てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『ドラゴン・タトゥーの女』 と 『逆襲のシャア』

ドラゴン・タトゥーの女

2011年のアメリカ映画。(2009年のスウェーデン同名作品のリメイク版)デヴィッド・フィンチャー監督作品。

原作未読なので、正直よくわからんかった部分も多かったんですけど、概ね面白かったです。今回の感想文については、ネタバレするような書き方はしないつもりですが、オチの部分の感想に触れますので、察しの言い方は読めてしまうかと思いますので、予めご注意いただけましたら幸いです。

本作は、題名にもなってるヒロインのリスベット(ルーニー・マーラ)が何よりの見所です。

はっきり言ってこの作品、このリスベットが好みのタイプか否かでだいぶ印象が変わると思うんですよね。「中学生時代のあだ名はドラゴンでした」みたいな感じや、「悲しみと苦しみを題材に詩を作るのが趣味で全体主義が大嫌い」みたいなゴスゴスしさを“かわいい”に転換できるのであれば。

でも、自分ぜんぜん全く1ミリも趣味じゃないんですよリスベット。

“萌えどころ”が理解らないわけではないんですけど。スパーハカーで冷静で几帳面で時に残虐で仕事の上ではパーペキ(葛城ミサト風)なのに、それ以外では割とドジっ子で儚げでファザコンで。親愛というかそういう感情を示す手段として「とりあえずセックスっしょ?」ってあたりとか。

それでいて、朝起きたらごはんとかちゃんと作っちゃってくれてるところとか。

正直、掠りもしないんですよ自分のセンサーには。センサーが壊れてるのかもしれないけど、ぶっちゃけていうと“男にとって都合の良い要素”ばかりで構成されてる女の子なんですよね。仕事の相棒として最高で、若くて、ご飯も作れて、セックスが好きで、しかも後腐れないとか。

しかも後腐れないとか。

この作品のテーマって、そりゃあの“問題のシーン”を観ればアホでもわかるほど単純明快な“男性性への蔑視”だと思ったんですけど、なんだか結果として(例のモザイクの件も含めて)“男性が見てブヒブヒ悦ぶ”映画になっちゃってんじゃないの?と。リスベットって“萌えアニメによくいるヤンデレ娘”じゃないの?と。

富野由悠季監督の言を借りるのであれば「おまんこを舐めたくなるキャラじゃない」んじゃないかと。

個人的には、リスベットのセックスシーンなんか全くいらなくて、仕事は完璧にこなすけど年上の小汚いおっさんにはビタイチ媚びる様子もなく、でもちょっとだけ気にはしていて朝ごはんなんかは作っちゃったりして、おっさんとよりを戻そうとするオバハンがいれば全力で邪魔するぐらいのキャラなら舐めたくなりました。

そういう意味では、あのオチに関してはどうしても不満かなぁ。

ちなみに、原作著者のスティーグ・ラーソンはパートナーの女性エヴァ・ガブリエルソンとともに本作を書き上げたそうですが、ラーソンが急逝。結婚していなかったため、カブリエルソンには作品に関する一切の権利が残らなかったそうです。なんかその変、原作者の思い描くリスベット像につながってるような気が。

まぁでも、北欧では挨拶代わりにセックスするという噂ですから、そういう社会的事情も組み入れるのであれば、日本と同じ枠で考えると誤解してしまう要素も多いのかもしれません。なんせ北欧神話のメッカですから、厨二的なものの見方、ゴス的なものの見方も全然ドメジャーな精神かもしれないですし。

ちなみに、ミステリとしてどうかというと、正直あまり褒められた内容ではないです。

割と前半の話を聞いてみて、「まさかそんなオチじゃないよね?」と思っていたらだいたいそのまさかです。オチがわかりやすいからダメというわけではなく、そこに至るまでにその他の可能性を示唆して、観客の考えを逡巡させるのがミステリの評価点だと思うのですが、構わずソレ一拓に突き進むところとか。

まぁ、処女作ですしね。ミステリ云々というより、あの“金田一的な閉鎖空間”を見事映像として演出したフィンチャー監督が素晴らしいんだと思います。ほんとこの監督さんのブレのなさはは素晴らしいですね。ヒロインに萌えなくても映像だけで十分楽しめるわけですから、ほんとゴス好きじゃない自分を恨みます。

リスベット、せめてメガネかけてたら良かったかも。

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(2012.3.25追記)
富野由悠季監督の「おまんこ〜」の例を出したのは偶々思いついただけだったんですが、よく考えたらその発言の元となった『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に出てくる少女クェス・パラヤと、リスベットって共通点多いんですよね。めんどくさい性格、超能力と呼べるほどの優秀さ、何より“歪んだ父性観”について。

クェスは物語冒頭で父親を棄て、後に無意識に殺害しますが、リスベットも親父焼き殺してます。

いずれも父親の素行に強い不満を持った結果の決別であり、その代償として年上の男性への恋愛という形で、父性を埋め合わせようとしていく様も共通です。しかし、その男には別に女がいて、故に恋愛は成就せず、結局その優秀さを利用されるだけ…という点までそっくりです。

まぁ、でもクェスが生きてたら、ころしてでも男を自分のものにしたでしょうけど。

宇宙世紀三大悪女”の一人として数えられるクェスが嫌われるのは、ニュータイプ能力による感受性の高さからくる圧倒的な“電波発言”と、親父やギュネイをはじめとした“愚鈍な年上男”に対する見下した態度が故ですが。逆にリスベットに関しては“意外と乙女っぽい”とこが魅力で好かれていたりもします。

ちなみに本作の被害者ハリエットに関しても、不幸な生い立ちという面でリスベットの共感を得ます。

別に何がどれをモチーフにしてるとかではなく、単に共通点が興味深かったので書いてみただけでオチはないんですけど、双方がモチーフにしてる物語はどこかにありそうですね。ていうか、リスベットにはこの台詞を使って欲しかったですね。そこで俯いてしまうのも彼女の魅力なんですけど…。

「嫌な女・・・お前がいなければミカエルのところに居られたのに・・・!」