てすかとりぽか

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『ホビット 思いがけない冒険』 没個性主人公によるハーレム考

ホビット 思いがけない冒険

2012年のニュージーランド・アメリカ映画。ピーター・ジャクソン監督。

ひょんなことからホビット族の青年ビルボ・バギンズの家に押しかけてきた魔法使いと13人のドワーフたちが繰り広げるハチャメチャでハートフルな冒険ファンタジー。トロールやオークや闇の森のエルフも現れて、さらにはエルフの奥方ガラドリエルと魔法使いのムフフな関係も明らかに…。

ドワーフ”の部分を“妹”に差し替えるとハーレムアニメかラノベになるようなお話ですね。

いや、むしろ“ドワーフ萌え”の人たちにとっては十分ハーレム的なのかもしれません。アメリカの家とかふつーに庭ドワーフだらけだったりするほど、奴らドワーフ好きですからね。日本だとドラクエ10で「ドワーフ緑色で気持ち悪い」とか言われてトップクラスの不人気種族だったりするわけですけど。

なので、全米初登場1位にも関わらず、日本で奮ってないのは多分ドワーフに対する許容性の問題なのでは。

ただ、個人的には原作小説の大ファンでありますので、冷静かつ客観的な評価などはなからするつもりもなく(できもせず)、『指輪物語』に引き続きトールキン×ピージャク世界を全力で堪能することができました。ちなみに原作の小説『ホビットの冒険』は、J・R・R・トールキンの小説『指輪物語』の前日譚にあたります。

ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』をエピソード4とするなら本作がエピソード1にあたるわけですね。

さて、そんな本作の主人公ビルボは極めて“没個性的なキャラ”として描かれています。それは『指輪物語』の主人公フロドにも共通する点ですが、“無鉄砲な冒険家を幾人か生み出したトゥック家の血筋”という以外は、特に平凡で、日和見主義で、現実主義なホビットとして、本作の主人公は描かれています。

ハーレムにして、主人公の没個性。ますます「それなんてラノベ?」って内容かと思います。

でも、こうした物語の構成要素こそ、本作や『指輪物語』が長年に渡り多くの人々に愛されてきた所以だと感じます。「主人公が八面六臂の無双キャラじゃないからつまらない。」とか「主人公がウジウジしてるだけで成長がないからダメ」とか言う人もいますが、むしろその逆だからこそいいんじゃないんでしょうか。

そもそも、“没個性主人公によるハーレムアニメがなぜ好まれるのか?”という話をしますと。

【1】読者の感情移入対象にしやすい。

ハーレムものを好む読者は非リア充非モテと呼ばれる人たちです。現実世界では個性もなく、モテない故に二次元世界に逃避・代価を求めるのです。そんな自分らが感情移入しやすいのは、イケメンの無双キャラなんかではなく、没個性で冴えない男である必要があるのです。あれ、なんか目から水が出てきた。

【2】ヒロインの純潔価値を高める。

ハーレムものにおける理想的なヒロイン像は様々あれど、共通しているのは“純潔処女である”ことです。アバズレのビッチヒロインなど声優ブログ含めて炎上の対象でしかありません。そんな純情ヒロインが、何の取り柄もなく、恋愛にも奥手な自分らを好きになり、純潔を捧げるという点が魅力なのです。デュフフ。

昨今のライトノベルが「そんなんばっか」になった結果が示すとおり、“没個性主人公によるハーレムアニメは売れる”のは紛れもない事実です。ただ、それが“最近の話か?”と呼ばれると、個人的には違うと思います。『ホビットの冒険』の時点、さらにはもっと昔から、こうした需要はあったのではないかと考えます。

原作小説にある一節からも、トールキンはその需要を意図して描いているとも考えます。

“ 「なにしろあんたはその手で予言を実現させたご本人じゃからな。ところであんたは、あの冒険がすべて、ただ運がよかったせいでとか、わが身かわいさのあまりとか、そんなことできりぬけたと思っとるのじゃなかろうね。あんたは、まことにすてきな人なんじゃよ、バギンズどの。わしは心からあんたが好きじゃ。だがそのあんたにしても、この広い世間からみれば、つまりはただ一この小さな平凡なひとりにすぎんのだからなあ!」 『ホビットの冒険』より”

力がない小さな一介のホビットであっても、世界を変えることができる。歴史を作るのは英雄ばかりではなく、平凡な個人であったりもする。その意図するところは、ハーレムアニメやライトノベルと大きく違うところではないと思います。感情移入を促し、そして本命ヒロイン(本作ではガンダルフ)がデレた時の価値を高めます。

「わしは心からあんたが好きじゃ。」ですからね。ガンダルフの中の人的にも深い言葉です。