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泥船てすかとりぽか

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『2012』 disトピア

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2012

2009年のアメリカ映画。ローランド・エメリッヒ監督作品。

こんな糞面白い映画を劇場に観に行かなくて失敗した。世間一般的な評価「くそつまんなかったの一言」に流されて、巣ルーしてしまった。そもそも、自分が読んでる映画関連ブログの中でも、“特に信頼を置いている数名の方”に限っては絶賛さえてたんですけど、それは単なる“あまのじゃく的評価”なんだと思ってしまった。

やっぱり、民主主義や選挙なんて間違っている。多数決じゃなくて自分が信じたものが一番正しい。

勿論、個々人の主観やそれに基づく感想の多様性は尊重すべきと思う。たとえ、多数票に迎合することや、他者との無用な諍いを避けることを目的としていたとしても。それは近代における社会システムの画一化に伴い、異端者を排除する流れによるものだし、流されることもまた一つの個性の形であるのだから。

それでも、今回はその流れに乗った自分自身が憎い。許せない。

自分は「観てない映画はdisらない」というポリシーを持っていたつもりだったが、そんなものは嘘っぱちで、実はこの作品を観る前から「どーせたいしたことない。」という先入観を持ってた。その根拠となるのは、周囲の人間や各映画ブログに載せられた悪評なのだが、それはポリシーを捻じ曲げていいという免罪符にはならない。

レイ・ブラッドベリの描いたディストピアは、既に自身の中に萌芽していたのだ。

情報が全てテレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりの社会。絵画などの芸術作品はおろか、本の所持すら許されない世界で、罪をおそれず本を守り続けた人たち。この『2012』を絶賛し続けた人たちこそ、真に信ずるべき相手であったにも関わらず、自身は彼らの声を弾圧し、焚書する側に回っていたのだ。

このことに気づき、自分の佇まいを見つめなおすことができただけでも、本作による収穫は大きい。

兎角、情報伝達ツールの発達、送受信端末の小型化は、個々人の想いの伝播速度を爆発的に速めた。それは無意識下で意識を並列化しながらゆるやかな全体の総意を形成させ、またその全体の総意が個人を規定するものでもある。自分が意識して選択したと思っていることは、結果的に集団の総意に沿ったものでしかない。

自分が映画を観て感じた想いは、ネットを介して不特定多数の誰かが持った感動を共有したものにすぎない。

まぁ、でも映画の感想なんてそんなもんだと思う。その自分の感動を他人と共有し愉しむことすら昔は難しかったのだから、今の状況は悲観するべきではないのだ。しかし、政治的な思想は違う。多数の選択肢から自身で選び取ったかに思える判断の多くは、不特定多数の誰かと判断を共有したものであると知るべきなのだ。

そのことを知った上で、その判断の先にあるものへの責任は背負ってもらいたい。

Twitterでは、多くの人がいとも簡単に他人の思想に迎合し、RTし、拡散し、一瞬で政治的思想の集合体を形成できる。個々人がその判断の先にある責任について、考える時間が十分とは思えない。情報伝達速度の高まりは、熟慮と判断の時間すら無くしてしまった。また、総意への反論はコミュニティ上の死と同義である。

ホントは厭だと言いたいのに、フォロワーが減るし、見ず知らずの奴に攻撃されるから言えない。
仕方なく賛同しますよ。そんなのがみんなが望む「民意を正しく反映させる形」だってんだから仕方ない。

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追記。Twitterで政治的な話に関してずっと“実況”、いやただ野次ってるだけの呟きがものすごーくウザい人がいるんですけど、それ以外の部分は全然悪い人ではないんですよね。一時的にかつ相手に気づかれずにフォローを切って、ほとぼりが冷めた頃にまたフォローしたいんだけど、そういうのできないのかなー。

基本的に自分はフォローされたら広告とスパム以外はリフォローします。

一度フォローしたら基本的にフォローは切らないのですが、相手に遠慮した場合と、“政治的な話”について延々と建設的でない内容をしゃべられた場合に限りフォローを切ることがあります。“政治的な話”であっても、ただの批判や野次ではなく、実現可能性のある代案を明確に示せる内容であれば、特に構いませんけど。

あと「みんな絶対自分と同じように感じてるはずだ!」って前提で話されるのもウザいです。

確かに、原則的にはその人と向いてる方向が同じかもしれないけど。手段と目的を間違えてる奴とは絶対に肩を組みたくないです。にも関わらず、「自分と同じ方向を向いてる奴は、自分が何を言っても支持してくれるはずだ!」って思ってる人が多いんですよね。特に例の規制の件に関しては特に。