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泥船てすかとりぽか

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『レギオン』 表層絶対主義た者たちの庭

えいが

レギオン

2010年のアメリカ映画。スコット・スチュワート監督。

神は人類粛清のために、1度は洪水を起こした。そして、2度目は天使の軍団レギオンを地上へ送った。だが、その中のひとりであるミカエルが人類側へ寝返り、軍団を相手に戦うのであった。ハリウッドの威信をかけて世界に贈る、超スペクタクル宗教アクションスペクタクル叙事詩

でも、舞台はど田舎のドライブインで、やってることはゾンビとの銃撃戦。

人間の側に立って戦うミカエルさん。ミカエルといえば、ラファエル、ガブリエル、ウリエルと共に四大天使の一人に数えられ。ユダヤ教キリスト教イスラム教においてもっとも偉大な天使の一人であります。黙示録では天使軍団を率いてサタンと闘うというエピソードで知られてます。

そんなミカエルさんが、スーツ着てアサルトライフルかついで得意のカラテで大立ち回り。

まぁ、天使側を裏切った結果、力を失ってしまった以上は仕方ないお姿なのですけど。神に対して戦争を仕掛けてなお、全部お父様であるゼウスの贈り物(フルゼウス装備)で戦い抜いた『タイタンの戦い』のペルセウスなんかよりは、100億倍カッコイイと思いますよミカエルカッコイイヨミカエル。

しかしながら、宗教をテーマにしてる割に、宗教的な要素薄すぎ。

ミカエルとガブリエルがでてきて。たまに聖書の引用みたいな台詞(知らんけど。『スタートレック』にも似たような台詞出てくるし。)が出てくる程度。ああ、あとミカエル出撃シーンで「爆発で壊れた壁がなんとも神々しい十字架の形してた」とか、やっぱりその程度。いや、キリスト教詳しくないからほんと知らんのだけど。

妊婦が戦闘中に産気づいて出産するシーンなんかも、なんか宗教的な意味合いがあるんですよね。きっと。

「いいから早くとりあげろ!」っていうミカエルさんの冷静なんだか混乱してるんだかよくわからない台詞も素敵でした。なんていうか、ミカエルさんの変に冷静な言動が、ニコニコ動画などで大人気“だった”『エルシャダイ』のルシフェルさんを彷彿とさせてなんとも良いのです。この感じは言葉で説明するのが難しいのです。

なんだろう、シュールって言う方向性だけど、シュールだけで片付けられない気持ち悪い面白さ。

ソレを狙ってやってるんだか、偶然そうなったんだかもわからない。本作にしても『エルシャダイ』にしても。ただ、一つだけ言えることは、“どちらも表層のストーリーや作為が理解しにくい作品”だということ。ていうか、そんなん理解しなくても別に楽しめればいいじゃんというのがB級映画だと思うんですけど。

昨今の映画批評界隈では、「表層のストーリーを理解しないやつはダメだ!」というのが流行りでして。

「そんなのどっちだっていいじゃねえか!」とか「解釈は人それぞれですよね?」という見方をしようものなら、顔真っ赤にした人たちが全力で攻めてきて潰されます。彼らが言う“表層のストーリー”をちゃんと抑えて説明したとしても、文章の細かい揚げ足とりをされて、「こいつは自由論者だ!」と祀り上げられます。

あ、ちなみに自分が書くのは“批評”でも“評論”でもなく、“感想”ですから。

↑という逃げの一手を打っておかないと、とても映画に関して何か書いたりとかできないのですね。最近も某批評家の方が、Twitter上で同業の“自由論者”の陰口をネチネチと叩いてましたし。ちなみに自分はその批評家が“他の批評家と討論する”のが好きなので、「やるなら本人の前でやってほしい」とつぶやいたところ。

「●万人がフォローしているTwitterよりも大っぴらにやって欲しいんですか?残酷な人ですねえ。」
と、ご本人からの否定とも肯定ともとれるおレスもいただきました。

「期待してます。」とだけお答えしておきましたけども。

その方とdisられてる方とじゃ勝負にならず、残酷な結果になるのは否定はしませんけど。自分がその方に求めてるのは“相手と対等の立場に立っての討論”であり、逆にそれができるのも、国内ではその人しかいないと思ってましたので。Twitterという自分のテリトリーの中だけでネチネチやってるのには、正直がっかりしました。

「いじめかっこ悪い」ってやつですね。ご本人もその点指摘されて、反省されてたようですけれど。

Twitterの良いところでも悪いところでもあるのは、自分の話を聴いてくれるのは基本的に自分を支持している人間、文字通りフォロワーであるというところ。必ずしもそうではないというのも確かだけど、他のメディアとは比較にならない限り“周囲に守られた場所”であるということは理解した上で話をしてほしい。

と思ったら、その方。翌日には別の素人さんと映画批評に関して“討論”してましたしね!

その討論の内容は、双方ともに非常によく作品を観ているなーと関心できるもので、正直どっちが正解とも言えないものでした。ただ、その後その素人さん側に対し“表層のストーリーを曲解している自由論者”のレッテルを貼り付け、非難する“かの批評家の狂信者層”が散見できたことは見ていて辛かったです。

そもそも、“討論”と“喧嘩”の区別がつかずに見ている人が多いのも厭なところです。

「素人が有名人相手に喧嘩ふっかけて何してんの?」的なつぶやきを目にするたびに、「喧嘩って…。」とか「そもそも、今回先に絡んで言ったのは批評家のほうだぜ?」って思い、素人さんの方が気の毒になります。でも、その素人さんの大人な返しというか、冷静かつ情熱的(失礼)な態度が凄く好印象でした。

で、話戻します。本作みたいに表層のストーリーが判り辛い作品は、どこで正解を得ればいいんでしょう?

勿論、自分は素人なので、そんなことする必然性はないんですけど。かの批評家は別の作品の批評で「自分はハリウッドにコネがあるから、自力でシナリオ読んで調べたりできる」という方法論を示していました。そこまでしてから映画を批評するような批評家は、国内では少なくとも自分はその方しか存じ上げません。

また、「自力で調べたりできない奴は批評家を名乗るな!」ともおっしゃられています。

それは、遠からず「ハリウッドにコネがなくて、映画のシナリオを読めない奴は映画批評家をやめろ!」という、同業者潰しのメッセージとも自分は受け取れました。「いい加減な思いつきや憶測で映画を語るな!」そのまっすぐ論理に瑕疵はないし、それ故に他の批評家よりも、自身はその方を支持しております。

そして、その方自身が言われている「自分の批評は正しいのではなく、強い。」という点も。

感性や語り口の面白さ(もあるけど)ではなく、“シナリオが読める=表層のストーリー理解に関しては完璧である”という自身のメリットを最大限に生かし、“まず貴方は、表層のストーリーを読み違えてますよ?”と、自分の土俵に上げてから討論を始めるそのやり口。相手に悟らせないその一手が、既に王手。

その土俵に立ってしまった時点で、相手は絶対に勝ち目ないです。それが、彼の批評の強さの所以。

少なくとも、彼の批評に対して、彼と同じ土俵に立って殴り合いするためには、ハリウッド行って監督に直に話聞くなり、シナリオ読んでくるなりしないといけない。それができないならば、「いや、まず映画批評って、表層のストーリーを正しく理解することじゃないですよ?」という点から論破しなければいけない。

それは難しい。映画ファンから一般の方にすら、もはや“表層絶対主義”は広まってるんだから。

自分はそんな彼が、今後どれだけ映画批評界隈を席捲していくかについて期待しているとともに、逆に彼を論破するような批評家が現れることもまた期待しています。だからこそ、彼には自分のフォロワーしかいない場所に閉じこもってネチネチやったり、“●万人のフォロワー”に自己満足するような態度はとってほしくないのです。

そして、彼の名を出すと、また“狂信者”に粘着されるので出しません。素人なりの防衛術です。