てすかとりぽか

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『ダークナイト ライジング』 ベインが好きすぎて辛い(ネタバレあり)

ダークナイト ライジング

2012年公開のアメリカ・イギリス共同製作映画。クリストファー・ノーラン監督作品。

昨日鑑賞した後もずっとニヤニヤがとまらず、今日もずっと会社でニヤニヤしながら本作のこと考えてたんですが、その内容がほとんどベインに関することで自分でも驚きです。実際、“昨日書いた感想”もほとんどベインに関することだったし。逆にバットマンとかアン・ハサウェイの尻のことすらぜんぜん触れてなかったし。

ただ、ベインを小物扱いしてた感想が、今日のうちにだいぶ裏返ってしまいましたね。

実際、後からいろんな映画ブログの感想見て、やれ「ベインが小物」だの、「何がしたいんだかわからん」だの、割と本作の批判する意見のほとんどがベイン個人への批判であり、もはや“戦犯”として扱われてる世評が見て取れたわけですが。そして、その感想について否定はせず、むしろもっともだとすら思いはするのですが。

でも、そんな小物だからこそ、ベインは凄いんじゃないか!?と思うようになってしまいました。

そもそも、前作でヒース・レジャーが演じた“神々しいほど格好いい”ジョーカーに比べて、ベインなんて見た目筋肉ダルマです。『北斗の券』に出てきたら頭の上にカウントも出ないで死ぬタイプです。格ゲーに出てきても使用率1パー未満で静かに次回作から出なくなるタイプです。

見た目だけなら“モテ”や“リア充”から最も遠い宇宙の果てに位置する、“俺ら”に類する生き物です。

そんな“俺ら”と同じ“非モテ”の彼が、“金持ち”を“権力”を“体制と秩序”を「お前らの手でぶっ壊せ!」と、反抗を呼びかけるわけですよ。2chの“喪男板”や“嫌儲板”で燻ってる“俺ら”に向かって、「金持ちを斃せ!」「リア充を殺せ!」「革命を起こせ!」と煽動するわけですよ。

ベインは“俺ら”の待ち望んでるヒーローそのものなんですよ。ネ申なんですよ。

以下、自身は如何にして小物扱いするのをやめてベインを“好きすぎて辛い”のかについて、“嫌儲”“非モテ”“終末待望”という3つのテーマに基づいて書きます。あくまで自身の映画感想に基づく見解なので、製作者の意図とはズレているのかもしれませんが、確かに自身の感じとった認識です。

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【ぼくの好きなベインその1. 金持ち爆発しろ!】

自分は金持ちが嫌いです。厳密には既得権益に踏ん反り返ってる資産家が嫌いです。

露骨にそういう“村の名士”や“議員先生”が幅を利かせ、大人社会では公共事業を牛耳り、搾取し、逆えば村八分にされ職を失う。子供社会ではそのドラ息子どもが我が物顔で暴力を振るうが学校も警察も手出しできない。そんな例のあの県に似たような田舎で育ったせいか、心底“金持ち”と“権力者”が嫌いです。

2011年にアメリカで発生した“ウォール街を占拠せよ!”にも完全に同調する想いです。

“We are the 99%”はこのデモのスローガン。1979年から2007年の間に米国の上位1%の収入は、平均すると275%も増加。下位90%を占める世帯の平均税引き前収入は900$低下しているが、トップ1%の収入は税制が累進的でないため70万$以上増加。こんな世界で自由だ平等だと言う権力者には虫唾が走る想いです。

とはいえ「金持ちを殺して、奪っても構わない」とは思いません。それは明確に“悪”だから。

でも、本当にそうでしょうか?“俺ら”は日々死ぬような思いをして労働して、中には本当に死んでしまう者もいて、それで奴らを稼がせているのに?奴らはたとえ“俺ら”が死んでも屁とも思わないのに?ワタミの社長はあんなんなのに?そんな奴らを「殺したい」というのは、本当に“悪”なのでしょうか?

少なくとも法と秩序の面からは“悪”です。だから、ベインは“俺は、必要悪だ”と言ったのです。

自身を明確な“悪”と認識した上で、それでも“金持ちを殺すこと”について、“必要である”と道を指し示しているわけです。誰よりも金持ちが嫌いな“俺ら”に対して。それが正しいことだとは、自分は1ミリも思いませんが、それに賛同してしまう“俺ら”が多いことは、残念ながら事実として認識せざるを得ません。

ジョーカーの“混沌”はあくまで彼一人が望んだものだったのに対し、ベインの煽動する“必要悪”は、多くの“俺ら”によって賛同される可能性を持っています。それは、おそらくフィクションである劇中に限った話ではないのですよね。現実世界で通用しうる“悪の魅力を持っている”のがベインなのです。

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【ぼくの好きなベインその2. 明日世界が滅べばいいのに】

明日核戦争が起きて世界が滅べばいいのに。割とそんなことを考えながら生きてきました。

いわゆる中二病という奴なのかもしれませんが、中二になる遥か以前から割と近くに原発がある地域に住んでて「アレが爆発したらこのへんは全部終わり」とか大人が言うし、ソレがいつ来るのか怯え、ストレスが常態となり、そんな矢先にそこがバケツでアレして「あー、終わったな…」と思ってたら意外と終わらなかったり。

「むしろ、殺すならもっとド派手に殺してくれよ!!」とすら思うようにもなり。

原子力や核爆弾にまで興味を持って調べるようになり、そのうち『アトミックカフェ』という素晴らしい映画にも出会い、そこで描かれる核爆発の美しさに見惚れ。『筋肉少女帯』の“そういう曲”を聴いては「あー、早く今度こそ原発が大爆発してこの世が終わればいいのにー。」と考えるのが日常だったりしました。

だから、昨年Youtubeであの映像を観た時、不謹慎ながら「神様はいるなあ」と思いました。

そういう“終末待望論”を持った人ってのは世の中には結構いるみたいですね。ベインの“革命”に賛同した人の中には、彼が持つ“中性子爆弾”による“破壊”を望んだ人も少なくないんじゃないんでしょうか。ベインの場合“革命”がブラフで、彼の目的は最初から“破壊”だったみたいですけど。

「ベインの目的は“革命”なのか“破壊”なのか?その辻褄が合わないからこの映画は駄目だ!」という批判意見が多く見られますが、その点は明らかに“破壊”だと思います。「市民の誰かが起爆のリモコンを持ってる」というベインの言葉をゴードンさんはあっさりと「ハッタリだ」と言ってますし。

そもそも、ベインはタリアへの想いから彼女の復讐計画に手を貸してただけですし。

タリアの目的は、兎に角バットマンへの復讐。ただ殺しはしないってのはベインの口を借りていってますが、バットマンが守るべきゴッサムの民衆をその敵と変え、正義のために作った武器を悪のために転用し、最後にその“破壊”を見せつけてから「死ぬのを許してやる」という、極めて偏執的な復讐。

ベインの目的が彼女の私怨のお手伝いであるなら、その最終局は“破壊”となるわけですからね。

その“片想い”って動機だけを考えると小物感溢れてしまうベインですが、自身は逃げも隠れもせず“破壊”の中心であらんとする姿には、世の終末待望論者たちが惹かれてしまう気持ちが理解できなくもないです。いつか、ああいう悪者が現れて、世界を破壊してくれるんじゃないかなーと。そんな気持ちが。

ああ、もうリアルにいたね。まだ、何の罰も受けてないから、もう一回ぐらい余裕でやりそうだけど。

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【ぼくの好きなベインその3. そして、リア充死ね!】

結局、“俺ら”が金持ちを憎むのも、世界の滅びを望むのも、自分の“リアルが充実してないから”なんですが。金持ちからはいじめられ、女子からはキモいと言われ、社会からは働けと言われ、でもお前みたいなのは働かせないと言われ、ネットに引き篭もって毎日“鬱ブログ”更新して「リア充死ね!」と書く毎日。

そして、ずっーと片想いだった娘は、“リア充男”とやっちゃってることを偶然知っちゃったり…。

そうだよ!ベインも“俺ら”と全く同じ想いしてんじゃんかよ!!なんか変な穴に生まれたと思ったら、フルヌッコされて障害負わされるし。なんか師匠っぽい人が来たと思ったら「なんかお前見てるの辛いわー。破門な。」とか言われるし。で、好きな娘は自分利用するだけ利用して“リア充マン”とよろしくやっちゃってるし。

「あ”−もういいわ!爆弾とかいいわ!今死ね!すぐ死ね!」みたいになっちゃう気持ちわかるよ!

ここも割と「序盤計画が大事とか言ってたベインが、終盤逆上して計画ぶっ壊してテラ小物臭いw」と批判されてるんですけど、ここベインの気持ち理解できないかなー。我慢できるわけないっしょー。ベインさん“俺ら”の気持ち代弁しすぎでしょー。おのれ“リア充マン”貴様これまで何人の女とー!くそー!!

そもそも、アン・ハサウェイのキャット・ウーマンが仲間とかリア充にも程があんぞ!!

俺の仲間見てみろよ。全員男だぞ。女とか一人もいねーぞ。おかしくね?もうちょっとこう、なんかあるだろーふつーよー。なんかこうゴスっぽい女とか、『ファイナルファイト』の敵の女みたいなあーゆー悪そうな女ぐらいいるだろ。え、あいつ男なの?まじで?このさいもう男の娘でもいいです。

みたいな、ベインの、そして“俺ら”の慟哭なんですよ『ダークナイト ライジング』って作品は!!

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個人的にどうしたってベインがただの小物キャラには見えなかったのもあるし、またそこまでベインを擁護する言説も見当たらなかったので、素直に自分のルサンチマンとを重ねた形で、ざっくばらんに想いをぶちまけてみた次第であります。それが映画の感想として正しいか正しくないかはこの際置いとくとして。

ただ、ベインの擁護=ある種の公序良俗に反するって認識はあるんで、本当に彼が好きすぎて辛いのです。

でも、『ダークナイト ライジング』がテレビ放送される頃には、もっと感受性が高くて文章がうまい“俺ら”のうちの誰かが、もっと上手にベインを擁護してくれていて、彼の評価も作品自体の評価も上がってくるんじゃないかなーと、ひそかに期待はしております。そうならないと続編出ないから正直困る。

『ダークナイト ライジング』 俺、必要悪ですよ?(ネタバレあり)

ダークナイト ライジング

2012年公開のアメリカ・イギリス共同製作映画。クリストファー・ノーラン監督作品。

あらすじはもう他の方が書いてくれてると思うのでいきなり感想です。なんていうか、面白いとか面白くないとか以前に、面白すぎて困るレベルです。来週自分会社でずっとバットマンのこと考えてニヤニヤしてなきゃいけないんすよ。バットマンの秘密兵器のバットホニャララ(ネタバレ防止)のこと思い出し笑いするのです。

個人的には、ノーランのバットマン三部作最高傑作!!って言っても差しつかえないほどです。

公開初日から結構批判的な意見をツイッター上で散見していたので不安はあったんですけど。「つっこみどころ大杉」とか「話がマンガっぽすぎる」とかね。確かに『ダークナイト』に比べるとソッチベクトルに寄った要素が多いとは思いましたが、他作品も荒唐無稽でマンガ的な話には変わりないんじゃ…というか。

そんなマンガ的な物語を、本物の車や群衆やスタジアムを使ってリアリズム全開重視で撮った映像ってだけで面白く感じないわけないじゃんすか。つっこみどころ満載でいいじゃんすか。元はマンガなんですから。最初の実写TVシリーズ劇場版なんて「バット手裏剣」とか「バット鮫よけスプレー」とかいうアレさなんですから。

で、本作は前作『ダークナイト』を「個人的には凌ぐと思っている」ほどのディザスターシーンや戦闘シーンが拝観させていただけるわけですので、細かいこと言わずに楽しめます。でも、その上でなお細かいとこが素晴らしい作品でもありますので、以下ネタバレ注意となりますが書かせていただきます。


(以下バリバリネタバレしてるのでご注意ください。)


まず、本作が素晴らしい理由として、“アメリカ映画の新しい仮想敵”としてこれほど煽動的なものを扱った試しがないという点。(他にあるかもしんないすけど。)過去、アメリカ映画の“仮想敵の歴史”をなぞると、ナチスドイツに始まり、冷戦時代のソビエトイラク戦争以後のテロリストとそんな流れがありました。

ダークナイト』のジョーカーも、テロリストの枠に納まらない新しい“敵役(ヴィラン)”でした。

本作には明確な敵役として“ベイン”という筋肉ダルマがいますが、この人あまりに小物臭くて(それも本作が酷評される理由になってるみたいですけど。)真のラスボスにはとても見えない。まぁ、実際ラスボスは別にいたわけですけど。でも、彼がいう“必要悪”こそが、“新しいアメリカの敵”を生み出すわけです。

アメリカの新しい敵、新しい悪、それは“民衆の憎悪”です。

2011年にアメリカ合衆国ニューヨークのウォール街において発生した、アメリカ経済界・政界に対する一連の抗議運動は、その社会秩序に大きな衝撃を与えました。「We are the 99%」つまり、国の上位1%の富裕層が所有する資産が増加し続けている状況に対し、“民衆の憎悪”が露となった結果です。

もっとわかりやすく言うと「リア充爆発しろ!」ってことなんですけど。

ベインはこうした民衆心理、具体的にはゴッサムシティにおける貧富格差や“警察によるデント事件の嘘”に対する体制への不信感、さらには中性子爆弾による恐怖までもを巧みに利用して、民衆を“秩序に対する敵”つまりは“アメリカの体制に対する敵”に仕立て上げました。

それを煽動するベインが「俺は必要悪だ!」って言っちゃうところがまた小物臭くていいんですね。

自己都合で退職しその後半年間のプー経験を売りに在籍時以上の待遇を求めて復帰を希望してきたゆとり君”における「俺、必要悪ですよ?」に匹敵するほどの小物感です。でも、こういう“リアルに政治的な悪役”は小物じゃなきゃ駄目ですね。変に格好良くして、真似する奴が出てきたら困りますからね。

ただ、この“反体制的必要悪”に関しては、日本人も全く他人事じゃないんですよね。

わかりやすい最近の例を上げるなら、“大津のいじめの件”なんてまさにコレ。警察や学校という“体制への不信感”や“義侠心”が生んだ、“加害者情報の特定と頒布”に至っては、まさにベインの言う“必要悪”が生み出した悪であります。「いや、あれは必要だろ!」って声もあるかもですが、だから“必要悪”なんです。

もっとセンシティブな例を挙げるなら、“原発問題”なんかもそうでしょう。

ソレはあえてどっちが悪とか正義とか言及は避けますが。“どっちに転んでも誰かが被害を被る、それでも必要だから声をあげなければならない”という状況を見れば「いかに日本人が今、判断を問われているのか?」、ベインの言う“改革”が必要なのかどうか?が真に迫った話なのか理解いただけるかと思います。

そしてオチとしては、「実は片思い相手の私怨のお手伝いが目的だった」という、ベインまじ小物!!
(ここ、改革が目的と観るか、私怨のお手伝いが目的と観るかで、評価別れると思います。)

ベインが母校(母穴?)で残した武勇伝なんかも、「え?俺があの穴よじ登ったって?命綱なしで!?むーりむり無茶言うなよ俺そんなことやってないってw」って感じであっさり否定されちゃったし。今まで尊敬してた部活のOBが実は在学中は補欠だったみたいな事実を晒しちゃうところもほんと小物。

ベインが師匠に破門された理由すら「なんかお前見てると昔の辛いこと思い出すから。」て。

この「ベインまじ小物!ジョーカーの爪垢煎じて飲みやがれッ!」ってのが、本作が『ダークナイト』と比較酷評されてしまう理由になっているようなので、それを擁護する意味でも「ベインが小物なのは意図的なんじゃ?なぜなら割とリアルにやばい敵を呼び覚ましちゃってるし。」というのが自身の見解です。

リアルで「リア充爆発しろッ!!」って人はほんと多い(自分含めて)すからまじベイン小物でいいです。

まとめると、過去仮想敵としてきたナチスドイツやソビエトに続きテロリストもその新鮮味を失い、一昨年あたりから“妙に戦力差が拮抗した宇宙人”とばかり戦ってきたアメリカ映画において、その新たなる仮想敵を“自分たちにも最も近い場所”に見出し、見事に描ききった点が、本作何よりの素晴らしさと感じます。

勿論、そういう「イデオロギー含む善悪の描き方自体が嫌い」という人がいるのは理解できますけどね。

あと『インセプション』のアーサーが刑事役ででてきて、これたメインキャストなんだかモブなんだかわからない小物感を漂わせていたのでなんだろーと思ってたら、いやまさかの。おっさんその年で半ズボンはくのかよ。次回作『ダークナイト&ロビン』期待しちゃいますよ!!

そういや、バットマンに一言も触れてなかったので。バットマン格好良かったでした。

『おおかみこどもの雨と雪』 俺、子供生んだことないんで…(ネタバレあり追記)

おおかみこどもの雨と雪

2012年の日本のアニメーション映画。細田守監督作品。

女子大生の花は、大学で出会った男と恋に落ち、二人の子供を産婦人科にも通わず“独学で自宅出産”する。しかし、子供が生まれてすぐ男は死んでしまう。彼の残した“わずかな貯金”を元手に二人を育てる決意をするが、都会での生活に限界を感じた花は、山奥の古民家に移住することを決意する。

男が“狼男”で、その子供が“狼子供”である点以外、終始一貫“リアリティ”を重視して描いています。

その“リアリティ”に、揺さぶられるわけです、自分の“負の感情”が。途中「もーむりむり!」って席立とうと何度も本気で思いました。でも、観続けたら続けたで、また別の“リアリティ”に、正の感情が揺すぶられるわけです。「まじでこんな映像観たかったんだよ!」って。

ただ、自分は正より負の感情を強く刻んじゃう性質なんで。結論としては、自分には向いていない作品です。

【何がそんなに厭なの?】

あくまで自分が嫌ってだけで、おそらく大部分の人は平気かと思うんで、書いたことで「つまんない映画なんだ」って思われるのも嫌だから、あまり具体的には書きたくないんですけど。“マイナスのベクトルにリアリティ溢れる苦労っつーか苦痛”が延々描き続けられたところで、HPが0になりました。

ソレを不愉快に感じるかどうかは人それぞれだと思うんで、ソレを“普遍的に痛い描写”とは思いません。

「そんなこと気にする方がおかしい」って声があれば、そっちのが多数派で民主的にも正しいと思います。ただ、マイノリティであれ、その描写から“目を背けたい”または“怒りがこみ上げて来る”人がいないことはないでしょう。変わりに具体例をあげるなら、同監督作品に対する下のような感想とかですね。

“サマーウォーズを田舎の大家族の嫁の視点で観たら”
http://togetter.com/li/342972

「家父長的大家族制度に対する無自覚的な賛美がどうにも肌に合わない。」田舎の元大規模専業農家(衰退しました。)に育った自分も「肌に合わない」程度ではなく、明確なルサンチマンとして感じたことでもあります。たとえ少数派であっても、こうした負の感情を煽ってしまうことに対し、同監督は無自覚だなあと感じます。

「いや、無自覚じゃないよ。意図的だよ。」って話なら、ぶんなぐりますよ。

本作にも「田舎での自給自生活に対する無自覚な賛美」という別の形での無自覚さが見られますが、これまた田舎に生まれ田舎に育ちつつも、そのネガティブな部分を心底嫌っている自分には向いていない描写になります。「農業なめんな!」とか「田舎の人間にしてはみんな協力的すぎる!」とかは言わないですけど。

“リアルに実在する村八分”の話とかすると長いので、ここでは言わないですけど。

「自給自足ったって電気代に光熱費、ガス代、ガソリン代、服飾費は?」、「豪雪の中あのサイズの家を暖めるのにどんだけ熱量いる?」、「その車…軽トラじゃだめなんですか?」、「あのデカイ冷蔵庫の電気代…」、「わずかな貯金て何千万よ?」、「アマゾンくるの?」と描写がリアルなだけに、疑念も多く沸いてしまいます。

「田舎は救急車呼んでも来る前にだいたい死ぬよ?」本当、自分には向いてません。

※※※以下、重要なネタバレは避けつつも、一部あらすじに触れています。※※※

【じゃあ、何が好かったの?】

前述の嫌な部分も「だってSFだし」って割り切ることが出来たらいいんですけどね。というか、そう割り切らせるような創りにすればよかったのに。序盤の生々しいセックス描写なんかいらんかったのに。もっと「これは絵空事なんです」感全開のハートフルファンタジーアニメにしてくれたら好かったのにと。

そう、途中から急にその“ディスカバリーチャンネル アニマルプラネッツ”になるそのカタルシス開放感。

生々しく痛々しい描写の連続から一転、素晴らしい景色の山々を駆け巡る“絵空事感全開”の映像描写。「ああ、これだよ。せっかくお金払って映画館に現実逃避しに来てるんだからさ。現じちゅとうひさせてくだしゃいフヒヒー!」ってなるその放出感たるや。さすが先生。先生大好き。油揚げなんか食うか!!なめてんのか!!

あと、“台風の描写”が本当に素晴らしい。これは素直に現実的って意味で。

台風前に教室のカーテンがなびく感じ、水田をなぜる風、突然の稲光に停電する古民家、海のように波渡る校庭、そうそう全部体感したことあるよこれまじですげー。まるでそこに空気があるかの如き風と雨の描写、CGの物理計算を駆使しつつ、二次元のアニメーションとして作画したこの映像は必見の価値があります!!

一瞬、“用水路の水門”も映ります。台風の時の「用水路みてくる」で見に行くのはあの水門です。

「田んぼとか用水路とか台風の時見にってどうするの?ばかなの?しぬの?」という疑問をよく聴きますが。あの水門を開放しないと、関に溜まっている農業用水が田畑に溢れて稲が駄目になってしまいます。だから、みんな必死で雨と風の中、あの水門の上に登って、バルブを回して関を開け水を下流に流すのです。

脳内でエグザイル流して『海猿』の伊藤英明の気分に浸りながらやるんです。で、だいたい死にます。

閑話休題。自分が前述のような無自覚な描写があってなお『サマーウォーズ』が好きなのは、細田監督の作品が好きなのは、そうした“圧倒的なアニメーションによる映像描写”があるからです。基本馬鹿なんで、脚本や演出の是非どーこーより、「すげー映像さえすごければそれでいいです。」って思ってるからなんです。

とはいえ、それだけ好い映像描写の後ですら、負の感情が消えなかったので。本当向いてない。

【ラスト泣いてましたが?】

はい、不覚にも泣いてました。ただ、それは一寸自分がめちゃくちゃ弱いシチュエーションがあっただけで。具体的には根幹のネタバレになるので書かないですけど、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が割とえげつない程その泣かせ技を使ってるにも関わらず、ほんとんどの人がスルーしたというね。

子供が秘密を抱えて生きていくことが、どんなに辛いことなのか。

それを“母親ではない他者”と分かち合えることがどんなに嬉しいことなのか。その告白によって、彼らを庇護し、隠遁する“母親の愛”、逆の言い方をすれば“母親の支配”から逃れ自立するというラストシーンが、見事な憑き物落としになっています。

【なんとなくゴニョゴニョ追記】

鑑賞後にいろんな方の感想文みてましたら、結構似たようなとこで引っかかってる方が多かったみたいでした。前述の「何が嫌なのか?」で具体的には書かなかった“苦痛”についてとかね。単純に見せられる映像や話がきついだけじゃないんですよね。

その乗り越え方が、ただ“母親だから”って、あまりに(ゴニョゴニョ…)

言葉を濁さざるを得ないのは、自分は“その点を批評する立場にない”からでもあります。所詮自分は母親ではないし、子供生んだことないし、そもそも男だから生めないし、母親のあり方についてとやかく言える“立場にない”のです。普遍的な一般的な知識教養の持ち主として「なんか引っかかる」と言うのが精一杯。

ちなみに、この作品の脚本家の奥寺佐渡子さんは一児の母なんだそうです。

だから、多くの方が引っかかるという「母親に対する洞察が浅い」という部分について、「母親が書いてるんだからそんなことないでしょ?」という反論もあるかと思われます。実際、別の奥寺脚本映画『八日目の蝉』なんて完全に“母親映画”ですし、本作と話は似てますが視点はガラッと違いますしね。

でも、だとしたら何故、今作の母親はなんで(ゴニョゴニョ…)

ちなみに全く同じモヤモヤ感を自分は漫画『うさぎドロップ』にも感じてまして。どうしてもあの仕事も子育ても一人で両立させる完璧超人サラリーマンの主人公に対していささかも同調できないのです。アレには対しては同じサラリーマン男として言えるんですけどね。「ねーわw」って。

兎角、本作は“出産・子育てをした事がある母親”以外の人が軽々しく語れない気がします。

“母性”や“子育て”をテーマにリアリズムを追求して描いた本作は、そのテーマについてどんなことを語ろうとも、当事者以外は外野です。「自分で子供生んで育てたこともないのに知った風なクチ聞くな!」で終了です。小町に晒されて酷い目に遭います。鬼女の皆さんに住所突き止められてリアルで人生終わります。

『アメイジング・スパイダーマン』 豪鬼出すの失敗した時に出る奴

アメイジング・スパイダーマン

2012年のアメリカ映画。マーク・ウェブ監督作品。

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てゆかほんとマジ公私ともに忙しくておっちぬ。ちぬ。

だもんで、今回の“スパイダーマンおかわり”も忙しいのとTwitter上での評判がイマイチなのも合わせてソフト化されてからでいーやーと思ってたんですが、ひょんなことから時間が出来たので観に行っちゃいました。半そで短パンで、“3Dメガネを入れたスーパーのビニール袋だけ手に持って”といういでたちで。

いやでも、みんな3Dメガネってどやって持ち歩いてますか。マジで。

裸でバックとか入れとくとすぐ埃だらけになるし。ポケットに入れとくとひんまがっちゃうし。専用のメガネケース買うほど高価なものでもないし。でも、毎回新しいものを買うのもエコじゃないし。3Dメガネとか海亀がクラゲと間違えて飲み込んだらかわいそうだし。どうやって持ち歩いたらいいのアレ。

で、なんだっけ。アレだよ。スパイダーマンの話だよ。

そもそも劇場で観る気がなかったっつーか、「スタッフロールで流れる日本版テーマソングがひでえ」ってんでそれだけでも聴いておかなきゃ駄目かなネタ的に。的な期待値で観に行ったのが幸いというか、面白かったですよ。少なくとも、個人的にはサム・ライミ版と比べてどーとかなく楽しめました。

アクションに関してはもう言うことねーっす。最高っす。腹いっぱいです。

ストーリーに関しても、家族愛的な部分を推してきてるので個人的には好みです。ヒロインとの絡みより、ヒロインの親父との絡み。更には叔母さんとの絡みがグッときますね。ヒロインまじ空気ですけどね。名前覚えてないぐらい空気。ヒロインは置いといてMOBのメガネの娘かわいかったなーぐらいのエアヒロイン。

でもそこは“旧作のビッチヒロインことMJとの差別化を図った”という風にポジティブに受け取ってます。
(「MJ スパイダーマン」でググると次に「ブサイク」って出ますからね。)

そーゆーとこ、要するに“サム・ライミ版のファンにも訴求しつつ、違いを見せていこう”という姿勢は確かに賛否両論あるかもしれないです。旧作ファンに訴求しないなら空中機動の見せかたとかもっと完全に変えるべきだと思うし。「溜めに溜めてクライマックスは結局ソレかwww」とは確かに思いましたよ。

ソレはもう単純に、サム・ライミ版が“エンタメとして完成してしまっている。”ってことなんですね。

水戸黄門みたいなもんです。演じる人が変わっても、細かい部分が変わっても、クライマックスの“印籠”のシーンだけは、東野英治郎演じた頃から全く変わらないです。フィルム撮影がビデオ撮影に変わっても、ナショナル劇場パナソニックドラマシアターになっても、そこだけは全く演出が変わりません。

でも、水戸黄門ファンがずっと10年も20年も東野英治郎を観たいかっていうのも違うんですよね。

役者を変え、演出を変え、時代に応じた脚本にリファインしていかなければ、新しい顧客を掴むことはできません。(自分は西村晃から観た世代)新規顧客を掴めなければ、演目としては衰退してしまいます。演目の衰退は作り手側のマネタイズのみならず、演目のファンとしても悲しむべきことですよね。

当然、「それでも里見浩太朗はさすがに無双しすぎ。」と、比較批評はあってしかるべきだと思います。

ただ、批評の結果として「作り直す必要がなかった」とまで言ってしまうのは違うと思うんですよ。理由は前述のとおりですが、スパイダーマンのファンであれば、そのシリーズが途絶えてしまうより、今後も映画館で観られることの方が幸せじゃないすか?って話なんです。いや、俺ライミファンなだけだしって人除いて。

『ハルク』にしたって、蛍光色の方もそうでない方もどっちも好きですよ。ハルキスト的に。

兎に角、2012年はアメコミ映画目白押しで楽しみでちねる。とはいえ、別にアメコミちゃんと読んでるわけでもなく、単に格ゲーの『X−MEN』とか『マーヴルVSカプコン』やって知ってる程度のにわかギーク気取りですが。(『マヴカプ2』の持ちキャラはスパイダーマン・ヴェノム・ハルクですが。)

「シルバーサムライ」って言われても「ああ、豪鬼出すの失敗した時に出る奴ね。」ぐらいですが。

『マイケル・サンデル特別講義 ここから、はじまる。民主主義の逆襲』 目には目を、煽りには煽りを。

マイケル・サンデル特別講義 ここから、はじまる。民主主義の逆襲

史上最大5000人の白熱教室 in 東京国際フォーラム。行ってまいりました。

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マイケル・サンデルの新著『それをお金で買いますか――市場主義の限界』の販促なのか、なんか募集してたんで応募したところ当選してしまったので。とはいえ『ハーバード白熱教室』とか観てて一度はこういうの参加してみたいなーと思ってたんで。そして、できれば議論に参加してサンデルに「君、名前は?」って言われたい。

でも、どうせヤラセなんだろアレ?と正直思ってました。

前もって議論を誘導するためのシナリオがあって、それに沿って手を上げて指名される人もサクラで。でも、全部サクラにしちゃうと怪しまれるから、何人かは普通に手を上げてるひとを指名したりもして。でないと、公共放送で流せるような筋道の通った議論になんかなんねーんじゃーねかな、と正直思ってました。

いやぁ、ガチでした。疑ってすんませんでした。

テレビで放映されてるヤツは当然編集したりカットしたりはされてるんですけど。ちゃんと指名された一人ひとりが言葉を詰まらせつつ、悩みながら言葉を選んで(それも演技だ!と言われればそうかもしれませんが)、予定時間を大幅にオーバーしてまで議論の場を作り上げておりました。

勿論、サンデル側には明らかに誘導したい議論の方向性というものがあり、なかなかその方面に議論がよっていかなくてイライラしてる様子なんかも見て取れて面白かったです。自分、前から2列目に座ってたんで、「生サンデルちっか!」ってそれだけでだいぶ愉しむことができましたですよ。

講義は6月16日(土)と23日(土)にNHKでも放送するそうなので、ネタバレにならないよう伏せておきます。

正直言って、議論としてレベルが高いか?と問われたら、本当まだまだだと思います。放送がニコ動なんかに上がった日にゃあ、自称“識者”や“意識の高い人”がフルボッコにするような内容でしょう。でも、サンデルがやりたいのは“レベルが高い議論”じゃないんですよね。ソレを問うのは講義の趣旨に反します。

本講義の意図は、“できるだけ多くの人が議論に参加すること”になります。

だからこそ、失笑を免れないような意見や、論点を大きく外した意見などがあがってこそ、“インテリじゃない人が議論に参加してこそ”この講義は成功とも言えるのですね。「原発再稼動は是か非か?」を決めるのではなく、誰もが声を上げられるような空気を作ることが、日本の民主主義がなすべきことなのですよー!と

そういう意味では大成功だったと思います。自分が当ててもらえなかったのは残念でしたが。

茶化す気満々だったので、当ててくれなくて良かったと後になって思いますが。例えば「どうしたら若者が選挙に行くか?」という問いに対し、新著の内容に準じて「インセンティブを与えたらいい」と茶化したかったです。うちの地元の選挙では老人に対してはバスと菓子パンとジュースが出てるのは事実だし。

サンデルの指示するコミュニタリアリズム「若者はもっと議論すべきだ」には賛成だけど。そも人口の絶対数において年寄りが多い故に「若者は票数的にマイノリティ過ぎて政治参加による見返りを期待できない」という点と「別に年寄りが政治に関心があるから選挙に行くわけじゃない」って部分は刺しておきたかったです。

あとTwitterで議論しないのは、短順にフォロワーのTLを汚したくないからです。

サンデル的には「TLを汚すのを厭わずに、どんどん政治や原発の議論をすべきだ!」って言うでしょうけどね。自分は既にTwitterもブログも言いたいことぶちまけて汚染物質垂れ流してるからブロックもされまくりですけど。あと、ディスりや煽りと議論の区別つかない人が多いこの国では、SNSでの議論が難易度高いのは確かです。

自分は煽りに対しては煽りでしか返しませんけどー。

あと当ててもらえなかった理由を冷静に判断すると、前の方で目を見開きながら満面の笑みで手を上げる、いわゆる“ハーマイオニー型挙手”をしていたからだとも猛省してます。自分手上げてるのに、目の前にいるサンデルが「他に誰かいないかな?」って言ったのはわりとショックでしたよ。

『貞子3D』 ネタバレあり

ストーリー部分のネタバレが含まれております。

『貞子3D』 ネタバレなし”を未読の方はこちらをお先にどうぞ。

貞子3D

2012年の日本映画。英勉監督作品。

インターネットの『ニコニコ生放送』で生放送された自殺動画。その動画を見た人は死んでしまう。そんな“呪いの動画”噂が流れていた矢先、女子高の教師である茜の教え子の一人が不可解な死を遂げる。彼女は死ぬ前日に「呪いの動画を探している」と話しており、また死の直前には何らかの動画を見ていたという…。

そんなニコ動、ドワンゴ前面バックアップでお送りする、Jホラー最新作なのです。

劇中いきなり「ニコ動」って略し出すニコ厨の刑事とか出てくるしね。かつて、VHS・テレビから出てきた貞子も時代とともにその世相にあった媒体、PC・ネット・ディスプレイはてはクラウドといったものまで利用するようになったというのが本作最大のテーマでもあり、笑…怖がりどころと言えるのではないでしょうか。

でも、それならいっそ開き直って、もっとネット住人向けの作りにしちゃっても良かったと思います。もっとネットスラングや定番ネタを取り入れたりね。例えば、序盤の教室で“呪いの釣り動画”を再生してしまうシーン。あんな糞動画で釣っても全く笑えないし、釣られた側も口惜しくないですよね。

あの場は釣り動画の定番である“藤崎瑞希氏(※1)”にご登場いただくべきだったかと。

むしろ、タイミング的にここで本物の“呪いの動画”が来るわけないと思ってたので、当然藤崎が来ると思ってたのでガッカリしました。(※1 ニコニコ動画で「藤崎 釣り」あたりで検索して出てくる系の動画を再生してみるとなんとなく「ああ、こいつのことか」とわかります。)

もしくは、“ガチムチパンツレスリング”の方ね。女子高生の反応が見たかったなぁ。

で、その後主人公の教え子の一人が『2ちゃんねる掲示板』のオカルト板でもって、誰かがうpした“呪いの動画”へのリンクを見つけるのですが、“404 File Not Found”つまりサーバーから動画は削除されていました。この“404 File Not Found”がフラグとなり、後ほど“呪いの動画”からの逆アクセスを受けるわけですが。

Sleipnir使って“Internet Archiveで検索”すれば、削除ファイルぐらい探せると思うんだけどね。

閑話休題。今回の貞子は邪眼的な呪い殺しはしてこないんです。ディスプレイから“手をガッ”って出して首を絞めてきたり、窓の外に突き飛ばしたり、『イーアルカンフー』とか『魁!男塾』の敵(※2)みたいに辮髪を投げて絡めとってきたりと、なんか基本的に“物理で殴る”攻撃ばっかりなんですよね。

(※2 中国清代初期、辮髪の習慣を活用した幻の拳法があった。修行には重さ100貫20寸角のダ鋼鉄を吊るし頭髪と首を鍛えたという。この拳法を会得するためには最低3個のダ鋼鉄を持ちあげ 自在にふりまわすだけの技量が要求された。:民明書房刊「中国拳法大武鑑」より)

でも、実は主人公の女教師こそ“念力で周囲を吹っ飛ばす”ことが出来る放出系の念能力者でしたー!というチート設定だったので、出てきた貞子もあっさり粉々に粉砕されます。(この飛び出す粉々ガラスカットも天丼で何回か見せられます。)最終的に超能力合戦になってしまうのは元からなんで深くつっこみませんけど。

実は“居合い斬りの達人”でもありましたー!ってシーンが何の説明もなく入ってるのはちょっと…。

主人公の女教師は“実は自ら吸血鬼ながらもその血の定めに抗うヴァンパイアハンターで”ぐらいの説明書きがないと納得できないような特撮アクションが、急に終盤に描かれ始めるのですが、もはや脚本面は無視して観ている分には最高にクールでスタイリッシュアクションだと思いました(棒)。

そんな女ブレイドと、量産型貞子の死闘を描く後半の特撮シーンはマジで見所満載です。

量産型貞子(逆M字開脚貞子)なんてCGかと思いきや“着ぐるみ”ですぜ。今時は仮面ライダーの敵ですらCG使うのに。おかげで、昭和の特撮ホラー全盛期特有のおどろおどろしさが全開です。モチーフはカマドウマ(※3)なんでしょうか。井戸の中にびっしりいる虫といえばカマドウマですよね。キュア・カマドウマでしょうか。

(※3 都会育ちの人は知らないかも。「カマドウマ」でぐぐってみてください。【閲覧注意】)

いや、マジで友達の家の井戸を開けたら中に隙間無くカマドウマ(通称:便所コオロギ)がびーっしりいたの見て未だにトラウマなんですよ。『借り暮らしのアリエッティ』にも出てきましたけど、かわいいアニメ絵でさえ小人の身の丈よりデカいあいつらがビョンコビョンコはねてるの見ただけでマジ卒倒すっわ。

自身のトラウマに支えられてなんとか自分でも“怖い映画”としての認識を保てた本作ではありますが。

正直後半の“昭和特撮ノリ”を楽しめない方や、“あえて変化のない天丼で笑いをとろうとする”3D要素を面白さと認識できない方にとっては、3Dメガネ叩き割りたいくらいの糞映画って思われても仕方がないんじゃないんかと思いますよ。特に、エンドクレジットの後の駄目押しのアレなんかね。

エンドクレジットを待たずして席を立たれた方も、アレを予想した上で席を立たれたんだと思います。

さすがに、これソフト化はされないんじゃないかな…。3Dで観なかったら意味ないにも程がありますし…。前作まであったクトゥルー要素もないし…。でも個人的には大好きな『リング』で、しかも特撮ホラーの3D映画だなんて、ほんっっっとに劇場で観ておいて良かったと思っていますよ。

あと、呪いの動画でぐぐったらこんなの出てきた。自己責任で。
http://www.youtube.com/watch?v=_F5BaBI_WrM

『貞子3D』 ネタバレなし

ストーリー部分のネタバレは回避しております。

貞子3D

2012年の日本映画。英勉監督作品。

人気ホラー作品『リング』シリーズの最新作。呪いのビデオから呪いの動画に移り変わり、クラウド内を自由に動く貞子と、 その周りで関係していく人達。3Dとなり恐怖感もさらにパワーアップ!!(公式宣伝文より)

クラウドですよ!クラウド!!

映画『リング』は自身が最も回数多く(昨日もまたナウシカ観たけどそれより多く)観てる作品なので、ぶっちゃけ滅茶苦茶好きです。(『リング』感想)でも、本作を「原作レイプだ!」と罵る声にはこう反論したい。「最初の映画時点で既に小説版の原作レイプじゃねーか!!」と。そういう意味で本作もそのへんは気になりませんでした。

確かに映画のデキとしては酷いと思いますよ。脚本の整合性なんてもう…。

でもね。別に映画館に脚本読みに来てるわけじゃないんで。そもそも3D映画で、ホラー映画なわけですよ。「貞子が飛び出してくるだけの映画なんだろうな!」なんてのは誰でも予想できるわけです。でも、『リング』シリーズ特有の薄気味悪さとか、水や海をモチーフにしたラヴクラフト的世界観が繰り広げられるわけで…。

1ミリも繰り広げられなかった。ただ、“貞子が飛び出してくるだけの映画”でした。

で、でもね。貞子が飛び出してるだけでも凄いことだと思うんです。世界を席捲したあの“貞子”は一体どのように飛び出してくるのか…。まずは井戸が映るのだろうか、這い寄って出てくるんでしょうか、あの生理的嫌悪感著しい呪いの映像はどうなるのか…。ブラクラみたいにただギャー!って出てくるだけじゃないだろうし…。

ただ、ブラクラみたいに「手がギャーッ」って出てくるだけでした。

しかもね、それが初回だけならまだいい。2回目、3回目、4回目、なんども全く同じ構図から「手がギャーッ」ってするだけ。いや、一応吃驚はするんだけどね。怖い…っていうのとは違うんですよね。まぁ、もはや貞子に怖さは求めてないから怖くなくてもいいっちゃいいんですけどね…。

むしろ、なんか回数を重ねるごとに…じわじわと笑いがこみ上げてくるんですよ。

お笑いの技法で言うところの“天丼(かぶせ)”ですよね。芸人がボケた場合、その内容は客の記憶の中に一定時間残る。その記憶を呼び起こすことで、共感と意外性を同時に生み出すという技。本人の意識では全く面白いと思って無い筈なのに笑ってしまう。一種の“呪い”とも言えるこの技法を貞子が使うようになるとは…。

クラウド言ってる自体で気づくべきでした。この映画はそういう映画だったんですよね。

でも、開き直って観るようにしてからは面白いわ面白いわ。ていうか、既に“テレビから霊が出てくる”っていう元の設定時点で、そういう映像化の方向性しかなかったのに、あれだけ名状しがたいモノを生み出した『リング』の方が凄すぎたんだわ。そして、本作は本作でやっぱり凄い。怖くは無いけど、凄くなくは全くないです。

特に後半、“昭和の特撮ホラー・SF全盛時代”を彷彿とさせる無理…じゃなくて超展開が待ち受けています。

そう、本作は“特撮映画”なのです。しかも“3Dで観られる特撮ホラー映画”なのです。「特撮映画は映画じゃない」とか思っているシャレオツスィーツどもは回れ右して帰るといいです。但し、特撮好きを自称するなら、本作が劇場公開されているうちに絶対に観ておくべき。3Dで観られるうちに観ておくべきです。

下手すると(下手しなくても)ソフト化されないですよ。完全に3D前提の作りしてますから。

「非3DやDVDやブルーレイでも売ろう」とか生半可な考えではなく、ド直球で「3D映画として売ってやる!」という覚悟がビシビシ伝わってきます。そんな“3D特撮ホラー邦画”なんて、おそらくもう2度と作られることはないでしょう。この機会を逃すのは、人生にとって大きな損失と言えるのではないでしょうか。

勿論、観た人はスタッフロールが終わるまで席を立ってはいけません。理由は…わかるよね?

あと、“『貞子3D』 ネタバレあり”も書きました。