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『ウォーキング・デッド Vol.1』 ゾンビ小噺

ウォーキング・デッド Vol.1

2010年からアメリカでやってるドラマ。発案者はフランク・ダラボン

周囲のゾンビ映画好きの方々も、そもそもゾンビ映画好きでない方々もみんなみんな絶賛してたので観て見ました。とるいあえずまだ1話と2話して観てないんですが、いやぁこれは素晴らしく打ち震えるほど素晴らしい。家で観るドラマでこんなに手汗かいたことないですわ。ちょっと続きが愉しみ過ぎなので早く観たいです。

で、本作は明確に“ジョージ・A・ロメロがいる世界”のお話なんですね。

ロメロといえば、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』から始まるオブ・ザ・デッドシリーズの監督様ですが、“ゾンビは生きた人間を襲って食べる”、“ゾンビに噛まれるとゾンビになる”、“ゾンビは頭にダメージを与えると死ぬ”といった、オーソドックスなゾンビのルールを生み出した御方でもあります。

そして、ゾンビ映画は“ロメロがいる世界”と“ロメロがいない世界”に分けることができます。

“ロメロがいる世界”は、一般人でも映画とかゲームを通じてゾンビについての概念、弱点や性質なんかをだいたい知ってる、つまり今我々がいる世界に近い世界のことです。だから、死人が生き返って驚きはするものの、みんなすぐに「これはゾンビだ!」と理解し、冷静に頭にダメージを与えて撃退したりします。

“ロメロがいない世界”は、死人が生き返って襲ってきたとしても、それがゾンビだという理解がされない世界のこと。例えば、明らかに「それゾンビだから気をつけて!」と観客が気づいてるのに、「生き返って良かった!」って近づいてガブリとされたり、ソレを殺すのに四苦八苦してしまう世界のこと。

前者のメリットとしては、兎に角展開を早くできるということ。観客はゾンビのことなんかみんな知ってるわけだから、いちいち「頭を撃てば死ぬんだ!」なんて説明はいらないので、すぐに物語を展開させることができます。逆に、後者は“ゾンビのルール”の描写から始めないといけないので、話がすぐに進みません。

ただ、もしロメロと異なるゾンビルールを適用したいということであれば。例えば頭を壊しても死なないゾンビや、知性の高いゾンビなどを登場させたい場合には、ちゃんと後者の手段で「ルールが違うんですよ!」って観せていかないとなりません。ただ、ロメロ原理主義者の人たちには、ルール改変は兎に角不評なんですよね。

「ゾンビが走るとか認めない!」とかね。

稀に“ロメロがいる世界”で、「このゾンビ、頭撃っても死なねえ!」とか言っちゃう非ロメロルール作品もあったりしますが、そういうメタ的な発言はコメディ作品を除いて好きではないですね。最近だと『フライトナイト』で「ヴァンパイアとか、『トワイライト』の見すぎだ。」って台詞もありましたが。

閑話休題。要は“ロメロがいる世界なのかいない世界なのか?”によって作品の接する態度をやや変えないといけないので、結構重要だと思うんですね。その理解がないと「明らかにゾンビなのに頭撃たないとかおかしい!」とか、「死んだ人が生き返っただけで、ゾンビ扱いして撃つとか酷い!」とか的外れな指摘をしちゃう。

黄泉がえり』を観て「どう考えてもあいつらゾンビだろ!早く撃ち殺せよ!」とか言いかねない。

ちなみに本作2話のアレは、『ショーン・オブ・ザ・デッド』のオマージュだと思うんですけど。あんな突飛なアイデアは、主人公が『ショーン・オブ・ザ・デッド』を観いた上での発案だとも思うんですね。なので、どうせなら「『ショーン・オブ・ザ・デッド』でやってた。」ってメタ台詞があっても良かったと思うんですね。

嗚呼、ゾンビ語りしたいなあ…。