てすかとりぽか

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『マイマイ新子と千年の魔法』 超おっさん向けアニメ

※※微妙にストーリー部分のネタバレを含みますので未鑑賞の場合はご注意を。※※

マイマイ新子と千年の魔法

高樹のぶ子の自伝的小説『マイマイ新子』を原作とするアニメーション映画。
片渕須直監督作品。文部科学省特選。

“地味すぎるアニメ映画が小さな町の映画館を満杯にした!”とか“50歳すぎのおっさんたちが観て泣いてる!”という、極めてセンセーショナルな話題性に釣られてみてしまいました。そういう煽りに比べたら、文科省特選なんて肩書きはなくてもいいぐらいです。そもそも、どういう意味で特選なのかは終にわからずじまい。

だって、どう考えても子供向けの映画ではないぜすぜコレ!!

ただ、『クレヨンしんちゃん』や最近のピクサー作品群のように、“子供向けだと思わせておいて、その実大人が観ても楽しめる”といった売り方はしてないし。そもそも、全国上映でない時点で、はなっから子供向けに売る気はなかったんでしょうね。そういう意味では、『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタル系なのかも。

そういう意味で、尚更文科省特選の意味はわからないのですが。まぁ、一応歴史モノだしってことで。

「昔はよかった。」とか「田舎はよかった。」とか、そういうノスタルジックな想いを全開にした作品。それにしては、『火垂るの墓』ほど戦時中で苦しい時代でもなく、『となりのトトロ』ほどユートピアでもない、微妙なラインの昭和30年代の農村を描いています。ジブリ的だけどジブリではない、そんな感じがしました。

自分は田舎育ちなんで、手放しで“田舎は良い”って描き方をする作品は、正直好きじゃないのです。

だって、スーパーはおろかコンビニに行くのだって車が必要な世界ですよ。ジャンプが読みたくても、自転車で数キロ先まで買いにいかないといけないし。行ったところで売り切れてるかもしれない。病気になっても医者がいない。そういうデメリットを差し置いて、空気がキレイだの水がキレイだのだけで田舎を賞賛すんなって。

それにつけても本作の描写は素晴らしい。まず、夕方出かけるのに懐中電灯を持って出てる。

夕方とはいえ、まだ日も沈みきっていない時間に懐中電灯はいらないでしょ?と思う人も多いでしょうけど。電燈の存在しない世界の夕方は、真夜中よりも暗いんですよ。まだ、夜中月明かりだけに照らされた世界の方が、周囲を視認しやすいのです。そうした、田舎暮らし特有のデメリットをしっかり描いてるんですね。

そして、決して少女たちが幻想世界に逃げ込む隙も与えず畳み掛ける、大人社会の非情な現実。

赤毛のアン』よろしく空想の世界に入り浸っている少女たちは、飼ってた金魚を殺してしまう。しかし、そんなものは鬱ルートに入る前のほんのジャブに過ぎません。金魚に名前をもらった憧れの女性教師が実は不倫女だったと知ったり、親友の父親が悪い女にひっかかって借金苦に首吊り自殺をしたりと、怒涛のデンプシーロール

空想少女物語から唐突なホラー展開。P・ジャクソン監督『乙女の祈り』ですかっ!?

そんな流れで、父親を死に至らしめた“金髪女”を殴り殺すべく、木刀片手に赤線地帯に乗り込むたつよしと主人公新子。この作品が、ただの痛快アクション劇だったとしたら、この後苦戦しながらも、無事親の仇をぶんなぐってめでたしめでたしといったところだったでしょう。自分もそういう展開を予想してました。

しかしながら、物語は予想だにしない展開に。これには鳥肌がたちました。

正直、田舎の描写の辛辣さには目を見張ったものの、やはり何でこんな地味なアニメが評価を得てるんだろう?とはずっと疑問には感じてたんですね。ただ、バー・カリフォルニアでの1シーン。それだけで、自分は本作を高く評価します。まさしく、原作者の実体験だから書ける話。創作では紡げない物語をここに感じました。

逆に、なんでこの映画をアニメにしたんだろう?という想いも。絶対に子供向けじゃあないのに。

新子の創造する1000年前の世界と、貴伊子が迷い込む幻想世界を描くには、アニメの方が都合が好かったというのが正解なんでしょうけど。結果として、現実的な大人の世界の柵もアニメで描かれることによって、より斬新さを増して、観客の心を打った。と、いう前向きな考えもできるかもしれませんね。

もしかすると、実写で撮っていたとしたら、単に地味で日のあたらない凡作になっていたのかもね。

夢見がちな少女たちが大人社会の現実にぶつかり、その世界を暴力によって否定した『乙女の祈り』。同じ境遇にあり、一度は暴力による否定へと走りながら、結果的に世界を受け入れて強く生きようとする本作。2つの作品の非凡さを考えると、他の空想少年少女作品が単なる“現実逃避”に根差したチンケな物語に見えます。

まぁ、実際に現実から逃げたい人も多いわけですから、そういう作品に需要があるのは仕方ないですけど。

だからこそ、たつよしの言った「俺はベーゴマの回し方を子供に教えられるような立派な大人になりたい。」的な言葉に重みを感じるのですね。現実を生きるということは、単に肉体的に成長することでも、また社会生活を送るということでもないわけで。大人としての社会的責任を全うするということにあるわけですから。

そんな言葉を、あんな小学生に言わせるとか。子供向けどころか、超おっさん向けアニメ映画ですよッ!!

あ、でもあのシーンで「俺は必ずお前を迎えにくる!」とか「結婚しよう!」とか、たつよしが言い出さないかヒヤヒヤしてました。もし言ったら、一瞬で掌を返して「こんくそリア充映画めがっ!!」と憤り、泣き、少し笑って、そしてまた泣いていたことでしょう。先日録画した『耳をすませば』はまだ観てません。