てすかとりぽか

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『ローズ・イン・タイドランド』

ローズ・イン・タイドランド』英・カナダ映画

2006年・テリー・ギリアム監督。

ポール・バーホーベン監督が、子供向け映画だと思って観に来た親子にトラウマを植えつける天才だとしたら、テリー・ギリアムは「私、単館系しか観ないんです〜」みたいなオサレ映画好き気取りOLをどん底に落とし込む天才だと思った。

メディアでの紹介やトレイラーを観る限りでは、ちょっと空想がちな少女が不思議な世界に迷い込みむ『アメリ』みたいな話か、ちょっとブラックなこぶしが利いた「大人向け童話」に見える。確かにそんなではあるけど、本作はその想像を遥かに超えた、ギリアム風「暗黒アメリ」「玄人向け童話」である。

実際、上映中に「うっ」って口をおさえて劇場を出て行くおねいさんがいた。
黒さの彩度を測り違えると痛い目をみるトラップ映画でもある。

黒いとは言っても、ティム・バートン風の自虐的ブラックジョークとは異なり、直球の黒。ジョークで笑いをとるために「黒く作っている」のではなく、本気で感動させようとして作った「結果黒く」なっている。

ただ、日本人の感覚ではそれを「悪趣味」と呼んでしまう。その意図を汲み取って素直に楽しめる人間はわずかなのかもしれない。下手すると人権団体の抗議とかでDVDにならないかもしれない。

そんなわけで興味ある人は今のうちに観てください恵比寿ガーデンシネマ321930view002.jpg

↑主人公ローズ役ジョデル・フェルランド演技力とかわゆさは必見。
この子『サイレントヒル』にも出てるのね。

久々に好い映画なので以下、作品詳細&ネタバレ&長文。

アメリが「自分が世界を変えよう」というあくまで内的な要因で妄想・奇行に奔るのに対し、本作の主人公ローズはあくまで本人の意思に関わらない外的な要因故のソレである。
なにせ、彼女の周囲にはヤク中や知的障害者統合失調症気味な人間しかいないのだから。彼女は一般的な情操教育を受ける機会を長らく失しており、故に一般常識面から鑑みる彼女の行動や思想は妄想的で奇怪なものとなってしまうのも致し方ない。

彼女の妄想や奇行は、決して演出や音楽で誇張されすぎず、
むしろリアルで生々しくあるにも関わらず、
而して幻想的で美しいものである。

安楽椅子の上で死亡した父親の死に気づくことはなく、腐敗して蠅がぶんぶんいっちゃってるそのお腹の上で彼(死体)と会話しながら化粧を施す少女の無垢。彼女のボーイフレンドで知的障害を持つ青年もまた彼(死体)を綺麗だと羨む。さらに近所のアレな感じのおばさんは彼(死体)の臓物を引っ張り出して、美しいミイラに仕立て上げる。

常識的に見れば明らかに猟奇的なことなんだけれども、みんな善意でやっていること。
悲観すべき要素は微塵もないし、またそれを悲観と認識する人間もいない。
臓物を庭に埋めて、ミイラを食卓につかせ、4人(死体含む)で食事をするシーンなんて、
もう最高に美しく、喜劇的に描かれている。

悪魔のいけにえ』で殺人鬼レザーフェイスの一家が、主人公の女性を交えて食事をするシーンを思い出した。主人公の女性(&観客)から見れば発狂するほどの恐怖なのにも関わらず、レザーフェイスと特にその兄貴たちはとっても楽しそうだった。
ホラー映画とヒューマンドラマ、見せ方が違うだけでやってることは本当に同じ。

このシーンで「うっ」って口をおさえて劇場を出て行くおねいさんがいた。
彼女にはきっとローズの喜びもレザーフェイスの高揚も理解できないに違いない。
映画を楽しむ上で「最低限度のグロ耐性は必要」と改めて感じた。

映画好きなのにグロ耐性がないから『ゾンビ』が見れないって人はほんと損してるって。

話を戻して、日本人が死体に対するグロ認識が強いのにはちゃんと理由がある。日本では古来から神道や仏教における「穢れ信仰」があり、死・疫病・出産・月経・犯罪によって物理的ではない精神的・観念的な「汚れ」が生じると信じられてきた。お寺でお葬式をする場合でも遺体を本堂に上げなかったり、火葬の後に塩でお清めを行うのもこのため。つまり日本人は必要以上に死体に対して「汚いもの」「グロテスクなもの」という意識が強い。

逆に、西洋では死体は「神聖なもの」として、ミイラにして保存したり冷凍して展示したりもする。だからあっちの国の人は、この映画のような死体の扱いに対しても比較的寛容(寛容というかは知らないが)なのにも関わらず、日本人は「グロい」「悪趣味」と思うのは仕方ないのかも。

それにしてもギリアム監督、腐乱死体好きだよなぁ。
未来世紀ブラジル』でも「葬式でお棺ぶちまけシーン」あったしなぁ。
滝のように血肉骨ドグシャアァァァーってしてたもんなぁ。

で、何よりこの映画の真骨頂は、ローズと知的障害を持つ青年とのラブロマンスに尽きると思う。知的障害といっても『フォレストガンプ』みたいな「謙虚な障害」じゃない。『メリーに首ったけ』のメリーの弟みたいなもう「全力疾走の障害」。そんな彼とローズが繰り広げる「全力疾走妄想奇行恋愛ごっこ」に涙がとまらなくなる筈。

この真っ白な(黒に黒を足すと白になるんだ!)純白無垢のラブストーリーも、知的・身体障害者を「相談学級」や「精神病院」に隔離する日本の風土には合わないんだなあ。「障害者を映画にするなんて人権侵害だ!」とかいう馬鹿が出てくるもんなあ。

アメリカではチャレンジド(障害者)であるほうが社会に認められるということもあって、「努力して障害者になる人」もいるぐらいなのに。

最後に、ギリアム監督はこの映画で、昨今のファンタジーブームへのアンチテーゼをしたかったのではないかと。「おまいらリアルの方がよっぽどファンタジーですよ!」と。