てすかとりぽか

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『ミスト』 20年越しの霧

ミスト

2007年アメリカ映画。フランク・ダラボン監督でスティーヴン・キング原作って言ったら、『ショーシャンクの空に』と『グリーンマイル』をやった超絶安牌なコンビなわけです。

そうでなくとも、この映画の原作『霧』は、小学生の頃に初めて買って読んだS・キングの本(たしか『骸骨乗組員』っていう短編集だった気ガスる。)に載ってたやつなので、妙に思い入れがあったりします。(それで夏休みの読書感想文書いた気モスる。)

以下、ラストのネタバレだけはしないように感想ります。
一応映画のコピーが「映画史上かつてない、震撼のラスト15分」なんでね…。

物語は、とあるアメリカの田舎街にて、大嵐の後に濃霧が発生するところから始まります。原作文中で「壁みたいな霧」と表現されていたように、1m先も見えないような真っ白な霧に覆われ、スーパーマーケットの中で立ち往生する人々。

そして、「霧の中に何かいる!」という一声から、B級ホラーおよびクトゥルフテイスト溢れる物語へと没入していきます。原作がクトゥルフ神話大系を意識してるのは確定的に明らかなので、その流れを忠実に「見た目」で表してくれたのは嬉しい限りです。

ただし、「這いよる触手」だの「異次元からの」だのいうテンプレのB級ホラーで済ませないのが今作の妙。本当に怖いのは「霧の中」つまり「ガラス壁の外側にいる何か」なんかではなくて、「ガラス壁の内側にいる人間」と「時間軸の先にある絶望」なんだと。

特に、最初はただのキチ○イ扱いされてた「旧約聖書ヲタ」のおばちゃんが、事態の進展とともに徐々に周囲の共感を経て新興宗教の教祖化して「贖罪」だの「生贄」だのシュプレヒコールし出すあたりは、鳥肌もの。まさに狂気こそ恐怖。

原作では、この宗教おばちゃんのへんはもっとさっくり描かれてましたが、今作では明らかにメインのエピソードに充てられてます。そのせいか、物語の終盤に向けて描かれるテーマはだいぶ原作とは違うベクトルに向かっているようです。

原作での霧の発生要因は「軍による事故かも?」ってぐらいの扱いで、あくまで「読者の想像力に投げっぱなしジャーマン!」な感じでした。それ故に「不条理に晒された人々が体感する恐怖」がテーマなんだと感じられました。

対して、今作では霧の発生要因を「軍による事故」とした上に、それは「人の傲慢さ故の神罰である」という理由づけが、この宗教ババアの大抜擢によって強調されています。それ故に「神に対する不敬、傲慢を戒めよ!」というテーマが感じられてしまいます。

正直、「またユダヤの息がかかった映画か!」と思って逆に小躍り。陰謀大好き。

で、「映画史上かつてない、震撼のラスト15分」の件ですが。どうやら監督がS・キングに許可とってつけ足した部分なんですね。スティーヴ!スティーヴ!ちょっと、すごいラスト考えちゃったんだけど、映画にしておk?的な感じで。

ちなみに原作は、霧の中で「シェンガオレン」が頭上を通り過ぎていくとこで、「この先に待つのは希望か絶望か、そのへんは読者のご想像に投げっぱなしパワーボム!」な感じで終わります。

今作は、その回答が"非常に克明に描かれて"しまいます。

一部のレビューを見ると、既に書かれちゃってるところも多いのですが、本当に「震撼」したいのであれば、"絶対に読まないで観たほうがいい"と思います。思いますていうか断言します。その上で「何が震撼だ!サイテーのラストだ!」って結論になるかもだけれど。

個人的には、20年近くモヤモヤしてた「霧が晴れた」ので、とりあえず好いです。