てすかとりぽか

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『魍魎の匣』 好い京極堂

魍魎の匣

2007年。原田眞人監督。京極夏彦原作小説の映画版。
ワーナーマイカルシネマズ板橋で封切り日に観て来ました。
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前作『姑獲鳥の夏』の映画版(実相寺昭雄監督作品)があまりにもあんまりだったので、もう続編の映画化もないだろうと思ってましたが、なんかやってくれたみたいで良か良か。

結論から申し上げますと、本作は個人的にガチで好いです!

前作の映画版からキャストはそのまま移行(関口以外)しつつも、世界観からキャラクター設定を完全に一新して作り直した感があります。また、「原作小説の映画化」という意味では、「個人的に一番好い形」を見せてもらえましたので、かなり満足しております。

この「個人的に一番好い小説の映画化の形」について少々。まず「原作の維持」という点がありますが、ストーリーについてはあんだけ糞ブ厚い小説本を2時間に収めるってのがどだい無理なお話。だったら、一度ストーリー構成を解体しちゃって、主軸と要点のみを残して再構築するってことがまず必要だと思います。コアな原作厨の皆さんはこういうストーリーの改変が赦せないっていうけれど、そういう方はあらかじめ「これは2時間で映像化するために書かれたストーリーではない」ってことをちゃんと理解してやってください。

本作も、ストーリーに関しては原作から大幅に改編されています。ただし、その主軸である「物語のテーマ」と、要点である「面白い場面」はほぼ完全な形で残されています。むしろ、その主軸と要点を光り輝かせるためだけに、無駄な贅肉をそぎ落としているともとれます。結果として、「原作ストーリーを余さず盛り込んだけど、駆け足すぎてわけわかんない話」になった『ダヴィンチ某』みたいなことにはならず、「原作の要点だけをきっちりおさえた上で、程よいテンポでわかりやすい話」になっています。

また、本作では各キャラクターの性格が原作本文とだいぶ違うテイストで描かれています。この点も原作厨の方々にとっては我慢ならないところかとは思いますが、そこはあえて否定しません。よくしゃべる関口やドジな京極堂をキライな人はキライだと思います。ただ、個人的には本作のキャラクター設定は大当たりだと思ってます。

おそらく、原作の描写のキャラクターをそのまま映像化しただけだったら、関口も京極堂もひどくつまんないキャラだったに違いありません。そもそも原作本文に描かれている関口や京極堂や榎津の性格は、主に関口などの「語り手のキャラクターが見たイメージ」であり、あくまで一キャラクターの個人的主観を読者が共有してるに過ぎないわけです。「他人の主観の話」と「実際に自身が見るもの」とでは根本的に情報量に差異がありますので、映像化の際にはビジュアル的なキャラクター情報の追加以外にも、「リアルな人物像の描写を目的としたパーソナリティの追加・改変」は必要不可欠なもの考えますがどうでしょう。

実際、本作では原作小説に書いてあるような「口数が少なく陰鬱な関口」ではなく、「口数が多くてウザい関口」が描かれています。どっちが関口らしいかって言うなら人それぞれだと思いますが、個人的には「関口は自分自身を口数が少なく陰鬱な人間だと思っているけど、実際に周囲にいたら、そのコンプレックスの反面よくしゃべってウザい奴だろうな」と思いますので、後者のほうの関口像のほうがしっくりきたわけです。むしろ映画版『姑獲鳥の夏』の「陰鬱なだけの関口」を観てて何も面白くなかったし。

こうして読者が原作本文から脳内補完して楽しんでる部分に、最も近い形を映像として提供することができる人こそが、優秀な映画クリエイターなんだと思います。「京極堂ってなにげに中二病でドジだったりするんだろうな」とか、「榎木津は襲い受け」とか。それこそ同人誌に書かれてそうな、原作本文に描かれていないキャラクター情報、つまりユーザートレンドの中に垣間見える非公式なキャラクター情報さえ正確にキャッチする能力も必要なんでしょうよ。

そういうわけで、個人的には既にだいぶ絶賛することとなってる本作ですが、何より京極堂の「呪い薀蓄」がちゃんと入っていることと、「物語終盤でバラバラだったストーリーのリンクがどんどんつながっていく京極作品の気持ちよさ」がちゃんと体感できるという点が何より好いです。さすが『金融腐食列島-呪縛-』みたいなこむつかしい内容をわかりやすく魅せる映画を撮ってる原田監督だと思いました。是非、続編もこの監督さまでお願いいたします!

追伸:
なんか作中に見慣れた光景が多いなとか思ってたら、エンドクレジットのロケーション地に、我が故郷「茨城県 筑西市」が載ってました。なんか「都心に一番近いド田舎」という理由で映画のロケとかによく使われてますよねあの市‥。