てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『納棺夫日記』

納棺夫日記

青木新門著。アカデミー賞受賞作品『おくりびと』の原案となるご本。

さすがにオスカー作品なだけあって格がちがった。しかもこの著者ときたらベストセラーなのに謙虚に「映画の原作ではない」と言った。ちなみにこの話は実際にあった内容で英語でいうとノンフィクション。フランス語でいうとたぶんメメントモリ(最近ガンダムを見てWikipediaで調べて覚えた言葉。死をおもえとかダークで格好いい)。

…みたいな感じの超ミーハーな動機で読みまんた。

いやあ、なんか書評とか見ても「難しい内容なのにすらすら読めた」とか「なんだかよくわからないけど涙が出た感動した」とかそういうのが多かったし、実際アマゾンでもトップセールスを記録してるんで、万人向けのエンタメ小説なんだろーなーと思って手にとってみたんですけど。

…全然すらすら読めないし、エンタメでもないよ。

ほんの200ページにも満たないボリウムではありますが、著者による納棺師としての自伝を綴った部分はその半分ぐらい。実際その前半部分が映画の原案になっている内容で、納棺師のような職業の人や遺族の方の心情に迫っていて興味深いし読み難くもないんですけれども。

…後半部分は、仏教用語てんこもりの「論文」になっているのです。

ちゃんと注釈がついてるのはいいんですけど、その頻度が『攻殻機動隊』並みに多いこと、専門用語の説明にさらに専門用語を用いていることなどから、そういう方面の知識がある程度デフォでない限り「すらすらとは」読めない内容です。菩薩とか如来とか親鸞って言われて即何事かはわかる程度に。

注釈例/正定聚(しょうじょうじゅ):涅槃にいたることを約束されているものの意。(涅槃てナニ?)

ただ、そのへんも著者があとがきで「後半書き直そうかとおもったけど支持してくれる人がいるから…」と自戒してる部分なのではありますが、エンタメ小説とは真逆の方向性の作品だってことは確かですし、「人に読ませるためにわかりやすく工夫して書いた文章ではない」ということも否定できません。

それでも、読んだ人の多くが感動できる作品だと言うことも、これまた確かだと思います。

中に書いてあることなんて別に理解しなくてもいいんです。難解な小説とかを「わかった感じがする」って読むのと同じです。そんなんでも結果何かしら得てるものなんです。仏教における考え方で、「お経や法話は毛穴から染みこむから別に聞いて理解しなくてもいい。」ってことです。

実のところ、この本の後半部分に書いてあることはそういう仏教の考え方についてです。

その後半部分を要約するなら、親鸞が『教行信証』に記した「『大無量寿教』こそが真実を説いている」という論とその論旨について解説を加えながら、浄土真宗における往生法即ち如来の力(他力)に拠る成仏に関する著者の持論を展開しているんですけれども。

(『大経』とか大学の時にやったけども…。あのへんすらすら理解る人いたら尊敬します…。)

わかりやすく言うなら、親鸞の広めた浄土真宗の特徴は「他力本願」。つまり、自分の力に拠らず仏様やら生きとし生けるもの全てへの報恩感謝こそが、菩薩(仏様になることを約束された人)になる道なんですよ。著者的にもそうなるためには色々難しい現代だと思うけど、そうありたいものだよね。って感じの内容です。

そもそも、「南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば救われる」って言う浄土宗に対して、「信心を起こした時点で既に救われている。念仏を唱えるのはあくまで救われたことへの感謝。」ってのが浄土真宗ですから、即身成仏(生きながら仏となる)という目的の上では、最も効率の良い考え方なんですね。

ジョジョ5部風に説明するとこうです。

南無阿弥陀仏」…そんな言葉は使う必要がねーんだ。
なぜなら、オレや、オレたち真宗の仲間は、その言葉を頭の中に思い浮かべた時には!
実際に阿弥陀如来に感謝しっちまって、もうすでに救われてるからだッ!
だから使った事がねェーッ。

効率が良いっていい方は流石に失礼ですけれども、納棺師という仕事はある意味お坊さん以上に人の死に関わるわけですし、旅立ちのお手伝いをするという意味でも、まさに自らが阿弥陀如来になって送り出してあげたいという思いが誰よりも強いわけですよね。わかります。そんな話聞いて感動しないわけない。

そんなご本をミーハーな動機で読み始めて本当にごめんなさい。
おくりびとDS』とか『Wiiリモコンで納棺!』とかいう企画が刹那頭よぎっただけでもごめんなさい。