泥船てすかとりぽか

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『放送禁止5』 序論

また中国で「太歳」が出たそうですね。またっていうのは、「太歳」って結構頻繁に出てるんですよね。年1ぐらい。最近はUMA(未確認生物)みたいな扱いを受けてますが、元は凶事(よくないできごと)を道教における祟り神「太歳星君」にちなんで呼称したモノです。

1) 地面の中からなんか肉が出てきた。
2) これはよくないことに違いない。
3) 「太歳星君」のしわざに違いない。
4) 地面の中から出てきた肉を「大歳」と呼ぶ。

みたいな。

卒論で『山海経』(中国の妖怪的な話が載ってる最も起源的な本。人生には何の役にもたたない。)をやったんですが、現在「妖怪」や「伝説上の生物」と呼称されるものの起源をたどると、そのほとんどが自然現象や未知の生物を「ユーモラスに解釈してみた結果」であることがよくわかります。

簡単な例をあげると、稲妻や竜巻を「龍」という想像上の生物として解釈してみたり。

そうした解釈から生まれるのは妖怪やUMAだけじゃなく、いわゆる霊やらUFOやら宗教なんかもそうです。人間の脳みそっていうのは、理解できない「未知」に出会うと「恐怖」を感じるようにできてます。「未知」=「生命の危機」=「恐怖」、そして防衛規制が働くことによって、その「未知」を自分の「既知」にあるなにかに置き換えて考えるようにわるわけです。

簡単な例をあげると、夜中枕元に何か立ってた。これは霊に違いないとか。

解釈の結果としては、別に霊でもUFOでも神様でも妖精でもFBIでも何でもいいわけなんですけども。そうやってなんだかよくわからない出来事を、自分の土俵の中にあるものに置き換えて考えることで、人間は「精神的不安定」=「生命の危機」を乗り越えて生きてるわけです。

そう考えると、怖いものの代表格である「霊」なんかが、実は「人間が恐怖を克服するために生み出した想像の産物である」ことになるので非常に面白い。実際、平安時代に「怨霊」って概念が生まれてからは、天災とかみんな道真と将門と崇徳院のしわざですし。

逆に心霊写真や心霊映像を見ると気が狂ったように「嘘だ!ヤラセだ!非科学的だ!」と非難する人がいますが、これもある意味防衛規制の一種。未知の現象に出会った際に「これは科学的にありえないから存在しない!」と考えるのも、あくまで解釈の一つなわけですから。

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という、非常に長い前置きをしたのは、『放送禁止』の面白さというかテーマに触れる際に知っておくと好いお話だったからです。この作品は、「フェイク(嘘)ドキュメンタリー」と銘打った上で、大きな謎というか未知というか恐怖とも言いがたい、なにかモヤモヤしたものを投げつけてきます。

「事実を積み重ねることが必ずしも真実に結びつくとは限らない…」

そんなもの投げつけられても、画面のこっち側にいる人間は痛くも痒くもない筈なのに、なにか釈然としない。精神の平衡を保ち難くなる。これを無意識のうちに脳は「生命の危機」と判断し防衛機制を働かせる。何かしら解釈をしないといたたまれなくなる。そこでトドメの一撃。

「あなたには、真実が見えましたか?」

この作品のラストに表れる言葉に釣られるように、よくよく映像を観なおしてみると、その解釈の手助けとなるようなヒントがそこらじゅうに転がっていることがわかる。こうなると、もうワクテカがとまらない。自分でも何か面白いんだかよくわからないんだけど面白い。

そんな、「未知」を体感できることが、『放送禁止』の人気の理由なんだと解釈しました。

放送禁止5 しじんの村

とりあえず、既に1と6は観たんですが、個人的にはこの5がダントツで面白い。てか、演技が真に迫っている。正直、1なんか『たんけんぼくのまち』です。「ちょうさん きょうはおいしい やさいが とれたんだよ(棒読み)」です。それに比べて5は、やばい人の演技がまじやばい。

まだ、掲示板とかブログとかに湯水のようにたくさん沸いてる「みんなの解釈」は読んでないんだけれど、そもそも最初から嘘だって自白してる物語に対して、みんながこれほど躍起になって「真実」を求めようとしてるって事実が、何より凄いことだと思いますよ。

自分もここで今作に関する持論やら解釈を展開したいくらいですが、さすがに既に長文すぎるので、"『放送禁止』に関する序論"だけでやめにしておきます。平日だし。明日金曜日だし。