『鉄鼠の檻』
『鉄鼠の檻』日小説
2001年。京極夏彦著。
箱根のお寺で坊さんがばんばん死ぬ話。
犯人の動機云々に禅宗の「悟り」について深く関わってくる内容のため、禅宗史や公案の理解、臨済宗と曹洞宗の教義の入門書として最適。
ちなみにまたうちの実家のお話です。
郷土史からお寺に関して調べていたところ、うちの実家のある村には、史実上「常陸西国三十三札所巡」の一つにあたるお寺が存在した。
‥らしい。
「三十三箇所」とは、奈良時代に徳道上人によって始められ、その跡江戸時代に流行った「観音信仰」に基づいて設置された三十三所を巡る巡礼行の霊場のこと。
それぞれの札所は法華経にある三十三観音(観世音菩薩)が、衆生救済を行った場所、例えば示現(人の姿になって奇跡を起こすこと)した伝説のある場所などに設置される。似たようなので「四国八十八箇所」が有名。あっちは空海だけど。
史実に添うならば、この「常陸西国三十三札所」の三十番にあたる千手観音を祀る施音山普門院示現寺というお寺が、実家のすぐ近くになければいけない筈なのだが。いかんせんそんなものは見たことも聞いたこともなく。親も知らないとのこと。
そこで、他の観音霊場でも同様のミッシングリンクがないかどうかを調査。すると「津軽三十三ヶ所観音霊場」にソレっぽい記述を発見。こういった観音霊場は明治期の神仏分離令により大打撃を受け、多くが失われてしまったとのこと。
神仏分離令とは、神道国教化の目的により仏教伝来以来の神仏習合を否定したもの。これにより廃仏毀釈運動が起こり、多くの仏教寺院・仏像・経巻が破毀されている。
鑑みるに、当時村の地主であり、赤紙(召集令状)を出してのちに戦犯として処罰されるような国家権力の下僕でもあったうちのご先祖さまが、率先してそのお寺を壊したというのは容易に想像がつく。
でも他の各地の霊場では、寺は壊しても仏像を壊すには忍びなく、新たに神社を立て、観音像を「御神体」として祀ってしまうという凄いことをしているところも多い。結果として霊場は残り、三十三箇所としての機能も保たれているので良いことだけど。逆に霊場を完全に喪失した村がダムに沈んだり疫病で壊滅したという話もあるくらい。
あぁ、また呪いが増えた。
そうなると、是が非でもその失われた千手観音の所在をつきとめたい。
↑どっかにこういうのがある筈
前に書いたうちの墓にある謎の石仏(弥勒菩薩)がソレでないことは明らかですが、ちょうど今週末に祖母の四十九日法要のため実家の菩提寺に行くことになっているので、そこの坊主に問いただしてみたいと思う。