てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『クラウド アトラス』 人物相関図つき

クラウド アトラス

2012年のアメリカ映画。ラナ・ウォシャウスキートム・ティクヴァ、アンディ・ウォシャウスキー監督作品。

ウォシャウスキー兄弟の性転換話は100万回ぐらい聞いたからスルーして、とりあえず話多すぎ!人多すぎ!で何がなんだかわかんなくなります。要は京極夏彦の『塗仏の宴』みたいに(わかりづらい例え)色んな話が並行して進みつつ、最終的になんか“スッキリ”するアパ体験系映画なのです。

そういう映画なら過去にもありましたが、今回のソレはそれぞれ時代も違うわけですね。

で、一つの時代の登場人物が、また別の時代で生まれ変わって(同じ俳優さんが演じて)行くとゆう、輪廻転生とか永劫回帰とか、仏教的で哲学的で手塚治虫的な感じが素晴らしい作品です。要するに中二臭さとサブカル臭さがたまんねえのは流石ウォシャウスキーの人たちといったところです。

2,3回観に行きたくなるので、マネタイズという意味でもよくできた“循環コンテンツ”ですよ。

とはいえ、ほんと話と人が多くて困るので、海外のサイトで配布してる“人物相関図”を頂戴してまいりました。ていうか、この図観てもぶっちゃけよくわかんねえよって感じなのですが、配布先のサイトの解説が実に秀逸なので、なんとなくですが理解しました。

この画像以下はネタバレ含みますので、初見の大混乱を味わう場合にはご注意ください。

"アダム・ユーイングの太平洋航海誌" (1849)
"ゼデルゲムからの手紙" (1936)
"半減期-ルイサ・レイ 最初の事件" (1973)
"ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練" (2012)
"ソンミ451のオリゾン" (2144)
"ソルーシャの渡しとその後のすべて" (2321)

上記6つの物語で構成される本作。各話に出てくる人物が行動が、次の時代の同じ人物に影響を与えていくという、仏教でいう“因果律”とか“業”のようなテーマが根底にあるようです。善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべしってね。

ていうか、トム・ハンクス浮き沈み激しすぎだろいくらなんでも。

トム・ハンクスに注目して観てみると、1849年に悪徳医師というド底辺から始まり、1936年にはまたケチなホテルフロントとして、1973年には博士としてハル・ベリーといい仲になるという出世。2012年には、自分の小説を酷評した評論家をビルから投げ落として殺す小説家ダーモットにまで悪落ちし…。

あれ?よく考えてみると、別にそれほど“因果応報”を意識した作りにはなってないよね?

ていうか、この2012年の"ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練"が面白すぎて。この話のつづきばっかり気になっちゃって、割と他の話がどーでもよくなっちゃうのが個人的にはバランス悪く感じました。あーもうネオソウルとかいいから、じじい共の“暴力老人ホーム脱出大作戦”を映せッ!!ってなります。

各話のクライマックスが重なる辺りで、一番記憶に残ってるの“じじい共のゲート突破”だもん。

あと「ソンミかわいいよソンミ!」って声が多く出そうなぐらい、あの『空気人形』の女の子も好かったんですが。本作中で一番かわいいのは確実に2012年でアイノーアイノー言ってるちっちゃいおじいちゃんだからね。あのおじいちゃんが、本作の因果律に絡んでないのが不思議なぐらいのかわいさだからね。

てゆか、ソンミの人は予告編みた時までは本気で上野樹里だと思ってました。

でも、一番のつっこみたいのは、ネオソウルのハル・ベリー何だよッ!!闇医者って何だよッ!!ネオソウルの話は『マトリックス』みたいというか、ジャパニメーション(懐かしい)意識した作りになってるのはわかるんだけど、なんか特殊メイクとかアレすぎて完全に『銀魂』みたいなギャグに見えるのはどうなんだろうか。

ソンミの働いてる店とか、完全に『銀魂』に出てくる感じじゃないすか。面白いからいいけど。

『ジャンゴ 繋がれざる者』 悪かったな勉強してなくて

ジャンゴ 繋がれざる者

2012年のアメリカ映画。クエンティン・タランティーノ監督作品。

正直ある理由から感想書くの気乗りしなかったんですが、タランティーノ好きだし、作品も滅茶苦茶面白かったので勿体ないから書いておきます。難しいこと考えずに、どストレートの“セイブ・ザ・クイーン”ですから。監督本人が一番いい役持ってっちゃうとこも、KKKのグダグダ感も、同人ノリも全て好かったです。

ただ、日本語版の一部関係者の“一言”だけが、すべてを貶めています…。

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劇中挿入歌の日本語翻訳を手掛けている町山智浩氏が、本作を酷評した某ブログのURLをRTしつつTwitterでつぶやいた内容が以下のとおり。自分の関わって居る作品や、町山氏の友人の柳下毅一郎氏に対する酷評を見て頭にきた結果というのはなんとなく理解はできますが…。

町山智浩 ‏@TomoMachi
「奴隷の歴史については全く知りません」
http://bit.ly/10j100U  
だったら勉強しろクソじじい
http://bit.ly/13mP0Am

この方のブログ内容自体に同意するものではないですが、それ以前に“作品の関係者”が、その作品の感想に対して「勉強しろ」とか「クソじじい」はさすがにどうよって話です。観賞以前に勉強が必要な作品とは思えないのですが、そうでなかった故に“作品の関係者”から「クソ」呼ばわりされるっていうのは…。

さらに問題は、町山氏のファンが、その「クソじじい」に対して攻撃をはじめました。

「やられたからやり返す」とか。いや、最初にやったのあんたらだろー。あと「死ね」っていうのはさすがにどうなの。いくらなんでもたちが悪い。てか「そーだ勉強しろクソじじい!」って煽ってる人達こそ、本当にアメリカ史を勉強してから映画観に行ってんでしょうか。勉強して行ってたとしてなんだという話ですけど。

何も勉強するのがいけないなんて言うつもりないですが、映画ってそんなに高尚なもんなんです?

「映画を観る前に予習しろ」、「少なくともコレとコレとコレを観てから行け」みたいな“正しい映画の観方”みたいのが流行ってるのはいいんですけど、「前情報何も入れずにプラッと観に行きたい派」にまでそういう観方を押しつけて「勉強しろ」って言うのはほんともう。悪かったな勉強してなくて、馬鹿で。

そういう“映画ファン的上から目線のバイアス”を「勉強しろ」の一言に感じてしまうわけです。

それこそ本当に「勉強してからでないと映画観ちゃだめ」というのが“正しい映画の観方”であり、それ以外は“悪い観方”っていうなら、おそらく映画は娯楽性を失って衰退しますよ。だから、なおさら映画業界関係者のそういう発言を目にする度に「あーあ…」と落胆するハメになるんですよ。

「ゲームやる前にwikiぐらい観とけよタコ!」って任天堂の社長が言ったら厭ですよ。

「クソじじい」の部分は、町山氏という人間を知ってさえいれば(御本は拝読しております。)驚く話ではないのですが、でも見ず知らずの一般の方、しかも自分の関係作品を視聴された方に対して言っていい言葉ではないですよね。これは町山氏がというより、日本語版の配給責任者が丁重にお詫びすべきと思います。

関係者やスタッフによるお客様への暴言は、そのマネジメント担当者の責任です。

あと、一緒に騒いでるファンの人たち(一部狂信的な人たちと言い直しておくべきか)ね。本当にたち悪い。映画ヤクザとでも呼ぶべきでしょうか、自分たちが好きな作品がどっかで貶されれば攻撃し、自分たちが嫌いな作品を褒めただけでも攻撃し、刃向う者あれば攻撃し、特に何もしなくても攻撃し。

映画の感想ぐらいは自由に言わせて欲しいですね。ほんと『ジャンゴ』自体は最高です。

『フライト』 二日酔いは迎え酒で治せ

フライト

2012年のアメリカ映画。ロバート・ゼメキス監督。

TVCMぐらいしか事前情報なく観たので、ほんっと吃驚しました。当然ながら、飛行機事故で機体が一回転しながらも奇跡の着陸劇を繰り広げるパニックムービー感動巨編みたいなのを想像してたので。というか、2パターンあるTVCMの両方ともそういう内容じゃないっすか。そーゆー意味では、あのTVCMは上手いなあ。

だもんで、まだご覧になられてない方は是非、TVCMの先入観を持ってご覧になられてほしいです。

というか、日本での興業収入が公開初週で1位になってますけど、殆どの人はTVCMの先入観で観に行って、ポカーンとしてたんじゃないんでしょうか。そんぐらいぶっとんだ話です。こんな地味なタイトルなのに。そういうわけで、以下はネタバレ含むお話なので、ご注意くださいね。

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藤子不二雄(A)の漫画『笑ゥせぇるすまん』の「ケーフィア」という話に似てるなあと。

栄養ドリンクなしでは仕事ができない栄養ドリンク中毒の男が、喪黒福造からケーフィアという健康飲料をもらい「二度と栄養ドリンクは飲まない」と誓い一時は健康体になるも、結局また栄養ドリンクに手を出してしまう。おそらくA先生が本当に描きたかったのは「アルコール中毒」なんだと思いますが。

本作は、どストレートに「アル中」を描いた作品なのです。

もう初っ端から泥酔して全裸スッチーとの朝チュンからのコカイン鼻一気をキメてフライトに望むデンゼル機長。もう、事故以前に死亡フラグ立ってる主人公って段階でお客さんポカーンですよ。さらに機内アナウンスしながらの片手でウォッカ(ミニボトル×3)入りのオレンジジュース調合でありますよ。

なにひとつ1%たりとも生き残れる気がしないよこの主人公。

いや、ギャグかと思うけど、本当にアル中の人ってこうなんですよ。会社でも「酒飲まないと仕事できないから」って、500mlのミネラルウォーターのペットボトルに焼酎入れてきて、仕事中にちびりちびりやってるんすよ。もちろん、酒臭えから大抵はバレるんだけどさ。中にはバレないでやってる奴もいるかんね。

そんな奴が、飛行機のトラブルをものともせず神業的な着陸で多くの乗客を救ってしまう。

いるんだよね。めちゃくちゃ酒癖悪くて朝とかアルコール臭いんだけど、めちゃくちゃ仕事もできる人。たぶん、アルコールとその人の能力に関連はないんだろうけど、なぜかそういう風なスキルテーブルになっちゃってる人。能力があるのに酒で失敗するせいで出世の道が閉ざされてる不遇な人。

本作は、そんな不遇な主人公に光がさす…ような話では全然ないです。

その神業を英雄視するマスコミを避けて実家の農場で暮らす間も、基本12Lペットボトル(ウォーターサーバーに使うアレ)一杯の酒を車に積んで両手抱え飲みした上でのドライブですよ。事故後の検査で薬物とアルコール反応が出たことを事故調査委員会に知られることを危惧する弁護士が、当然酒を止めるように促しても…、

このアル中が1ミリも話聞いちゃいねえ。酔ったままマスコミの前にでってゆうしちゃう始末。

こいつはやべぇ!こいつのせいでウチの会社は終わる!と危惧した航空会社と弁護士は、彼を事故調査委員会との公聴会までの間彼を隔離し、アルコール絶ちをさせようとしますが…。なんと、ここからが本作の真骨頂。まさか、まさかの大逆転の連続!飛行機が一回転するなら、物語は二回三回回るのです!

もう、一番面白いところが、倫理的な理由で書けないのが辛い。てか、PG-12でいいんだこれ…。

二日酔いを迎え酒で治すようなバカ酒飲みのPOV視点で描かれるトンデモ映画が、感動作みたいな?感じで勘違いされつつも国内興行収入1位に輝いたという事実が、何より面白くて仕方がない。たぶんテレビ放送されなそうだから、是非劇場なり何なりで観ていただきたい1本だと思います。

参考資料:ロシア人の酒の飲み方

『脳男』 莫大な遺産受け継いでる奴多すぎ

脳男

2013年の日本映画。瀧本智行監督作品。

首藤瓜於原作小説の映画化ということで、原作は未読でしたがなんとなく気になってた作品です。公開当初から評判が賛否分かれていたので、なーんかパッとしないサイコスリラーなんかなーと思ってたら、全然予想のナナメ上を行く和製ダークヒーローものと言いますか、バカ映画で楽しめました。

観賞前にTwitterで“日曜洋画劇場レベルの作品”と評されている方がいらっしゃって、正直どういう意味なのかなあと思っていたのですが、“日曜洋画劇場でやる『コマンドー』レベルで、みんなで総ツッコミしながら観るのにぴったりの映画”という意味で、ある種最大の賛辞であるということと納得しております。

以下、ネタバレ含みつつの感想となります。

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脳男こと主人公?の鈴木一郎くんは、生まれつき感情が欠落しており、でも記憶力抜群でイケメンでカラテも得意という、一見SNKの格闘ゲームによくいるタイプのキャラですが。裕福な家の出身ということもありその莫大な遺産を受け継いで“自らの意志で悪と闘う”どっかで聞いたようなダークヒーローなのです。

なんでそうなったのかは話のキモなので、劇場でご覧ください。説明が面倒なんじゃないですよ。

そんな彼を付け狙うのは、本作のヴィランにあたる緑川。彼女もまた頭脳明晰で爆破技術に通じ、両親から莫大な遺産を受け継いでいるという点で、自分と一郎くんは同じだとかなんか言ってます。ああ、なんかよく血を吐くあたりもSNKの格闘ゲームによくいるタイプとして共通点ですね。

今後も、頭脳明晰で炎を操りかつ両親から莫大な遺産を受け継いでいる奴や、頭脳明晰で呪われた血によりたまに暴走するが両親から莫大な遺産を受け継いでいる奴など、個性的なキャラクターたちが繰り広げる超能力バトルが繰り広げられて行くわけですね。え?貧乏人は麦でも食べてなさい。

いやでも、こんなド直球に中二病なヒーローものを日本でやってくれるだけで凄いことですよ。よくよく考えると一郎くん大したことしてないじゃんとか、ハンドガン(ニューナンブ式)で遠距離狙撃成功させる警官が最強とか、ツッコミどころ満載なのは、狙ってやってのことだし目くじら立てることじゃないと思いますよ。

松雪泰子のやってる監察医が、どう見ても欲求不満おばちゃんにしか見えないとかも言い過ぎですよ。

ただ、ポリグラフ検査のことはよくは知らないけど、相手の意表を突く質問をするという意図で、なんで「私とセックスしたいですか?」が出てくるんですかね。実際思惑どおりの反応はとれたので良かったわけですけど。そこをちゃんと指摘してくれた緑川が一番本作の中でマトモなキャラに見えました。

あとラストの台詞は、割と賛否が分かれるポイントみたいですね。個人的には“希望を示している”のではなく“絶望を示している”と感じたので、一郎くんの底の知れなさと殺人者としての成長を表しててゾクッとして好かったのですが。“希望を示している”と感じちゃうと、一郎くん底が浅い奴みたいでヤじゃないですか。

ラストシーンの台詞は、鷲谷が一郎くんに対して、「なぜ能動的に動いたのか?」を確認しているのと同時に「なぜ殺したのか?」も問うたことへの返答です。その回答が、鷲谷への“感謝”であったとすれば、鷲谷にとっては“志村の再犯”と併せて“二重の絶望”を味わうことになったわけですよね。

まるで、『ハンニバル』シリーズにおいて、クラリスを辱めた相手をいつも“面白い方法で”殺害してくれるハンニバル・レクターの凶暴性を彷彿とさせるラストで、個人的には素晴らしいオチのつけ方だと思うんですけどね。『ダークナイト』よりかはそっちに近い作品かなと感じました。

『2012年』 好きな映画ランキング ベスト10

Twitterみてるとみんなやってるのでおでもやりたいお。

【2012年 好きな映画ランキング ベスト10】

■10位 『貞子3D』 : 作品の感想
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『リング』はシリーズ通して死ぬほど好き。正直、脚本は滅茶苦茶だと思いますが、“特撮ホラーで全力の3D映画作ってやろうぜ!”って意気込みがビッシビシ伝わってきます。あと、毎回の貞子登場シーンがお笑いで言う“天丼(かぶせ)”にしか見えないので、ギャグとしてのレベルが異常なほど仕上がっています。

■9位 『アベンジャーズ』 : 作品の感想
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ハルクファン(ハルキスト)として服がはち切れる程好き。あと、他のヒーローも好きですが、そいつらによってたかってボロ雑巾のようにされるロキが好き。出てきた瞬間から顔色悪くて、なんか薬飲んでそうで、月曜日休みそうなロキが好き。あと、ボロ雑巾のようにされるロキも好き。

■8位 『桐島、部活やめるってよ』 :作品の感想
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ゾンビが好き。えっ、立派なゾンビ映画ですよこれ。“自発行動的ゾンビ VS 非自発行動的ゾンビ”って皮肉満載の。でも、かすみちゃん、ないわ。そいつだけはー、ないわ。これ観たあと『映画けいおん』観たらなんか妙に安心したわ。似たような女子4人組の話なのに。(゚Д゚)ハァ?とか言わないもん。

■7位 『ホビット 思いがけない冒険』 : 作品の感想
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J・R・R・トールキンの小説『ホビットの冒険』と『指輪物語』は小学生の頃から大好き。何の予備知識もなしに観ると、ひょんなことから主人公の家に押しかけてきた魔法使いと13人のドワーフたちによるハーレムラノベにも見えますが、あながちその認識で間違ってないという。ガンダルフの中の人的にも。

■6位 『悪の教典』 : 作品の感想
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どこかのアイドルの方みたいに「こんな人が簡単に死ぬ映画、嫌いです!」みたいに良識ぶったことを言えば言う程、「私は蓮見先生のような裏表のある人間で、良識ぶってるとこも含めて全部計算です!」って告白してるようなものなので、もちろん自分はこの映画大好きですよ。大好きですとも。

■5位 『バトルシップ』 : 作品の感想
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エイリアンが好き。あとハワイが好き。エイリアンとワイハが合わさって最強に見える。昨今のエイリアン映画におけるエイリアンがどんどん弱体化し、米軍とハリウッドの仮想敵としてちょうどいいレベルに落ち着き始めている、いわゆる“エイリアン戦力是正問題”の最たる作品という懸念はありますが、楽しいからいい。

■4位 『ダークナイト ライジング』 : 作品の感想
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ベインが好きすぎて辛い。金持ちやリア充が嫌いで、「明日世界が滅べばいい」と常々思ってる俺らのヒーローですよベインは。その目的が一見壮大に見えてその実チンケで情けないとこなんかも等身大の俺らサイズで好いんですよ。バットマンやジョーカーよりはるかに好きです。ユニクロでベインTシャツ買ったし。

■3位 『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 : 作品の感想
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冬月教授が枯れ果てるほど好き。

■2位 『プロメテウス』 : 作品の感想
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エイリアンというより、そのアートワーク全般を手掛けるH・R・ギーガーの描くチンコチンコした世界観がもげるほど好き。何より、“出産”をテーマに描いた映画は『プルミエール 私たちの出産』など数多くありますが、ガチムチ男性型宇宙人の“妊娠”と“出産”を描いた作品は他にないです。頭おかしいです。

■1位 『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』
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ギャバンは、人格形成の上でもっとも重要な幼少期に一番影響を受けたヒーローとして、好きなんて言葉じゃ表せないほど好き。そのギャバン初の劇場版作品を、今この歳になって観られるというのは、本当もう夢のような話。さらにヒーロー映画としての出来も完璧。文句なし今年のマイベストムービー。

■総括
去年の今頃は、2012年は『アメイジングスパイダーマン』か『アベンジャーズ』の2強だなーぐらいに思ってたんですが、予想以上に良作が多くて。次点として、『ウルトラマンサーガ』が予想以上で素晴らしかったです。『おおかみこどもの雨と雪』も、出来は素晴らしいですが、個人的には内容が辛すぎて…。

【ちなみに去年までのランキング】

■2011年の好きな映画ベスト10:詳細ページ

1位 『インモータルズ -神々の戦い-』
2位 『世界侵略: ロサンゼルス決戦』
3位 『スカイライン -征服-』
4位 『ザ・キング・オブ・ファイターズ
5位 『ブラックスワン
6位 『ソーシャル・ネットワーク
7位 『イップ・マン 葉問
8位 『リアルスティール』
9位 『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』
10位 『SUPER8/スーパーエイト』

■2010年の好きな映画ベスト10:詳細ページ

1位 『第9地区
2位 『ヒックとドラゴン
3位 『告白』
4位 『キック・アス
5位 『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-
6位 『ハート・ロッカー
7位 『トイストーリー3』
8位 『インセプション
9位 『劇場版 涼宮ハルヒの消失
10位 『シロメ』

ちなみに、『シロメ』は今をときめく「ももいろクローバーZ(当時はZつかない)」が、紅白歌合戦出場を“シロメ様”という悪魔に祈願しにいくというフェイクドキュメンタリーなんですけど。この願いは2年越しで成就したんですよね。そういう意味で、是非今年の正月観る映画としてオススメの一本です。

では、よいお年を。

『悪の教典』 トップアイドルと権謀術数

結構前に観たんですが、まだ感想書いてなかったので。ネタバレは本質的な部分を除いて。

悪の教典

2012年の日本映画。三池崇史監督作品。貴志祐介原作小説の映画版です。

原作小説も未読で特に予備知識もなく観に行っちゃったので、その予想の斜め上というかほぼ直角真上に近い内容でとても楽しめました。勿論、内容が内容なだけに、知らずに観に行って大変な目に遭った方も多いでしょうね。トラップ映画という意味合いでは近年トップクラスではないでしょうか。

「私はこの映画が嫌いです」と言って試写イベントをドタキャンしたトップアイドルの方もいました。

そのドタキャン騒ぎ事態が話題作りのためのヤラセ、炎上マーケティングだったんじゃないかとも言われていますが。個人的にはそのアイドルの方のお立場を鑑みるのであれば、どっちにしても本作を手放しで薦めることはできないんじゃないかと思います。というか、本作に関わること自体が危険ですよね。

なぜなら、本作は主人公の教師による凄まじい“権謀術数”を描いた作品だからですね。

主人公の蓮実先生は、生徒から絶大な人気を誇り、職員やPTAの間でも信頼の厚い高校教師。容姿端麗で情に厚く、スポーツ万能で頭脳明晰。でも、その実悪魔のような策略家で邪魔者は容赦せず排除するサイコキラーで、自身の“理想の王国”を築くために謀略の限りを尽くすというのが本作の概要になります。

彼が用いる“権謀術数”の数々が、本作一番の見どころでもあります。

“権謀術数”とは、主に社会や組織などの集団において物事を利己的な方向へ導き、自身の地位や評価を高めるために取られる手段や技法、およびそれが用いられる様を表す総称です。初出は中国宋代の儒学者朱子の『大学章句序』、「権」は権力、「謀」は謀略、「術」は技法、「数」は計算を意味するとされます。会話上のテクニックや気づかいなどの小さなもののみならず、時に賄賂や恐喝、暗殺などの直接的な手段も含みます。

現代においては多くの場合、集団において個人が負う役務そのものによってではなく、「それ以外の手段によって集団内の地位・評価を高めようとする行為」を特に指して言います。 例えば組織内において「自身の発言力を高めるために対立する個人を組織から排除」しようとしたり、あるいは「自身の功績を実際以上に大きく見せるべく印象を操作する」などの場合がそれに当たります。

そんな“権謀術数”の手法を一つ一つわかりやすく教えてくれるのが蓮実先生なのです。

さて。そんな手法が本作によって公になることによって都合が悪くなる人たちもいますよね。当然ながら、今現在進行形で「個人が負う役務以外で集団内の地位・評価を高めている人」や「自身の発言力を高めるために対立する個人を組織から排除している人」とかですよね。“権謀術数”の実行者たちです。

権謀術数的に考えると、その実行者は「この映画を好評価・推薦することは避けなければならない」のです。

はだしのゲン』という漫画作品の評価が、その評者の持つイデオロギーの方向性によって真っ二つに分かれるような現象と同じですね。本作を「評価しない」とする立場の人は、言わずもがな「自分は権謀術数に長けた人間で、その手法を認知させるような作品は他人に見せたくない」と言っていることになります。

「命が簡単に奪われていくたびに、涙が止まりませんでした…。」

とか涙ながらに言うわけです。その姿を見た人たちも同調するわけです。見事なまでの人身掌握術です。権謀術数の基本は情報操作であり、“事実を歪曲させる手法”である場合が圧倒的に多いのですが、そもそもこの場合は「簡単に命が奪われる」という部分が“事実の歪曲”にあたります。

蓮見先生、割と殺すのに苦労してますよ。決断するのに座りこんで悩んだりします。30秒ぐらい。

「一発で二人同時に殺すのは難しい」とかも言ってます。簡単じゃないんです散弾銃で殺すの。本作のは水平二連銃なので速射性は皆無だから対多人数に向きませんし。スラッグ弾ではないので中距離以上では弾道制御が難しく、散弾の着弾パターンがドーナッツ状になり中心部が薄くなるのでエイムにもコツがいります。

“映画好き”を自称するなら、尚更アレを見て「簡単に命が奪われる」という曲解はしないと考えます。

本作に対する評価者の反応がそのまま“その人の本性”を炙り出すパッチテストのような機能を持っているという点で、本作はなんと素晴らしい作品なのかと自分は感激しております。こうやって上から分析視点で語ることによって、自分をその対象から除外しようとかそんな邪なことは、絶対に考えていないですよ。

『桐島、部活やめるってよ』 モンハンを失ったPSP

夏場忙しくて全然映画館行けなかったんですが、猫も杓子も「桐島、桐島」言ってたので。でも、まだ飯田橋でやってたんで、今更ながら観てきました。観てよかった。邦画的には大大大傑作です。とりあえず、ちょっとネタバレも含みつつの感想になりますが、色々考えることが多い映画ですね。

桐島、部活やめるってよ

2012年の日本映画。吉田大八監督作品。同名小説の映画化版となります。

「どんな話なのか?」という点では、タイトルの通り「桐島がバレー部をやめる話」そのまんまなんですが。「それがなんで物語として面白くなるのか?」というのは、映画を観ているうちにじわじわ分かってくるという、知的好奇心をくすぐる作品なんですね。だからこそ、何も知らずに観た方が当然楽しめます。

ただ、物語の構成やその意図に気づかなくとも、フツーに面白いのが本作のまた素晴らしいところです。

キャッチコピーに「あなたの記憶を刺激する」とあるように、誰もが経験している「高校生活あるある」な話なんですね。例えば、本人のいないとこでの女子の陰口とかね。男子校に通ってた自分の記憶にはねーけど。ヲタ友達によるリア充死ねトークとかね。ヲタの友達すらいなかった自分の記憶にはねーけど。

記憶はなくとも「一般的なニンゲンの高校生活ってのはこういうものなんだ!」とSFとして楽しめました。

人間の記憶というものは、実体験だけを基に形成されるものではなく、映画やドラマや小説や漫画を読むことででも擬似体験的に生成されます。だから、本来体験しえないSFやファンタジーも、その知識を集積することで“実体験に近い記憶”を形成し、実体験に基づいた「あるある」として楽しめるようになるのですね。

ただ、「自分はこのスクールヒエラルキーの底辺にすらいなかった…。」ことに気づいて絶望しました。

本作は、『ハイスクールミュージカル』に登場するようなモテ系男女や運動部で構成されるハイヒエラルキー層(ハイランダー)と、非モテ系男女や文化部で構成されるローカスト(地底人)層が「これでもかと」明確に区別されて描かれる、極めて差別主義的(悪い意味でなく)な物語です。

本来はどちらかの陣営に感情移入して観るものなんでしょうけど、自分はそのどっちでもなかった…。

…いい加減自分の過去を穿り返して自爆するのはやめにして、「どんな映画なのか?」の話に移ります。本作は「桐島という人がいなくなる」ことにより、これまで彼に依存して来た人々が狂いはじめるという話です。彼の実力に依存するバレー部員、彼の友達であることをステータスとする友達たち、そして恋人とその友達たちが。

“桐島というアイデンティティを喪った人たちの織り成す、アイデンティティ喪失の物語”になります。

アイデンティティ喪失の物語自体は割とよくあります。大事な人を失った人の物語、記憶を失った人の物語、役割を失った人の物語とか『トイ・ストーリー』なんかもこれ系です。喪失したものへの依存度が高ければ高いほど、喪失がもたらす危機(アイデンティティクライシス)は大きくなり、ドラマとしても面白くなります。

本作に登場するリア充どもは、桐島への依存をもって“自分の地位”を保持しています。

PSPがモンハンに依存している様に、島根県鳥取県に依存している様に、彼らは桐島あってこその彼らであり、だからこそ「桐島が部活をやめる」、たったそれだけのことで脆くもその牙城は崩れ去ってしまうのです。当然、彼らは桐島を探します。でも、見つからない。自分が見つからない。桐島の喪失は彼らに暴走を促します。

彼らの暴走は、ローカストである映画部の撮影を邪魔します。でも、映画部は元々桐島なんか知らない。

「映画が好きで映画を撮る」つまり自分のアイデンティティを自分で確立出来ている映画部の前田君。彼のファインダーには、そんなリア充どもの暴走が滑稽に映ります。奇しくも、映画部が撮影しているのは“ゾンビ映画”。顧問教師の反対を押し切って撮影するそのゾンビ映画は“強烈な自我の象徴”です。

これは“自発行動的ゾンビ VS 非自発行動的ゾンビ(哲学的ゾンビ)”という皮肉で、笑うとこです。

哲学的ゾンビ”は心の哲学で使われる言葉で、デイヴィッド・チャーマーズという人がクオリア(主観的体験が伴う質感)の説明に用いた思考実験で有名な言葉です。「もしかしたら、痛さや悲しみという感情があるのは世界中で自分独りだけで、自分以外の人間はロボットなんじゃないか?」って考えたことありますよね。

「自分以外の人間は、ただ状況に反応して自動的に動いているだけじゃないだろうか…?」

「外面的には、普通の人間とまったく同じように振舞いながら、内面的には、意識を持たない=主観的体験を持っていない人間」のことを、“哲学的ゾンビ”と呼びます。ディビット・チャーマーズは、この哲学的ゾンビという喩えを用いて、「主観的体験こそが世界にとって不自然な存在ではないか?」と問いかけました。

桐島という歯車を失っただけで機能不全に陥るリア充どもは、所詮は意識をもたないゾンビなんです。

モンハンを失ったPSPも(自主規制)兎も角、本作は我々ローヒエラルキーこそが自我同一性を確立しえた優れた人類であり、セックスリア充の糞どもは意識のないゾンビなのだ、ロボットなのだ、BOTなのだ、NPCなのだ、近似アルゴリズムであり巡回セールスマン問題であり粘菌コンピュータなのだ。

あの天パとか我ら選ばれた優良種たる映画部に管理・運営されてはじめて生き延びることができる。

これ以上あの天パにかすみちゃんの手を握らせておくのは人類そのものの存亡に関わるのだ。バレー部の無能なるゴリラ共に思い知らせ、明日の未来のために我が映画部は起たねばならんのである!!てゆか、かすみテメーもだ!!裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったな!!最後にこれだけは言っておく…。

ロメロぐらい観とけッ!!