てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』

新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に

新劇場版を観た勢いで借りてきてみてます。10年ぶり。1997年て、まだ高校出たばっかの頃ですよ。地元の映画館で客が自分とおじいちゃんとその孫(5歳位)しかいなかったのを覚えてます。

当時うすぼんやりしながら見て、何だか意味わかんなくても、解説本とか見てわかったような感じになって、知識欲を満たした気でいるのが正しいこの作品の楽しみ方だと思ってました。作者(庵野監督)も、ぶっちゃけたところなんにもかんがえてねーんだろー?と思ってました。

んでも、10年たって、自分もゲームを作ったり、運営したりする仕事を色々やって、現実と虚構と自分と他人の区別がつかなくなっちゃったハンパなくかわいそうな人たちにたくさんたくさんたーくさん触れてきた後だと、ものすごーくすんなりこの映画を楽しむことができたのでした。

現実世界で酷い目にあった人間は、その責任を世界の製作者たる神へと転嫁し、救いを求める。それが宗教という機能だったのですが。その宗教がうまく機能しなくなった昨今、現実世界で拒絶された人間は虚構の世界に逃げ込んじゃうようになりました。でも、たびたびその虚構の世界からも拒絶されてしまうかわいそうな人たちもいるんですね。

そうした彼らは、虚構の世界の製作者に救いを求める。でも、所詮アニメの監督やゲームの運営者はキリストや仏陀ではないので救えませんがね。救われないとなると、こんどはその責任を求めてくる。もう死ぬ、殺したのはお前らだ、だからお前らも死ねと言う。そら、努力した結果、毎日そんな声聞いてたら製作者もやんなりますって。

だったら、そんな奴らはつっぱねるか。もしくは逆にとことん救ってやるしかないです。そう考えると宗教団体が作るアニメやゲームなんかもっとたくさんあってもいいと思うし。オンラインゲーム内で宗教活動を制限する理由なんかもないと思う。だから『セカンドライフ』に参入してきた、浄土真宗本願寺派なんてすごく評価します。どんなアレな宗教に入ろうが死ぬよりはマシ。

とうわけでしばらく台湾行ってきます。
もちろん飛行機は中華航空