てすかとりぽか

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『猿の惑星:創世記』 マルフォイ君と『クローズZERO』

マルフォイ君と『クローズZERO』に関する記述のみネタバレを含みます。

猿の惑星:創世記

2011年のアメリカ映画。ルパート・ワイアット監督。

猿の惑星』といえば北米では国民的な人気を誇る映画シリーズ。ひょんなことから行き着いた惑星は猿達が支配する世界。そんなハードコアかつ政治的メタファー溢れたSF作品。当然、自分もそれを期待して劇場に足を運んだところ、隣に座ってるカップルの女の方がこんなこと言い出したのです。

「あたし動物系の映画観ると泣いちゃうんですよね〜。」

猿の惑星』を“動物モノ”として見る視点はなかった。そういや、TVCMでは女子サッカーの人が「『猿の惑星』で泣けるとは思ってませんでした〜」って言ってた。だから、劇場を見回しても、若い女性の姿が多いのか。もしかしたら、“ハードコアなSF映画”と勘違いしてるのは自分の方じゃないのか。不安になってきた。

そして鑑賞後。間違ってたのは自分の方でした。ちゃんと“泣ける『猿の惑星』”してました。

いや、厳密には“血なまぐさい動物モノ”と言うべきでしょう。現に、隣のカップルは途中で席を立っていなくなってたし。てゆか、最初は満席だったはずの池袋HUMAXシネマズの大型劇場は、エンドロールの開始を待たずしてぽつぽつと空席が目立つように…。俗に言う“動物モノ”を期待した人にはキツかったのかなぁ…。

実際、話の大筋は『ベイブ』とか『101』みたいな典型的な“動物モノ”と同じだなぁって思いました。

本来の種としての生き様から外れ、孤立した動物が、他種族の愛に触れ、しかし悪の手に落ち、他の動物達と結束して叛乱を起こし、安住の地を得る。そんな、わりとよくある“動物モノ”のテンプレートに沿ったお話だなぁと思いつつも、なぜか次に頭の中に浮かんできた映画は『クローズZERO』でした。

あっ、そうか。『クローズZERO』って“動物モノ”だったのか。

本作の主人公シーザー(チンパン)が猿の監獄でのし上がっていく様なんて、完全に“鈴蘭高校でてっぺんをとるソレ”に被って見えました。シーザーの毛が黒っぽくてふっくらズボンな感じも、短ランにボンタン穿いてる不良高校生をほうふつとさせられました。シーザーとマルフォイのタイマンとかマジヤベーッスよマジで。

そうそう、マルフォイ。マルフォイがすげーマルフォイしてて泣けました。

マルフォイってホラ、『ハリーポッター』シリーズのマルフォイ君ですよ。あいつが今作では猿の飼育員やってんですけど、シーザーにホースで水ぶっかけたり、電流ビリビリ棒で脅したり、ホント小者感全開で素敵なのです。小者役者ここに極まれりというか、この人一生マルフォイ役だけやって食っていけますよね。

ちなみに、アメリカでは“瓶ビールを箱ごと持ち歩いてる奴”って、“クズの隠喩”なんでしょうか。

そんなマルフォイ君の末路が観れただけでも、個人的にこの作品100点満点で好評価なのですが。ちゃんと正しい意味での泣き所も用意してあって、冗談抜きで“泣ける『猿の惑星』”は過剰広告ではないと思いました。あと、ちゃんと旧作ファンも楽しめる“微妙にわかりづらいネタ”もたくさん入ってますしね。

それでも、“警官隊が発砲し棍棒で殴りつけてくる『ベイブ 都会へ行く』”として観たらキツかったと思う。

根本的な話として、“『猿の惑星』がどんな話か?”っていうのを全く知らずに観たら、“血なまぐさい動物モノ”でしかなく、理解できない物語になってしまうという点はどうしても否めません。そんな大前提ありきの作品であるのに対し、あのテレビCMのやり方は、やはり褒められたものではないと思います。

配給会社視点で考えれば“日本でこの映画を売るためには…”という苦肉の策だとは思うのだけれど。

逆にアメリカでは、『猿の惑星』なんて幼稚園児でも知ってる話ですから、そんな心配いらないわけですよね。例えるなら、日本で“ドラえもん誕生秘話”を観せるのに「ドラえもんってどんな話?」って心配はいらないわけです。『ヤング島耕作』を読むのに『課長島耕作』を読んでるのは当然なのです。違うか。

せめて公開前日の金曜ロードショーで…いや、午後ローでいいから旧作やってほしかったですね。
ビッグダディ』とかやんなくていいので。いや、アレはアレで“もっと血なまぐさい動物モノ”だけど。