てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『ハプニング』 やおい

「ポニョ」ぬいぐるみ(半魚人M)をローソンで予約してきました。MってことはLサイズもあるんだろうね。「ポニョ」って魚の時は魚サイズ。人間の時は5歳時サイズなのに、半魚人の時だけ「異様に大きかったような気がする」のは自分の脳みそが腐ってるせいかな。

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ハプニング

2008年アメリカ映画。M・ナイト・シャマラン監督。ワーナー・マイカルシネマズ板橋にて鑑賞。この監督さんの映画は、みんな「落ち」を期待して観にいくみたいです。んで「落ち」以外の部分は結構どうでもいいみたいです。実際「落ち」が好かった映画って『シックスセンス』だけだと思うし、(『サイン』のオチは違う意味で好きですけど。)本当に面白いのって「観にいく前(予告編)」と「起承転結の結を除いた部分」だと思うんですがどうでしょう。それなのに「落ち」しか興味ないっていうのは本当勿体無い。

そういうわけで、今回「も」特に「落ち」がないお話です。なので、「落ち」しか期待してない人は、お金払ってまで観るもんじゃないかなと思います。それでもこの作品を観て、「オチがないからつまらない!」って批評する人が多そうですけど、もしこの監督の今までの作品を観てきた上でそう言ってるのであれば、さすがにドMだと思いますよ。わかってるでしょうよ、この監督の性格…。

でもって、やっぱり冒頭から中盤までの話の盛り上げ方は最高に旨かったです。ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』の冒頭みたいに、何がなんだかわかんないけど、「地獄の蓋が開いてしまった系の恐怖」、とりあえず「そんじょそこらのホラー映画では絶対に味わえない恐怖」を存分に味わうことができます。だもんで、非モンスター系のホラー、シチュエーションホラーが好きな人にはオススメです。

ただ、最近あっちで流行ってるんでしょうか、妙に「物語の本筋と関係ない話を随所に挟む」ことで、リアルな不安感を煽ろうと狙ってるのがいただけません。最近観た映画の中では『クローバーフィールド』とかそれがすごくうまくて好かったんだけど、今作のはなんかいちいち話の腰を折ってヤな感じです。謎の人形ばあさんの話とかもうちょっと掘り下げるか、むしろ完全に無かったほうが好かったのに。

悪く言えば、あのばあさんの話は「時間かせぎ」。『ドラゴンボール』で言うところの、悟空さが何度も「ヘビの道」から落っこちたりするあのへんのなんかアレな感じに似てるなあ。

閑話休題。もの書く人間には3種類の人間がいます。「落ちから考えて書く人」と「とりあえず書きはじめてから落ちを考える人」、「最初から落とす気がない人」。「落ちが先か後か」なんていうのは、あくまで書き手の性格の問題なのでどうでもいいですけど、「落ちがあるかないか」って部分は、個人差こそあれ、作品の面白さにはさしたる影響はないじゃないかなと思っています。

それでもやはり「落ち」が求められるっていうのは、あくまで「商業主義的な作品の面白さ」を考えた場合なんじゃないかなと。「落ちがないと面白くない」というより、「落ちがないと売れない」。それどころか、「ラストは常にハッピーエンドでなくてはならない」とか、そういう呪縛。

当然、あまねく多くの人が鑑賞することを目的としている点で、商業主義的な作品の面白さを否定するわけではないんですが、そういう流れからハリウッド映画がどんどんテンプレート化されちゃって、結果「みんな『ランボー』か『コマンドー』じゃねえか!」ということになり、観客離れが加速、さらに脚本不足やらの問題にも繋がってるわけですよね。

対して、同人誌とか基本的に「落ち」ないですし。(いや、中にはがんばって「落ち」をつける人もいっぱいいますよ!)それでも、好きな人は好きですし。実際へたなプロよりも商売がなりたっちゃうぐらい売れてる人もたくさんおります。(自分の周囲だけかもしれないけど…。)それらを人括りにして「やおい」って言うのはちょっと違いますが、そういう物語を楽しめる人間が増えている=「落ちの有無に関係なく作品を楽しめる人間が増えている」って解釈もできそうです。

だいたいそんな感じで、落ちがあるとかないとか関係なく、シャマラン監督は「全くテンプレっぽくない創りなわりに、変に芸術家ぶらず、ハリウッドの一線でエンタメ作品?を創りつづけている」って意味で個人的に好きな監督さんなのです。

ただ、さすがに今作までコケると、もう先がなさそうだなあ…。