『パンズ・ラビリンス』 押すなよ!
2006年のメキシコ・スペイン・アメリカ合作映画。ギレルモ・デル・トロ監督作品。
舞台はゲルニカで有名なスペイン内戦下のスペイン。独裁政権の下、反乱軍の掃討にあたる冷徹な大尉と母親が再婚したことにより、過酷な運命に見舞われる少女オフェーリア。そんな彼女の前に突如現れた、ファンタジー世界の住人、森の迷宮の番人パンは言うのであった。「あなたこそは地底の王国の姫君だ」と。
最初に言っておくと、ものすごく好き嫌いがわかれる作品かもしれません。
まず、「スペイン内戦下のお話」ってことを理解してからでないと、色々曲解するおそれがあります。最初、うっかり「ナチス支配下の東欧?」って思っちゃったのですが、そういうことだと映画としての意味合いがだいぶ違ってきてしまいます。それだけで、「ああ、ユダヤ視点の賞とり映画かよ。」って勘違いしかねません。
実際、賞とってるしね。
また、ネチネチと執拗に人体破壊描写を見せつけてくる悪趣味な映画でもあります。実際、スペイン内戦はイデオロギーや宗教、民族意識を越えて極めて感情的な動機による闘争に発展し、史上稀に見る残虐行為の応酬がみられたそうなので、本作はホロコーストも真っ青なその情景を、史実のままに描いただけなのかもしれませんが。
それにしても、ファンタジー映画のお面つけて売る分には、さすがに悪趣味と感じてしまいます。
別に自分は悪趣味な映画は大好きなんですが。それでも、世の中には良い悪趣味と良くない悪趣味があると思うのです。例えば前者は、腐った死体や汚物さえキレイに魅せるテリー・ギリアム作品、残虐描写の中にメッセージ性が光るポール・バーホーベン作品、悪ふざけが過ぎてもはや芸術のピーター・ジャクソン作品など。
ジェームズ・キャメロンやスピルバーグ作品にだって、稀にウィットに富んだ悪趣味描写が垣間見られます。
いずれも、作品のテーマ上、悪趣味な描写が必要不可欠とするものだったりしますが。本作は、その悪趣味がどうしても必要かと言われると、否と答えるしかないなーと思ってしまいました。戦争の悲惨さを伝えるためだけなら、なにも人体破壊をネチネチと見せる以外にもいくらでも方法はあるわけですからね。
ていうか単純に、時間配分上ゴアシーン長すぎて「テンポ悪っ」て思っちゃっただけなんですけどね。
あと、何より主人公とその周囲の人間の空気の読めなさ具合にいちいちイラッとしたり。まぁ、オフェーリアはさすがにまっとうな精神状態を保つのもキツいから仕方ないかとは思うんですが。あの緊迫した状況で、どう見てもバレバレのトラップを、周囲の制止も振り切って踏むあたりはさすがに「ねえよ!」って思いました。
「押すなよ!絶対押すなよっ!」って念押しされたら押さなくちゃ!という芸人魂はわかるんですけどね。
あと、あの一応仲間なはずの女スパイ。馬鹿かあんた!?もう行動が軽率だわ、肝心なとこで詰めが甘いわ。作中いろんな人が酷い目に遭って死ぬけど、その要因を作ってるのはほとんどお前じゃんか!お前の無自覚で利己的な行動が誰かを殺すとはなぜ考えない!?いやもう、こいつの挙動を見てるだけで本当にイライラ。
終盤で大尉に言い放つ台詞も、お前の台詞じゃない。利己のために他を犠牲にしたお前の台詞じゃない。
何より、本作のKY大賞受賞者は、森の迷宮の番人パン氏。この悲劇の元凶の半分は戦争だけど、半分はお前がもってきた中途半端なファンタジー要素だと思う。それは全て追い詰められた少女が縋った妄想だったという結論だったとしても。結果的に救いとはほど遠い、重大な二つの死という現実をもたらすこととなりました。
最後に宗教的な救いがあれば全てよしとするなら、どこぞの宗教団体の映画と大差ないですよ。
また、抑圧された少女が縋った幻想世界を描いた作品として、『ローズ・イン・タイドランド』や『乙女の祈り』という、個人的にド直球な作品とどうしても比較してしまうので、評価が下がってしまったのかも。クリーチャーのデザインは、流石デルトロ監督ってとこなんで、ファンタジー好きの方はそっち方面で好きになれるかもです。