てすかとりぽか

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『千と千尋の神隠し』 映画の面白さの判断基準

昨日テレビでやってた。その時のTwitterの様子を見て、ふと作品内容以外で思ったことがあったので。

千と千尋の神隠し

2001年の日本のアニメ映画。宮崎駿監督作品。

興行収入304億円、観客動員数2300万人越えという、『タイタニック』や『東京オリンピック』を追い抜いた日本国内の映画興行成績における歴代トップの記録を打ち立て、2011年現在も『千と千尋の神隠し』(1位)・『ハウルの動く城』(2位・196億円)・『もののけ姫』(3位・193億円)と、トップの座を維持している作品。

また、第75回アカデミー長編アニメ賞受賞など、国内外の映画賞を総ナメにした、文字通り“神映画”。

しかし、Twitter上では「なにが面白いのかわからない」、さらには明確に「全く面白くない」といった声を、少なからず見かけます。いや、別に個人の批評に関してどーこういうつもりはないんですけど。“映画の面白さとは何か?”という部分について、それが以下の4つの判断基準に大別できると改めて思い至ったわけです。

【映画の面白さの判断基準】
A.自分が面白いと判断したもの(主観的な面白さ)
B.多くの他人が面白いと判断したもの(民主主義的な面白さ)
C.著名人、映画評論家が面白いと判断したもの(権威主義的な面白さ)
D.興行収入が高いもの(資本主義的な面白さ)

「民主主義と多数決原理は違うだろ?」とかつっこみを受けるかもですが、自分は政治哲学者ではないのであえてわかりやすい言葉を選んでみてます。ていうか、上に書いてあるようなことは、ほとんどの方にとっては「そんなのあたりまえのことだろう?」というお話だと思います。

少なくとも、自分が好きで読んでる映画ブログの皆様は、そのへん非常によくわかってらっしゃいます。

でも、Twitter上なんかで気軽に映画批評をされる方の中には、AだけないしBだけなど、偏った判断基準で駄目出しをする方がおり、それが原因で他の方とトラブルになっているようなことがわりとよくあるように見えます。そういうのも結局個人の自由だし、どーこう文句言いいませんが、単に分析するのが面白かったので。

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まず、「A.オレが面白いと思った映画が面白い。」という判断基準。

自分もわりとこの判断基準に近いので、まぁなんというか基本形だと思うんです。ただ、他の判断基準についても理解し、配慮をしておかないと、結局他の人と衝突するので注意してます。「自分は嫌いだけど、みんなが好きな理由は理解できます。」って言い回しをすることがあるのは、その配慮のためでもあります。

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次に「B.たくさんの人が面白いと言ってるんだから面白い。」という判断基準。

具体例を挙げるとすれば、「“好きな映画アンケート”で上位に来る作品は面白い」。『スターウォーズ』や『ショーシャンクの空に』とか。「A.主観的にも好きだし」という人も多いでしょうけど、そうじゃない人もいると思います。みんなの評価が高い作品を粗探すのは、何より映画マニアを自称する一番楽な手段ですし。

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さらに「C.アカデミー賞とったから面白い。」という判断基準。

「○○さんが面白いって言ったから面白い。」とか。基本的にこの「C」が元になって世間一般的な映画の評価が決まることも多いので、「B」と似た基準というのは確かですけれど。「オスカーとったのに、世間の評価が糞味噌。」とか、「ノーマークだったのに口コミでヒット。」ということが稀にあるので、別けてみました。

かつて、ネットがなかった頃は、この「C」の影響が大きかったなーと思います。

ぶっちゃけ自分なんて、“ゴールデン洋画劇場における淀川さんの評価が全て”で育ちましたし。ネットで誰もが映画の個人的批評を語ることができるようになり、その統計もできるようになって、はじめて「A」と「B」が主流になってきたようにも思いますが、未だ「C」がその起点になってはいるなと考えています。

映画の面白さについて、多くの人は「B.民主主義的な面白さ」を念頭におきつつ「A.主観的な面白さ」を語るように思われます。そこに「C.権威主義的面白さ」を持ち込んでくる人は、映画に関して作品以外に情報源を持つ、いわゆる“映画マニア”だと思います。普通の人は、オスカーの結果や評論家なんて知りませんからね。

そこでやっぱりトラブルになるような人は、やっぱりどこかの価値判断基準に偏った話をしてしまう人です。「○○さんが面白いっつってる映画をdisるとか、○○さんdisってんのか!?」とか粘着されて、すげーめんどくさかったことがあります。『千と千尋』も、○○さんの言葉借りて喋ってる人ばっかりなのも辟易。

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で、最後。「D.興行収入が高い映画は面白い」という判断基準。

これは滅多に聞きません。それどころか、その逆。「興行収入が高い映画はつまらない」とか、「そもそも何でこの糞映画が興行収入高いのかイミフ」とかいう声の方が強い。でも、原則として映画がショービジネスである以上、「金が儲かる作品は面白い作品である」という価値判断基準が間違いであるはずはないのですね。

作り手側、売り手側に立って見れば商業映画の価値は“面白い映画を作れるか?”ではなく、“どれだけ金儲けができるか?”で決まります。要するに、お金儲けが目的で、面白い映画を作るというのはその手段です。そこで「金儲けがしたいんじゃなくて、面白い映画が作りたいんだ!」と言ってる映画製作者がいたらただのアホです。

金が儲からないけど自分が面白いと思う映画を撮りたいだけなら、自主制作すればいいのです。

ゲームの世界にはまだそういう製作者が沢山おりまして。「面白いゲームを作りたいのに、会社は金ばかり求めてくるから駄目だ。」という人。単に、その「面白いゲームを売る=お金が儲かる」という考え方ができないのか、「そのゲームは面白いんだが売れない。」と、そこまで理解して言ってるのかは知らないけど。

こういう人も、自分で会社起こして、自主制作なり、無料配布なりすればいいと思うのです。

会社なり組織に属してものを作る以上は、“面白さの価値判断基準はその利益”、“効用を目的とした面白さの基準設定”という、「D」の考え方は必ず持っていなければならないと思っています。それは、ある種「A」の主観を殺し、「B」の多数決原理を重要視するということになります。

「C」の権威主義も、元をたどれば“映画のコマーシャルのため”という市場原理に基づいてますしね。

そして、「D.資本主義的な面白さ」を是とするのであれば、多くの映画ファンに酷評されている、例のテレビドラマの劇場版作品なんかも「めっちゃ面白い映画」ということになります。内容はグダグダでつっこみこどろだらけの作品でも、“興行収入がいい”という一点だけを理由に、最高に面白い映画と言えるのです。

「なんでこんな糞映画が売れるのかイミフ」という意見にも反論します。別にイミフなことなんてないです。“あえて糞映画を狙って作っている”というのはどうでしょう。映画ファンが“ありきたり”、“ベタすぎる”、“ストーリーが破綻してる”と揶揄する部分について、ある種の効用を狙った作為があったのだとしたら。

小説界隈が発端かどうかは知りませんが、そのへんに“カテゴリーエラー”という言葉があります。

例えば、ライトノベルの新人賞に応募するにあたり、“主人公が女”、“巨大ロボット”、“SF・ファンタジー”など、テーマによってはあらかじめ選考から外されてしまうというというものです。「そのレーベルの読者層に売れる作品を選考するため」という、効用に基づいた理由となります。

その考え方を是としてしまうのであれば、結果的に似たような“ベタな作品”ばっかりになっちゃわない?

と思ったら、そういう作品の中でも1本でも当たれば好いそうなので、全然問題ないそうです。ライトノベルのコーナー行く度、ヒット作に似たよーなのばっかだなーというのは、効用に基づいた結果なのだそうです。おかげで、個人的にライトノベルについて新規開拓しようとは全然思わないのですけれども。

同じことを、昔ハリウッドもやってました。“暴力・セックス・車”がヒットの秘訣というやつです。

要するに“暴力・セックス・車”だけ出しとけば、あとはテキトーでもヒットするよ!というもので、一時期のハリウッド映画がそんなんばっかだったのは、やっぱりカテゴリーエラー同様にある種の効用に基づいてやっていた結果なのですね。まぁ、当然今は飽きられたというか、“VFX・3D・難解”みたいになってますけど。

日本のテレビドラマ映画は、単にその古臭いカテゴリー縛りを、未だにやってるってだけなんですね。

そりゃーありきたりだし、ベタにもなりますよ。全く意味がない部分でキスシーンがはいったりもしますよ。でも、それだけで売れちゃうんだから仕方ないじゃないですか。そこで変に新しい方向性を狙ったり、ストーリーを破綻させるキスシーンを無くしたりして、万一売れなくなったら誰が責任とるっていうんですか。

何より、そのイミフなキスシーンに感動して涙を流してくれるお客さんだって沢山いるのです。

功利主義の哲学者ジェレミ・ベンサムの言葉を借りるのであれば、「最大多数の最大幸福」を目的とした映画作り、「個人の感じた幸福(面白さ)の総計が観客全体の幸福であり、観客全体の幸福を最大化すべきである」を目的とした作品こそ、道徳的に面白い映画ということになります。

そして、その効用の結果を最もわかりやすく判断する基準こそが、“興行収入”というものであり、その数値を上げることを目的として映画を作ると言うことも、道徳的に正しいものとなります。それは映画マニアという少数派が唱える“面白くない”という批評、即ち個人の権利より優先されるべき考えでもあります。

話をまとめると、“興行収入はいいけど糞映画に見える映画には、効用に根ざした作為がある”ということ。

そして、その作為の存在こそが、「D.興行収入が高い映画は面白い」ということを是とする論拠になるということです。誰もがこの考えに賛同する必要はないし、むしろ観客としては賛同したくないと思うのが普通だとは思います。ただ、モノを作って売る側の人間であれば、この作為については理解する必要があると考えています。

自分でどんなに嫌でも、観客が求めているのであれば、暴力もセックスも車も入れるのが商業作品です。

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「D」の話ばかり異様に長くなりましたが…。

それぞれの価値判断基準について、全てを是とする必要もないですし、1つだけ是とするという立ち居振る舞いも否定はしません。というか、ざっくり浅い考えで書いてるのでもっと良い大別方法もあるかもしれませんし。でも、“自分の考えが全て”や“誰かの言ったことが全て”という考え方は、必ず敵を作るものです。

「敵作るの上等!元から、喧嘩したり他人を見下すために映画観語ってるから!!」

っていう人も実際いるでしょうから、そういう人には何も言うことないですけど。Twitterにいたらそっとブロックしますし、ブログにレスが来てもそっと消すだけなので。「そういう人も世の中にはいる」と認識した上で、スルーするスキルを持っていないと、ネットで何か書いたりするのは本当にツラいです。

ちなみに、『千と千尋の神隠し』は個人的には大好きです。

みんなが面白いっていう理由もわかるし、逆に「わけわからん!」って言われる理由もよくわかります。最近のジブリ作品みんなそうですけど、フツーに説明しなきゃわからないことを説明しなすぎです。それでいて、過去のジブリ作品カテゴリの集大成という魅せ方、その作為のガチさからも興行収入1位は伊達じゃない。