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泥船てすかとりぽか

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『稲川淳二の怪談ナイト』 本当に怖い心霊写真の方法

稲川淳二の怪談ナイト

2011年夏のツアーに行ってきました。

自分の中で本当に怖いと思ってるメディア作品は2つしかなくて、1つは『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズ、もう1つは稲川淳二の怪談なんですけど。今回ライブで生淳二の話を聴いてきて、なんとなくその“怖さの理由”の一端を解明できたような気がするので、なんとなくまとめてみようと思います。

「本当に怖い心霊写真とは?」

もうかれこれ19年も続いている会談ナイトの構成は、前半怪談話で後半は心霊写真紹介になっています。この心霊写真紹介に関する部分について、「稲川さんの語る心霊写真はなぜ怖いのか?」という修辞技法を説明するために、まずその論術の構成を下記のように示してみます。

1) 科学的知識に基づく心霊写真のフェイク・トリック例の紹介と否定
2) 画像処理技術に基づく心霊写真のフェイク例の紹介と否定
3) 作為の感じられる心霊写真の紹介と否定
4) 本当に怖い心霊写真
5) 不思議なことがあるもんですね〜

上記の論述の詳細を記す前提として、稲川さんによる心霊写真の紹介方法を記しておきます。舞台上の大型スクリーンに写真を映し、状況に応じて拡大しながら、ポインターを手にした稲川さんが“面白可笑しく語る”という形式。この“面白可笑しく”ってのがまず肝で、信頼性の向上に付与する効果があるわけですけど。

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1) 科学的知識に基づく心霊写真のフェイク・トリック例の紹介と否定

まず、今時心霊写真なんて流行らないんです。なぜかって、「心霊写真なんて19世紀の産物。20世紀の初頭には科学的な検証の元、フェイクとトリックによるものという結論が出ている。」ということが、我々の一般常識として刷り込まれているからです。我々は“科学という鎧”によって、容易に心霊なんてものは排除できるのです。

そんな反論は勿論稲川さんは百もご承知。だから、まっ先に“心霊写真の嘘”について語るわけです。

具体的には、フェイクまたは(作為の有無は別として)トリックにより撮影された“自称心霊写真”を見せながら、1つ1つそのフェイクとトリックを“科学的見知に基づき”暴いていくんです。例えば、「白い壁をバックに腕を素早く振って撮影すると腕が消える」なんて話を、論理的かつわかりやすく説明してくれちゃうんですね。

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2) 画像処理技術に基づく心霊写真のフェイク例の紹介と否定

次に、心霊写真に対して我々がもっている疑念のもう一片、「心霊写真なんてホトショ使えばいくらでも」って話も、作例を元に稲川さん自ら説明してくれちゃいます。てか、稲川さん本職は工業デザイナーですからね、当然そういうことにも詳しいわけですが、今はそういう写真が山ほど送られてきて困っちゃうということです。

ていうか、自分も昔ホトショの練習と称して、心霊写真いっぱい作ってました。稲川さんはこうしたフェイクやトリックにより撮影された“自称心霊写真”は当然「心霊写真ではない」として笑い話にしながらも否定しています。この時点では笑い話でも、後でこの布石がワロエナイ結果に繋がるとは気づきませんでしたけど。

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3) 作為の感じられる心霊写真の紹介と否定

とりあえず、1)と2)では「心霊写真は誰でも作ることが出来る」ということと、その判断過程を説明した稲川さん。さて、ここで初めて、“フェイクでもトリックでもなさそうな写真”が登場します。つまり、科学的・物理的にも作り方が解明できず、画像処理の結果と判断するのも難しい写真があるということです。

ここでまず稲川さんが凄いのが、“科学の万能性”をひけらかさない事。科学で解明できる部分とできない部分の線引きというものを十分な知識に基づき持っていて、またソレを論理的に説明することもできるということ。大槻教授みたいに「科学で解明できないことはない!」という、科学に対する盲信は持っていないのです。

しかし、そんな写真すら“作為が感じられる”という理由から、心霊写真とは認めないのです。

“作為がある”を言い換えれば、“この写真は何のためにとったのかわからない”ということです。例えば、“誰かの写真を撮る”という目的はいわずもがな明確ですが、“誰もいない部屋の一角を撮る”とか“ただの窓ガラスを撮る”ということは、そもそもその写真を撮った理由も目的も皆目わからないですよね。

つまり、撮った目的の不明な写真に“何か”が写った場合、“何か”を写すための“作為が感じられる”と。

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4) 本当に怖い心霊写真

1)と2)と3)の過程を経て、我々の心霊写真に関する浅はかな懐疑主義は、更に論理的で潤沢な知識量を持つ稲川さんにより更に理論武装することができました。99%の心霊写真は科学や技術や作為によって説明と否定が可能であることも明らかになりました。もう安心です。どんな心霊写真を見せられても鼻で笑うことが出来ます。

でも、万が一ここで残り1%の可能性を突きつけられたらどうなるでしょうか…。

突きつけて来るんですね、稲川さん…。ネタバレになるから詳しくは書けないけど、多方面から論証を加えてもフェイクやトリックで説明できず、かつ作為的でもなく、かつ物凄いいわくつきであるという写真を突きつけて来るんですね。完全防備を固めたと安心した矢先、その鎧の間隙を縫う“信頼していた味方からの一撃”。

これが稲川さん流の、“本当に怖い心霊写真”を紹介するレトリックなのです。

おそらく、何の前置きもなしに最後の心霊写真を見せられたとしても、普段の我々ならあんまり怖くないんじゃないかと思います。たぶん、「トリックか画像処理がなんかだろw」って言って終わるとこです。てゆか、後から冷静に考えれば、やっぱりホトショで加工できるんじゃない?と思えるような写真だったりします。

でも、会場では完全に稲川さんに精神を掌握されてしまっていたのです。

「心霊写真は簡単に作れる」と自説を補強してくれたはずの人に、あっさりと「この心霊写真は人の手で作られたものではない」と手の平を返されてしまったら、自分はもう何もよりどころが無くなってしまうのです。自分で判断する能力が奪われている以上は、もう稲川さんの言うことを盲信するしかない状態なのです。

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5) 不思議なことがあるもんですね〜

稲川さんが本当に凄いと思うのはこの最後。おそらく、他の霊能者なんかの場合、この“未知なる心霊写真”に対して何らかの“理由付け”を行います。いや、他の霊能者の場合、稲川さんみたく“自称心霊写真”の検証なんか一切なしで、単なるカメラのハレーションにすら“理由付け”を行うんでしょうけど。

「これは悪い霊が写っています」みたいな理由付けです。

さらに、「このままだと大変だから除霊をしましょう」とか「うちの宗教にはいりなさい」とか、「この壷を買えば大丈夫」とかやるわけですね。まぁ、“理由付け”のみならず“救済”や“安心”までセット売りしてくるわけです。でも、稲川さんの場合はそんなもの売りません。稲川さんは、ただこう言うだけです。

「不思議なことがあるもんですね〜」

投げっぱなしですよ。これが最高に怖いんです。霊能者が「霊のしわざです。」って言うのは病院にいって「風邪です。」って言ってくれるようなもんで、嘘か真かは別にして安心感を与えてくれるものなんです。でも、病院に言って「不思議ですね〜」で終わったら全然解決になってないじゃないですか!!

そもそも、心霊の概念(個々人が死ぬと霊になるという概念)が一般的になったのは、日本においては戦中後の話であるとも言われてまして。元をたどれば平安時代御霊信仰(天変地異や社会の乱れを、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊のせいにする思想)に基づきます。

理不尽で酷いことが起きたら、死んだ奴のせいにしちまおう!って考え方から生まれたのが“霊”なんです。

つまり、霊って言うのは“人を怖がらせる目的”ではなく、“人がよくわからんことに理由付けをして安心する目的”で生まれた概念なんです。そういう意味では、霊能者が心霊写真に対して“霊のしわざという理由付けをする”というのは、“人を怖がらせる”という目的には適っておらず、むしろ安心させてるんですね。

対して稲川さんは、別に霊能者でも霊の専門家でもなく、ただ“霊の話がうまい人”なんですね。

だから、「霊のせいです。」なんて明言はせず「不思議なこともあるもんですね〜」とか、「霊のしわざなんですかね?」ぐらいしか言わない。要するに「結論は視聴者にお任せしますよ」って投げっぱなしなんですよね。てか、任せられても結論なんか出るわけない。ただ、“恐怖”だけが“呪い”のように残るわけです。

以上、稲川さんの語る心霊写真紹介の手法説明です。

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#)まとめ

同様のスタンスは「〜とでも、言うのだろうか?」の『ほんとにあった!呪いのビデオ』にも。

『ほん呪』がなぜ怖いのか?は昔書きましたが、一言で言うとノイズが非常に多いからです。どっからどうみても安いフェイクとトリックと“なんでもない自然現象”が99%を締める映像の中に、1%の割合で“名状しがたいとてつもなく恐ろしい映像”が混じっていることがあるからです。

あまりにもノイズ内容も酷すぎて、「送られてきた映像テキトーに流してるだけだろ!」的な意味で製作会社に対する“猜疑心”が極限まで薄れている中に、全くどう撮ったのか説明もできないような(フェイクにしてもそんな予算がある製作会社には見えん!)、かつ生理的にウボァーな映像が混じってるとマジで吐きそうになります。

で、やっぱり「霊のしわざだ!」なんて一言も言わず、視聴者に投げっぱなしの“呪い”をかけます。

この“理由付けをしない”という点には、“呪いをかけて恐怖心を煽る”以外にももう1つ大きなメリットがあります。マスメディアや視聴者を敵に廻さないで済むということです。過去、TV番組で「霊のしわざだ!」と明言してきた霊能者の人たちが、結果どうなったかを見れば、ソレは一目瞭然なことですね。

『ほん呪』がロングセラーなのも、稲川さんが19年間もこうした怪談事業を続けて来られたのも、おそらく意識的に「霊のしわざとは明言しない(できない)」という正直さと高潔さがあったからだろうなと思います。その真摯な姿勢は視聴者を惹きつけ、霊の存在を曖昧なものにし、さらに恐ろしい“呪い”を蔓延させるのです。

ただ、今回記したのは稲川さんの恐怖のレトリックの一片、かつ本当に浅い部分に過ぎないと思います。

“怪談”の部分に関しては、伝統芸能としての長い歴史の中で培われたレトリックは数知れずあるでしょうし、“擬音”の使い方なんて落語家も真っ青なハイレベルですし、何より稲川さんの場合は若者やネット上のトレンドなんかも常に注意して取り入れてもいるようですので。

今日聞いた最後の話なんて、2chのオカ板とか流行ってる“意味怖”でしたから。