てすかとりぽか

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『竜馬伝』 マゾヒズムの究み

"封建社会の完成形は、少数のサディストと、多数のマゾヒストによって構成されるのだ。"

NHK大河ドラマの『竜馬伝』を観て、そんなことを思う。下級武士として生まれた竜馬やその仲間たちは、上級武士から犬畜生のように蔑まれ、故あれば蚤のように殺されながら生きている。そんな状況に耐えかね、反抗を企てる仲間たちを抑し、只只管に頭を地に擦り付けて詫び続けることを諭す竜馬。

マゾヒストの極みである。

仲間が斬り殺されても、母親が殺されても、頭を下げ続けることで世界を変えることが出来ると信じている彼。決して抗うことなく。否、これが彼流の抗い方なのである。この究極のドМプレイこそが、後に日本国を二分する全面戦争を回避し、江戸城無血開城やら大政奉還まで成し遂げてしまうのである。

2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート』という本を読んだ。

長谷川和廣著。上司に読んどけって渡されたので、正直仕方なく読んだ。否、嫌々読んだ。ていうか死ね。で、内容は「仕事というものは辛くて当たり前」とか、「地獄のような経験が能力を引き出す」とか、「自分から望んでババを引け」とか、要するに「成功するためには、敵がひくぐらいドМであれ!」というような内容が書いてあった。

そんなことは百も承知である。現在の日本は江戸時代以上に封建的なクソ社会だ。

ただ、「NHK大河ドラマは世相を反映したテーマを選ぶ」という話は本当なんだなと思う。ここまで世状が悪化すると、虐げられた者にとって『忠臣蔵』の様な反逆のカタルシスは介在しえない。会社や社会への反抗は是即ち無職ニートへの転落イコヲル死を意味する。中二病的英雄譚など糞の役にも立たないのだ。

そこで、アンチヒーロー、ドМヒーローこと坂本竜馬の登場なのである。

第一話から、ドМ道まっしぐらである。「そんなクソ野郎とっととブッた斬っちまえよ!!」という仲間たちと視聴者のフラストレーションとは裏腹に、竜馬はニコニコ愛想笑いを浮かべながら田んぼの中に土下座する。これにはクソ野郎どももさすがにドン引き。そそくさと、振り上げた刀を納めて去っていってしまう。

この一見反英雄的行動こそが、竜馬の英雄たる所以なのだ。

そして、おそらく、現代社会を生きる侍こと、サラリーマンに必要とされる生存術でもあるのだ。恥も外聞もプライドも武士道も、命には変え難いものだ。つまらぬことで意固地になって、命を粗末にするのは本当に馬鹿らしい。世に生を得るは事を成すにあり。恥といふことを打ち捨てて、世のことは成るべし。

"超大手銀行の信じられない忘年会 先輩のチンコでかき混ぜたビールを新入社員が一気飲み"

「それぐらい、サラリーマンなら当たり前だろう。」意外にも、この記事のレスポンスとしてそんな声が多かった。幼少の頃より血の滲むような想いで勉学に励み、就職氷河期の中やっと手に入れた「超大手銀行新卒入社」という切符、その程度のことで手放すわけがない…と。むしろ、無理だとかいってる奴は無職ニートなんだろうな…と。

たぶんきっと、竜馬なら笑顔で飲み干すだろう。

だから、自分は坂本竜馬が嫌いだ。