てすかとりぽか

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『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』 働いたら負け

リアルでデスマーチ的な週に限って、TSUTAYAがこんな映画のDVDをよこしてきます。

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

2009年の日本映画。佐藤祐市監督作品。

2chの「ニュース速報(VIP)板」にて、2007年11月から12月にかけて書き込まれた内容を元に書籍化されたものが原作の映画という意味では、第2の『電車男』的マルチメディア作品。「ブラック会社」とは、「労働環境や待遇が劣悪な会社」を揶揄するネットスラング。ちなみに原作本の感想文はコチラです。

映画としては、さすが『キサラギ』の監督さんだけあって、原作の面白さを忠実に再現してます。

そうなると、後はお話の内容についてなんですけど、原作本を読んだ時とあんまり感想は変わんない。一番悪く描かれているリーダーはよくいる頭悪い体育会系の人だけど、使いようによっては使えるし。ガンオタの井出さんは無視しとけばいいし。下剋上後輩の木村くんを指さしてダメな後輩と思う先輩の方がむしろダメ。

正直、全然ブラック会社だと思わない。それどころか、藤田さんがいる時点で神職場すぐる。

そもそも、企業の目的は利益の追求です。いい会社=利益を出す会社って観点からであれば、不用なコストを削減できる会社=劣悪な環境でも成果を上げられる会社=ブラック会社=いい会社ってわけです。逆に、ブラックじゃない会社ほど生産効率が悪いダメな会社なので。結果的に待遇は悪いブラック会社になります。

要するに、程度の差こそあれ、ブラック要素のない会社なんかねーってことです。

その「程度の差」って部分を気にするのであれば、あらかじめ「ブラック企業就職偏差値ランキング」とか見て情報収集するなりして、なるべくそういう会社に入らないようにするのは本人の責任。そういう努力もしないで「うちの会社はブラックだ」とかいう奴こそ、ブラック社員。そういう奴ばかりいる会社こそが真のブラック会社です。

こういうことばかり言うと「この社畜がッ!!」って言われそうなので、方向性を変えましょうか。

本作の主人公であり、2chのスレ主でもある「マ男」くん。中卒で職歴もなく、長年ニートを続けてきた彼は、母親の死をきっかけに働くことを決心します。職場では様々ないじめやデスマーチに遭遇する中、父親の急病によりいよいよ退路を断たれた彼。何度も退職を考えつつも、最後まで逃げずに前進することを決意します。

はたしてこれは「前進」なんでしょうか?自分には「逃げ」にしか見えないんですけど。

ニートから脱出して働く」ことが何故前進と言えるのでしょうか?そんなに働かないことはダメなことで、働く人間はエライのでしょうか?古来より、不労というものは「働く必要のない」特権階級の持つ権利です。そして現代の特権階級であるニートを支えているのは、高度経済成長を支え、継続して高い取得を有するその親世代です。

不況により若者が能力に応じた高給を得られない今、その権利を行使することはある意味賢いことです。

彼もまた、その特権に甘んじることのできる権利者でした。しかし、母の死と父の急病により、「両親の稼ぎという後ろ盾を失い働かざるを得なくなった」というのが正しい。「人生に立ち向かう」とか「普通になりたい」なんてのはまさに逃げ口上。「ニート」でいられる権利を失った「人生の負け組」に過ぎません。

「働いたら負けだと思う。」というのは普遍的真理。そうです、彼は人生に負けたのです。

そういう自分も負け組です。そりゃ、できることならニートをしながら毎日オンラインゲームばっかりやってたいですよ。でも、経済状況がそんなことは許しませんでした。働かなければ食えないし、死ぬのです。仕方なく「ゲーム会社で働きたかった」という嘘の逃げ口上を立て、唇を噛みしめながら辛い労働に耐えているのです。

そもそも、日本は「農政」というシステムの結果として、ニートを量産しています。

日本の国の農業というのは、農作物を作ることを目的としていません。国が農家に対して様々な助成金を出すことと引換えに、選挙における支持基盤を盤石にするための国体維持システムに過ぎません。世界的に見ても高い農業人口と生産性を持つにも関わらず、食料自給率低下という魔法により助成金は維持されています。
(※参考文献『日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率講談社プラスアルファ新書)

その国家から支払われる莫大な助成金に甘んじる農家の長男は、すべからくニートです。

田んぼと畑さえもっていて、農業を就業しているという証明さえあれば、助成金を受け取ることができます。実際に田んぼや畑を管理するのは親、耕作するのは大農家のプロ百姓や外国人労働者、農家の長男がすることは「農家を継ぐ」という意志表示以外何もないです。社会的な立場上もニート以外の何者でもありません。

自分の地元の同窓会に顔を出したとき、実質半数の人間がこういう「農政ニート」でした。

彼らはニートであることを恥じるどころか、皆示し合わせたがごとく「農家を継ぐ変わりに買ってもらった赤(もしくは白)のGTR」に乗り、普段はゲームしたりドライブしたりの日々を謳歌しています。いや、ほんとマジみんなGTRなんでウケますけど笑。農政が生んだニート、それはまさしく貴族、特権階級と言えるでしょう。

「働くものはエライ、働かないニートはダメ!」
そんな言葉は、現代の貴族主義への不満を逸らす為のデマゴーグにしか聞こえません。

本作は“現代の『蟹工船』”なんて言われ方をしていますが、実際は逆に体制側の暗部を包み隠すためのプロパガンダ作品だと思います。その虚言に惑わされ、本来働かずに充実したヴァナ生活を送れるはずだった人が、不必要な就業より心身ともに憔悴して自殺したなんて話を聞くたび、こうした作品の罪深さを感じますね。