てすかとりぽか

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『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』 不快

※※本作と『ハリーポッター』が好きな人は読まない方がいいです。※※

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

2010年のアメリカのファンタジー映画。クリス・コロンバス監督。

結論から言うと、ここ数年で観た映画の中で“最も不快な映画”です。なんてゆーかもー、ローファンタジー作品特有の“中学生が思い描く自分本位の英雄像”のエキスを煮詰めたようなゲロ以下の匂いがプンプンする作品です。もう序盤から、何度も途中で観るのやめようかと思いました。映画館だったら途中で出てきてます絶対。

まず、ギリシャ神話の神々の身勝手さと糞っぷりからして我慢なりません。

ギリシャ神話の神々と言えば、主神ゼウスからして美女と見れば誘拐してきて強姦するようなDQNだし。他の女神どももその被害者の女性を嫉妬して惨殺するようなクサレアマばっかりだし。ただ、それはあえて「人間よりも俗っぽい神様」というのを意図して描いたという、当時のれっきとした制作意図があるんですけれども。

現代社会を舞台にそのまんま描かれると、便所の鼠の糞よりも下衆な奴らにしか見えませんて。

要するに、地上にナンパしにきた神様にヤリ捨てられた母親から生まれたのが、主人公のパーシー。そのパーシーを悪い神々の手から守るために、母親は自分の人生を犠牲にすることになります。無職で酒ばかり飲んでる男と結婚し、毎日暴力を振るわれます。そういう人間の傍にいることで、神々の目を誤魔化せるのだとか。

いくら神様だからって、気まぐれで人一人の人生をここまで追い込んでいいもんなんでしょうか。

むしろ母親は半分自業自得だからいいとして、その再婚相手が可哀そう。「クズ人間の傍にいれば神々の目を欺ける」って理由で、人生を利用されています。おそらく、過去に何度か真人間になろうと試みたにも関わらず、妻からそれを妨げられて今に至るのかもしれません。だって、クズ人間でないといけないわけだし。

そんな屑神様を親に持つなら子も子。パーシーの屑っぷりも筋金入りです。

人生を息子のために捧げた母親が、ミノタウロスに握りつぶされるという凄惨な死を遂げたわずか数分後。神々の子供を集めたキャンプに行ってもう大ハシャギ。強大な神様の血を引いているということに酔いしれ、暴力を奮って英雄気取り。さっそく、キャンプの女の子たちにも色目を使いはじめます。マジ最低すぐる。

いや、むしろオカンが死んでくれたおかげですね。リア充な英雄伝に親の死はつきものですから。

ロー・ファンタジーを形成する要素として、“親の死”と“主人公が得る自由”というものは当に表裏一体です。主人公が自由奔放な生活や修行や恋愛に明け暮れるためには、“親の死”を得なければならない。『ハリーポッター』なんてその典型です。あの場合は、育ての親ですら完全に邪魔者扱いして棄てましたけどね。

そういう物語を読む子供たちもまた「あー、ウチの親も早く死ねばいいのに」と思うようになります。

10代のカップルがお互いの親を殺したなんて事件も、こうした物語の要素への憧れがなかったとは考え難いです。道理で考えるなら、自身が自己実現を達成するために親を殺す必要なんてない筈なのに、こうした一部の程度の低いロー・ファンタジーのテンプレートが、“親の死”を必要不可欠な要素と魅せてしまうのです。

そして、パーシーの身勝手さはそれだけに留まりません。守護者の友達の扱いも酷いものです。

神様の子供であるパーシーの守護者としての命を受け、パーシーの友人として世を忍んでいた彼。パーシーは“彼が友人ではなく守護者である”と知ったとたんに掌を返したように態度が変わります。メドゥーサの切り落とした首を包むのに、守護者のお気に入りのジャケットを何のためらいもなく使おうとします。

地獄に誰か一人残していかなければならないと知った時、守護者が残ると言ったことに全く異論を唱えません。

嗚呼もー。作品の監督が同じだからというのはあまり関係ないので、『ハリーポッター』の名前をここで出すのは本意ではないのですが、あまりにも嫌いな部分の要素が似通っています。兎角“親を邪魔者扱いする”といった点と“選民思想の塊”といった点で。“血統”でステータスが決定してしまうという点で。

そりゃあ、リアルな世界は“血統”によって人の性能やステータスはだいぶ左右されますよ。

“血統”というよりかは、“親の資産”といったほうが正しいかもしれません。性能やステータスの低さはお金でカバーできますが、その逆はできませんからね。だから、せめてファンタジーという作り物の世界ぐらいは、持たざる者が活躍する機会を与えてあげるべきだと。そういう作品をより評価したいと自分は考えます。

ダイの大冒険』のポップのような、血統も資産も何も持ち合わせない一般人が活躍してほしいと望むのです。

だからこそ、本作のように全てが“血統”により支配され、その力を持つものにとって不利益となるのであれば、母親だろうが友達だろうが切り捨てていくような作品は、とてもじゃないけどファンタジー作品として評価できません。『指輪物語』が素晴らしいのは、主人公が何も持たない小人にすぎないからです。

あれも主人公が馳男さんやエルフだったら、あそこまで名作とは呼ばれてなかったはずですよ。

てか、現実社会で勝てないからせめてゲームの中で…と思ってMMORPGを始めたら、結局課金アイテムが強すぎてリアルで金持ってるやつに勝てないというジレンマにも似ていますね。そういう課金ビジネスを否定するつもりはないのですが、競争が発生するゲームの場合はそこんとこよく考えて売ってほしいものですね。