てすかとりぽか

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『劇場版 涼宮ハルヒの消失』 考察考

"アニメ映画のタイトルに半角スペース空けて「考察」ってタイトルつけると、アクセス数が跳ね上がる。"

というのは、あくまで自分個人による経験則と統計により得られた、ブログのアクセス数が急上昇した際の一要因にすぎません。さらに、つけ加えるなら"封切当日かその数日以内にそれを行うこと"と、"最低限は考察っぽく読める小賢しいネタをでっちあげること"も必要条件に含まれるかなと思います。

今回はその必要条件のうち2つを満たしていませんし、そもそもアクセス数を稼いでアフィリエイトで大金持ちだぜって考えは持ち合わせてもいないのでどうということはないのですが。ほんとにその3つの条件を実行するだけで、見ず知らずの人がたくさん押し寄せてきてレスをくれたりするようになります。統計的な数にも出てます。

そんな馬鹿な。と思われるかもしれませんが、特に3つ目の"最低限考察っぽく読める小賢しいネタのでっちあげ"に関しては、劇中にあった意味深な台詞や単語を帰ってからぐぐったりWikipeで調べたりして、元ネタっぽい話を書いただけ(もしくは他の物語や神話からでっちあげただけ。)なのに、感心してくれる人もいるのです。

そうした嘘のでっちあげ話が、いろんな場所でポストされ広がることにより、いつしか「正式な元ネタ」としても扱われるようになったり、巡り巡って他人から聞かされたりすると、ひどく罪悪感を感じます。でも、似たような悪辣なことを考える人はどこにでもいるんだから、自分のせいって思うのは自意識過剰ですけどね。

というような話を書いたのも。この映画、考察するようなことがホントに何もないんですよ。

劇場版 涼宮ハルヒの消失

2010年の日本のアニメ映画。石原立也武本康弘監督作品。

最近のいわゆるヲタ向けアニメ映画(であることは誰も否定しないとは思いますが。)にしては珍しく、あれこれ考察させる余地を挟まない、観た後にモヤモヤが残らない、良い意味で期待を裏切る清々しい作品でした。あまりに疑問符が少なすぎて、所謂「考察ヲタ」の人たちは不満かもしれませんが、個人的にはこれで好いです。

そもそも、昨今のアニメ映画は「深読まれ」を狙いすぎです。あのジブリですらそうです。

まぁ、個人的にそういうモヤモヤした映画も好きは好きなんで、それが悪いことだとまでは言いませんが。稀に何も意図せずテキトーに作った上で、「この映画の面白さはお客様の感性次第です。」って投げっぱなしにして楽しようとする輩がいるのが嫌いなんです。今作は、ある意味そういう映画の対極にある作品です。

決して単純ではない物語を、繊細かつ丁寧に、誰にでもわかるように噛み砕いて魅せてくれます。

原作小説は未読なので、元から文章が秀逸なのか、映画脚本が素晴らしいのかはわかりません。ただ、それを生かすシーン割りに作画演出に声演、その全てが首尾一貫して「わかりやすさ」を第一に考えてるのがよくわかります。チームでの開発業務の中で、一人でもヒネた人間がいるとできない芸当ですよコレ。

だから、観た映像に対して、製作者が意図した以外の解釈を差し挟むべき隙がない。考察の必要がないのです。

逆に、この作品について自分なりの解釈を求めようとしている人、「あのシーンは私なりにこう解釈した!」って人がいたとしたら、それは単に感度が悪いだけじゃんと。答えは全部映画の中にあるし。曖昧模糊な表現を汲み取るとか、表情から察するとかでなく、明確な言葉でちゃんと説明してくれてるんだから。

あ、でもTVアニメ版の方は最低限全部観てからじゃないとダメですよ。
そこはホラ、ヲタ向けアニメ映画なので。空気読んでください。