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泥船てすかとりぽか

FC2ガ沈ムマエニ逃ゲダシマシタ。

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』シネフィルVS映画クラスタ

シネフィルVS映画クラスタみたいな話を先日みかけまして。

自分の観測範囲では「うん、わかるー。」って声はあまり見られず、「そもそも、シネフィルの定義って何?」「映画クラスタの定義って何?」って意見が多く、自分も概ね後者に同意してました。

そこに先日また排外カウンターVSサブカルクラスタみたいな議論が見られましてですね。

自分のTwitterアカウント内では、政治リストと映画リストが突然論争をはじめたので、興味深くあったのですが、論争の内容には今は触れません。ただ、そこで「サブカルクラスタって何よ?」って声がぽつぽつと上がってきましてですね。

厳密にサブカルの定義をしようと思えばできます。シネフィルだって映画クラスタだって、その傾向とかちゃんと調べて定義しようと思えばできます。ただ、そうした確認なしに「なぜサブカルクラスタとされた人達がいたのか?」は気になるわけです。

単純に、Twitter上のサブカルまたはそれに類するリストの人達が議論に参加していたからじゃないのかなあと。Twitterの「映画」リストに分類された人達が声を上げていたから「サブカルがー」「映画クラスタがー」と認識したのではないかと。

シネフィルにしても映画クラスタにしても、自称してる人は“あんまり”いません。

自称する人が少数いたとしても、日本シネフィル協会や映画クラスタ連盟やサブカル認定試験があるわけでもないので、明確にカテゴリ別けはできないわけですよね。いや、「実はもうある」とかでしたら無知で申し訳ないですけど。

つまり、こうしたクラスタとは、他律的に規定されるものではなく、個々人が自律的に対象をカテゴリ別けした結果に過ぎないんじゃないかなあと。もしくは、他人がカテゴリ別けした結果を自律的に判断し、信用しているだけなんじゃないかなあとも。

ちなみに今の自分のTwitterアカウントのリストを例示しますと。

  • ニュース
  • 政治
  • ゲーム
  • 映画
  • 友達
  • ウル4

そこで今回、政治リスト内の排外カウンターの人達と、映画リスト内の(言い方に御幣があるかもですが)攻撃性が高くサブカル臭の強い人達の間で論争がはじまったので「排外カウンターとサブカルの論争がはじまった!」と誤認したわけです。

そう、これ誤認なんですね。

そのリスト内の全員がその論争に加わったわけではない、むしろ参加しているのはリスト内でも数人なのに「クラスタ間で論争が起きている!」と誤認してるんです。そもそも、そのリスト自体自分で勝手に個々人をカテゴリ別けしたものですしね。

もう一つ例を出すなら、ウル4リスト(自分が好きな格闘ゲームウルトラストリートファイター4』に関連する人、とりわけプロゲーマーの人達をカテゴリ別けしてる)上で、ものすごい頻度でグラビアアイドルの自撮り写真がRTされくるのですが。

これを見てプロゲーマーの人達はグラビアアイドルが好き。というのも誤認です。

実質RTされているのはその中の3人ぐらいなのですが、そのあまりの頻度の多さに加えて「プロゲーマーのような好戦的な職業の人は、やっぱり肉食系なんだなあ!」という良くわからない根拠も勝手につけ加えて納得していた自分がいたんですよね。

つまり、「シネフィルがー」とか「映画クラスタがー」という話も、そういうことなんじゃないかなあと思ったわけです。あくまで、自分個人の主観に基づく印象論ではありますけど、「クラスタってそもそも何だろう?」という一つの答えとして。

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で、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の話ですけど。

キャプテンアメリカは、戦中プロパガンダヒーローとして枢軸国と戦い、戦後も赤狩りの象徴として共産主義者と戦った、いわば善悪二元論を象徴する様なヒーローで、前作『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』も割とそういうのでしたが。

それ故に、枢軸国サイドであった日本からしてみれば、「7、80年前、君たちのおじいさんやひいおじいさんを無残に殺して勝ち誇ってた野郎だぞ」みたいな批判も出てくるほど、本来はあまり気持ちよく応援できるヒーローではなかったりもします。

映画『アベンジャーズ』の主人公に黒歴史…日本人を次から次へとひねりつぶしていた/少し考えてみる戦争のこと

ただ本作は、もはや善悪二元論で語ることが難しい現代(というかストーリーテリング論として善悪二元論がもはや古臭い)において、キャップ自身が「正義って何?」と思い悩み、味方からも銃を向けられるといった、極めてセンセーションな話なんですね。

その本作の精神は、共同監督のアンソニー・ルッソのインタビューに現れています。

「我々全員は無人機による攻撃、先制攻撃、オバマが誰を殺すかの人権問題といった疑惑に関する記事を読んだ。我々はそれが(キャプテン・アメリカの)グレイテスト・ジェネレーション的な発想とは正反対であったので映画に取り入れたかった。」

先のクラスタ論争にもつながる話ですが、もはや「アメリカ人だから」とか「日本人だから」、「ヒーローだから」とか「ヴィランだから」、「敵だから」とか「味方だから」で簡単に計れる時代じゃないってことを、キャップ自ら全世界に呼びかける映画なんです。

そこまで小難しく考えず、「ウィンターソルジャーかっけー」だけでも十分愉しめる作品ですが、自分がどっちを向いてるのか?誰と何と戦っているのか?を自問して、俯瞰して見つめなおせるようになるという意味でも、おすすめです。