てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『SUPER8/スーパーエイト』 初めて映画館で観た映画は『バタリアン』でした。

宇宙人がタコ型で8本足の話だと思ってたら違いました。
ド直球で面白かったです。少しネタバレ含む感想になります。

SUPER8/スーパーエイト

2011年公開のアメリカ映画。J・J・エイブラムス監督。

1979年のオハイオ州。映画ギークの少年たちが深夜映画の撮影をしていると、なんか電車がドカーンてなって、なんか色々爆発して、なんか色々でてくる話。その出てくる中で、織り成される初恋やらノスタルジィやらノスタルジックな出来事の数々。そして、戦車。戦車。戦車キャッホーイ!!

「なんか、懐かしい感じで面白かった。」

というのが、一緒に観た友達の意見でもあり、周囲の意見でもありました。確かにスピールバーグの旧作『E.T.』や『未知との遭遇』や、『スタンド・バイ・ミー』などを髣髴とさせる“ジュブナイル”にジャンル分けされる作品なんだと思います。ゲームで言うところの『MOTHER』的なあたりです。

ところが、個人的には“懐かしい”という感じがあまりなくて。いろんな意味で“斬新”と感じたのです。

その原因を色々考えてみたところ、“世代的なモノ”じゃないかと思い至りました。当時のオハイオ州に育ってもないし、一緒に映画撮るような友達もいなかったし、女の子との甘酸っぱい思い出もないので「リア充爆発しろ!」って意味で共感できないとかではなく、いや本当にそうではなくって。いやマジで。

わりと“ジュブナイル”というジャンルが死んでる時代に小中学生自体を過ごしてしまったんじゃないかと。

未知との遭遇』公開時には生まれてもなく、『E.T.』公開時はまだ保育園児。スピルバーグのコレ系を観るには時期がちょっとズレてまして。小学生の時最初に劇場に観に行ったのが『バタリアン』と『コマンドー』の同時上映で、以後嵌っていったのは『エイリアン2』や『ターミネーター』といったSFアクション映画で。

明らかに“ジェームズ・キャメロン脳”に育てられてしまっていたわけです。

1980年代のジュブナイル映画で知ってるのは『ぼくらの7日間戦争』以外はアニメ作品ぐらいなもので。『未知との遭遇』や『E.T.』もテレビで観はしたけれど、脳みそが“SFアクション馬鹿”になってたので、あまり感銘を受けた覚えがなかったのですね。で、その馬鹿のまんま大人になってしまったものですから。

だもんで、本作を観て感じたのは、本当に懐かしさではなく“斬新さ”だったんです。

作中、予想を裏切るシーンの連続で幾度も度肝を抜かれました。ラストシーンなんかも、キャメロン脳的には「そこで給水等にミサイルぶちこんで、怒り狂ったソレと米軍との地上戦でクライマックス!」と思ってしまうところ、そのまま何もせず行かせててあげる。湧き上がる水しぶきが光源を拡散して何とも美しいシーンに。

当然あると思ってた“米軍とアレの直接対決シーンがない”んですよ。

正直、肩透かし感を食らいました。おそらく、本作を「期待はずれ」と感じた人は、ほとんどこの“当然あると予想していたシーンが観られなかった”ことが理由じゃないかとも思います。でも、エンドロールで流れる少年達が撮った失笑モノの8mm映画を観て、「そういうことか!」と思いを改めました。

おそらく、普通の今ドキの映画だったら、間違いなくミサイルぶちこんで全面戦争だったでしょう。無実の人が何人も殺されて、生活も失って、で米軍衆知の中でアレが宇宙船的なモノに乗り込もうとしている。「逃がすな!殺せ!」普通はそう考えます。それぐらい、お膳立てさせられた状況でもありましたし。

でも、あえてそうしなかった。今ドキの映画文法を崩してまで“シーンとしての美しさを優先した”。それは、エンドロールの8mm映画の中にある超失笑シーン(本作中で一番面白かった)“手作り電車模型爆破シーン”に代弁されているのです。“今ドキのドンパチ映画なんて所詮あんなもんなんだよ!”って言ってるんじゃないかと。

さらに、主人公の“美しい模型をつまらない爆破シーンのために失いたくない”って想いもソコに繋がります。

スピルバーグもエイブラムスも製作側の人間です。精魂こめて作り上げたセットやクリーチャーを、企画・広告・宣伝側の人間はすぐ「爆破しよーぜ!」って言ってくる。そんなところに、ずっと葛藤を持ってたんじゃないんでしょうか。特に、『トランスフォーマー』であの人と組んでるスピルバーグなんかは特に…。

だから、爆発や閃光ではなく、驟雨と光線で魅せたラストシーンは本当に美しいんです。

あのシーンは当然、素直に『E.T.』や『未知との遭遇』へのオマージュとして捉えるのが正解でしょう。でも、昨今の“ドンパチ映画に対するアンチテーゼ”と受け取ると、「お前らにコレができるか?」とドヤ顔するスピルバーグとエイブラムスを思い浮かべると、途端に“斬新”な映画に観えてきちゃうんですよね。

でも、これだけは言わせてほしい!たくさん人が死んでるねんで!?

死んでるどころか、生きたままボリボリ喰われてるねんで!?無実の人が何人も何人も。まぁ、米軍のせいっちゃせいなんですけど。だから、アレがそのまま帰っちゃうとカタルシスの開放が得られないし。そもそも主人公チームだけは襲わないとか、何ソレ今どきのセカイ系ってやつですか?っていうモヤモヤ感は残るのです。

(よくよく考えると、“ジュブナイル”と“セカイ系”ってほとんどおんなじ意味?)

正直、劇中“アレが人間をむさぼり喰うシーン”とか、何のために入れたんだろう?とは思っちゃう。ベタな戦闘シーンは意図的に避けておいて、ベタなゴア要素(ゴアってほどでもないが)は意図的に入れているとか、正直よくわからない。もっとアレは人畜無害にしといて、米軍が只管悪者の方が良かったような。

それだと『E.T.』になっちゃうか。でも、アレがまた“E.T.”に似てるんですよ。

人肉をボリボリむさぼり喰う“E.T.”。何ソレかっこいい。そう、単純に“ものすごい凶暴性を増したデカいE.T.が出てくるリメイク”だと思って観たら、ほんと面白くないわけがないんですよ。そんなアイデアが斬新じゃないわけがないんですよ。是非、この路線でリメイクする映画作品が増えてきたらいいんじゃないんでしょうか。

ものすごく凶悪でデカくて、人間をボリボリむさぼり喰う“トトロ”とか。