後に、個人的にもっと掘り下げて欲しかったのが、夢の世界の“設計”について。

“夢の世界を設計する”って部分が本作の一番面白いところ(街が折りたたまるシーンとか)なのに、そのへんは「たまたま見つけた女子大生がなんか凄い」ぐらいの扱いで終わってるのがなんとも残念。というか、なんか紙のハリボテみたいなので設計したてぞ!!あんなんでいいの!?もっと3Dソフトとか使うべきでしょ!?

設計できる範囲は「ビルの1フロア〜街1個まるごと」とか言ってましたが、それって膨大な情報量ですよ。

自分だったら四畳半ぐらいが限界です。何より、そんなものを、頭の中で簡単にポンポンイメージして作れるんだとしたら、あの女子大生こそがラスボスです。黒幕です。てか、彼女を送り込んできた大学教授の父親がまぁ黒幕なんでしょうけど。てか、まいんちゃんに似てるよね。かわいい。

神曲』をモチーフと考えるのであれば、女子大生=永遠の淑女ベアトリーチェという解釈もアリです。

ベアトリーチェは、地獄において“贖罪”をする場所である煉獄山より、ダンテをパライソに導く役割を持つ女性です。ディカプリオの罪を浄め、救いに導くという意味では、まさに女子大生の役割と被りませんかね。被りませんかそーですか。アリアドネギリシャ神話でクレーテーの迷宮からの脱出を手助けする人ですしね。

てか、あの嫁さん超恐いんですけど。勝間〇代にもちょっと似てて本当に怖いんですけど。

本作の主題をどこに見出すかってやっぱり人それぞれな気はするんですけど。SF的な部分もいいんですけど、やっぱり主人公が死んだ嫁さんの記憶と、その罪悪感にどうケジメをつけるのかって部分じゃないかなと思うんです。それを描くにあたって、だいぶテンポが悪くなっちゃってるなーとは思うんですけど。

死んだ嫁に逢うモチーフとしては、日本神話のイザナギイザナミなんか有名ですけど。流石に遠いですね。
(追記:某所で『惑星ソラリス』がモチーフという話が出てきて膝を打ちました。)

死んだ嫁さんに地獄に行く話のモチーフとしては、あとはギリシャ神話の“琴座のオルフェウス”の物語が有名ですけど、こちらは地獄のステージ攻略に“音楽”が重要な役割を果たしているという点で、本作と共通点がありますね。本作でも、“キック(目覚めさせる)”の合図に音楽を使ってましたからね。

てか、“キック”って言い方がほんとオンラインゲーム的。絶対ゲーマーいるよ製作者に。

神曲』関連でもっと妄想を繰り広げるなら、夢の第1層に出てくる河と橋を、“冥府の渡し守カロンのいるアケローン川”とか。第3層の雪国を“永遠の氷の世界コキュートス”とか。第2層のホテルとかはあれなんでしょーか。警備兵が3人いましたよね。ケルベロスでしょーか。どーでもいいや。

というか、結局様々な話に妄想を広げられるよう、絶妙なオチをつけた本作の脚本は本当素晴らしいです。
ただ、残念ながらもう一度観て確かめたいと思うほど、興味は持てなかったんですよね…。