てすかとりぽか

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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 考察

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

感想は昨日書いたので割愛。

>>『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 感想

観てから1日たって、ようやくなんだかいろいろ考えるようになりました。中二病的にかっこいい言い方をするなら「考察」というやつですね。きんもー。庵野監督もこうやって勝手に妄想を繰り広げては深読みする連中に「お前らキモッ!いいかげん現実をみやがれ!」と突きつけたのが旧劇場版だったわけですけど。

そもそもこの物語ってそこまで厳密に意図した隠喩なんてないです。「死海文書」とか「ネブカドネザルの鍵」とか、わざと中二病が飛びつきやすいようなもっともらしい単語並べて客を考え込ませ、商品としての消費速度を遅らせるのが目的なわけです。そういう意味では『崖の上のポニョ』の方がまだ考察のしがいがあります。

しかし、キモイと言われても、不毛と知っていても、考察をしてしまうサガ…。
だってキモオタなんだから仕方ないじゃないかッ!!

以下ネタバレ含むのでご注意を。

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ネブカドネザルの鍵とバベルの塔について

今回の新劇場版で個人的に気になった中二ワードは、「ネブカドネザルの鍵」なんですけれども。それを入手してほくそ笑むシンジのお父ちゃんを見る限り、ゼーレが進める補完計画とはまた別の目的、つまりお父ちゃんが進める「真のエヴァンゲリオンの覚醒」に関連するものなんではないんでしょうか。

そもそも、ネブカドネザルとは。『マトリックス』でも出てきた単語(船の名前)ですけど、旧約聖書中に「ネブカドネツァル」として登場する新バビロニア王国の王様で、かの「バビロン捕囚」を行なった人です。また、バビロンのマルドゥク神殿とジッグラトという巨大建造物を作ったことでも有名な人です。

ジッグラトは螺旋階段状の建造物と伝えられていますので、よく宗教画なんかで見かけるドラクエの塔みたいなアレです。「バベルの塔」です。こちらはいわずもがな旧約聖書の「創世記」に登場する、塔を築いて神(天)に近づこうとした人間たちを戒めるべく、神が人間の言葉を複数に別けて争わせるようにしたという話。

小学生の頃、ファミコンの「バベルの塔」をやりすぎて高熱を出したことを思い出しました。
たぶん、これも神に近づきすぎたために罰があたったんでしょう。

つまり、「ネブカドネザルの鍵」とは、お父ちゃんによる「真のエヴァンゲリオンの覚醒をもって神に近づく」という目的に用いられるものなんじゃないかな。実際、物語の終盤でエヴァンゲリオン初号機は、シンジとレイによる「ぽかぽか」をもってヒトを超えた存在、つまり神へと覚醒しはじめるわけですけれども。

で、そこを空気読めないカオルくんと六号機によって水を差されるわけなんですれども。水というか槍をぷすって。これをバベルの塔の伝説における「神罰」とみるのであれば、せっかくコミュニケーション不全を改善して「ぽかぽか」し始めた二人が再びディスコミュニケーション(言語を乱されて争う)状態になるわけですね。

そうなると、「今度こそ君だけでも救ってみせる」ってカオルくんの台詞は嫉妬以外の何者でもないように聴こえますけど…。この台詞は過去世界(旧劇場版の世界)からのメタな干渉であり、カオル君ならびにゼーレの目的はその鬱エンドを覆し物語をハッピーエンドと変えること、これ即ち「破」なりとする見方もできますね。

いずれにしても、シンジとレイはそんな世界の思惑やらディスコミュニケーション攻撃すらも跳ね返し、ラブラブならぬ「石破ぽかぽか天驚拳ーーーーーッ!!」を放って真のハッピーエンディングを見せてくれることを期待しています。そういや、なんか『Gガンダム』の最終話に似てるよなあ終盤の展開。

■裸ウォークマンと死者復活とマイケル・ジャクソン

そういえば、終盤でシンジがレイをひっぱりあげるシーンのあたりで、何故か日本神話の黄泉比良坂のことを思い出しました。イザナギが死んだ妻のイザナミを追って黄泉の国に至るも、蛆虫に喰われた妻の姿におそれおののき逃げ帰ってくるというお話。シンジはそこで逃げなかったわけなんですけど。

こうした「配偶者または親類の死を悼み、死後の世界に出向いた男が逃げ帰る。または死者を連れ帰って蘇生させる。」というパターンのお話は、ギリシャ神話をはじめ、日本の『小栗半官』や『日本霊異記』、中国の『捜神記』や『太平広記』に『聊斎志異』、果てはラブレーの『パンタグリュエル物語』まで世界中にみられます。

ただ、なんでそんなことが気になったのかというと、レイ救出シーンの見た目的な印象だけではなく、あの時彼女の状態、すっ裸にウォークマン装備。即ち「裸ウォークマン状態」におけるウォークマン、つまり音楽ないし楽器を何らかの神話的な触媒とみなす意味があるんじゃないかと引っかかってただけなのですけど。

ちなみに、ギリシャ神話に出てくる吟遊詩人のオルフェウスのお話では、彼の奥さんが毒蛇にかまれて死んだとき、彼もやっぱり冥府に行ったのですけど。彼はその竪琴の音色で番犬ケルベロスやら冥王ハデスやらをかどわかして、みごと奥さんを奪還してくるわけなんですね。

この「音楽または楽器を媒介にした死者の復活」も、新約聖書の「黙示録」にある最後の審判における「7つのラッパ」をはじめとして、中国の『霊幻道士』など世界中の伝承に多くみられるパターンです。故マイケル・ジャクソンの『スリラー』でも、音楽にあわせて死者(ゾンビ)が復活して踊ってたし。

よし、うまいことマイケルにつながったぞ。
ご冥福をお祈りさせていただきます。