泥船てすかとりぽか

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『おおかみこどもの雨と雪』 俺、子供生んだことないんで…(ネタバレあり追記)

おおかみこどもの雨と雪

2012年の日本のアニメーション映画。細田守監督作品。

女子大生の花は、大学で出会った男と恋に落ち、二人の子供を産婦人科にも通わず“独学で自宅出産”する。しかし、子供が生まれてすぐ男は死んでしまう。彼の残した“わずかな貯金”を元手に二人を育てる決意をするが、都会での生活に限界を感じた花は、山奥の古民家に移住することを決意する。

男が“狼男”で、その子供が“狼子供”である点以外、終始一貫“リアリティ”を重視して描いています。

その“リアリティ”に、揺さぶられるわけです、自分の“負の感情”が。途中「もーむりむり!」って席立とうと何度も本気で思いました。でも、観続けたら続けたで、また別の“リアリティ”に、正の感情が揺すぶられるわけです。「まじでこんな映像観たかったんだよ!」って。

ただ、自分は正より負の感情を強く刻んじゃう性質なんで。結論としては、自分には向いていない作品です。

【何がそんなに厭なの?】

あくまで自分が嫌ってだけで、おそらく大部分の人は平気かと思うんで、書いたことで「つまんない映画なんだ」って思われるのも嫌だから、あまり具体的には書きたくないんですけど。“マイナスのベクトルにリアリティ溢れる苦労っつーか苦痛”が延々描き続けられたところで、HPが0になりました。

ソレを不愉快に感じるかどうかは人それぞれだと思うんで、ソレを“普遍的に痛い描写”とは思いません。

「そんなこと気にする方がおかしい」って声があれば、そっちのが多数派で民主的にも正しいと思います。ただ、マイノリティであれ、その描写から“目を背けたい”または“怒りがこみ上げて来る”人がいないことはないでしょう。変わりに具体例をあげるなら、同監督作品に対する下のような感想とかですね。

“サマーウォーズを田舎の大家族の嫁の視点で観たら”
http://togetter.com/li/342972

「家父長的大家族制度に対する無自覚的な賛美がどうにも肌に合わない。」田舎の元大規模専業農家(衰退しました。)に育った自分も「肌に合わない」程度ではなく、明確なルサンチマンとして感じたことでもあります。たとえ少数派であっても、こうした負の感情を煽ってしまうことに対し、同監督は無自覚だなあと感じます。

「いや、無自覚じゃないよ。意図的だよ。」って話なら、ぶんなぐりますよ。

本作にも「田舎での自給自生活に対する無自覚な賛美」という別の形での無自覚さが見られますが、これまた田舎に生まれ田舎に育ちつつも、そのネガティブな部分を心底嫌っている自分には向いていない描写になります。「農業なめんな!」とか「田舎の人間にしてはみんな協力的すぎる!」とかは言わないですけど。

“リアルに実在する村八分”の話とかすると長いので、ここでは言わないですけど。

「自給自足ったって電気代に光熱費、ガス代、ガソリン代、服飾費は?」、「豪雪の中あのサイズの家を暖めるのにどんだけ熱量いる?」、「その車…軽トラじゃだめなんですか?」、「あのデカイ冷蔵庫の電気代…」、「わずかな貯金て何千万よ?」、「アマゾンくるの?」と描写がリアルなだけに、疑念も多く沸いてしまいます。

「田舎は救急車呼んでも来る前にだいたい死ぬよ?」本当、自分には向いてません。

※※※以下、重要なネタバレは避けつつも、一部あらすじに触れています。※※※

【じゃあ、何が好かったの?】

前述の嫌な部分も「だってSFだし」って割り切ることが出来たらいいんですけどね。というか、そう割り切らせるような創りにすればよかったのに。序盤の生々しいセックス描写なんかいらんかったのに。もっと「これは絵空事なんです」感全開のハートフルファンタジーアニメにしてくれたら好かったのにと。

そう、途中から急にその“ディスカバリーチャンネル アニマルプラネッツ”になるそのカタルシス開放感。

生々しく痛々しい描写の連続から一転、素晴らしい景色の山々を駆け巡る“絵空事感全開”の映像描写。「ああ、これだよ。せっかくお金払って映画館に現実逃避しに来てるんだからさ。現じちゅとうひさせてくだしゃいフヒヒー!」ってなるその放出感たるや。さすが先生。先生大好き。油揚げなんか食うか!!なめてんのか!!

あと、“台風の描写”が本当に素晴らしい。これは素直に現実的って意味で。

台風前に教室のカーテンがなびく感じ、水田をなぜる風、突然の稲光に停電する古民家、海のように波渡る校庭、そうそう全部体感したことあるよこれまじですげー。まるでそこに空気があるかの如き風と雨の描写、CGの物理計算を駆使しつつ、二次元のアニメーションとして作画したこの映像は必見の価値があります!!

一瞬、“用水路の水門”も映ります。台風の時の「用水路みてくる」で見に行くのはあの水門です。

「田んぼとか用水路とか台風の時見にってどうするの?ばかなの?しぬの?」という疑問をよく聴きますが。あの水門を開放しないと、関に溜まっている農業用水が田畑に溢れて稲が駄目になってしまいます。だから、みんな必死で雨と風の中、あの水門の上に登って、バルブを回して関を開け水を下流に流すのです。

脳内でエグザイル流して『海猿』の伊藤英明の気分に浸りながらやるんです。で、だいたい死にます。

閑話休題。自分が前述のような無自覚な描写があってなお『サマーウォーズ』が好きなのは、細田監督の作品が好きなのは、そうした“圧倒的なアニメーションによる映像描写”があるからです。基本馬鹿なんで、脚本や演出の是非どーこーより、「すげー映像さえすごければそれでいいです。」って思ってるからなんです。

とはいえ、それだけ好い映像描写の後ですら、負の感情が消えなかったので。本当向いてない。

【ラスト泣いてましたが?】

はい、不覚にも泣いてました。ただ、それは一寸自分がめちゃくちゃ弱いシチュエーションがあっただけで。具体的には根幹のネタバレになるので書かないですけど、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が割とえげつない程その泣かせ技を使ってるにも関わらず、ほんとんどの人がスルーしたというね。

子供が秘密を抱えて生きていくことが、どんなに辛いことなのか。

それを“母親ではない他者”と分かち合えることがどんなに嬉しいことなのか。その告白によって、彼らを庇護し、隠遁する“母親の愛”、逆の言い方をすれば“母親の支配”から逃れ自立するというラストシーンが、見事な憑き物落としになっています。

【なんとなくゴニョゴニョ追記】

鑑賞後にいろんな方の感想文みてましたら、結構似たようなとこで引っかかってる方が多かったみたいでした。前述の「何が嫌なのか?」で具体的には書かなかった“苦痛”についてとかね。単純に見せられる映像や話がきついだけじゃないんですよね。

その乗り越え方が、ただ“母親だから”って、あまりに(ゴニョゴニョ…)

言葉を濁さざるを得ないのは、自分は“その点を批評する立場にない”からでもあります。所詮自分は母親ではないし、子供生んだことないし、そもそも男だから生めないし、母親のあり方についてとやかく言える“立場にない”のです。普遍的な一般的な知識教養の持ち主として「なんか引っかかる」と言うのが精一杯。

ちなみに、この作品の脚本家の奥寺佐渡子さんは一児の母なんだそうです。

だから、多くの方が引っかかるという「母親に対する洞察が浅い」という部分について、「母親が書いてるんだからそんなことないでしょ?」という反論もあるかと思われます。実際、別の奥寺脚本映画『八日目の蝉』なんて完全に“母親映画”ですし、本作と話は似てますが視点はガラッと違いますしね。

でも、だとしたら何故、今作の母親はなんで(ゴニョゴニョ…)

ちなみに全く同じモヤモヤ感を自分は漫画『うさぎドロップ』にも感じてまして。どうしてもあの仕事も子育ても一人で両立させる完璧超人サラリーマンの主人公に対していささかも同調できないのです。アレには対しては同じサラリーマン男として言えるんですけどね。「ねーわw」って。

兎角、本作は“出産・子育てをした事がある母親”以外の人が軽々しく語れない気がします。

“母性”や“子育て”をテーマにリアリズムを追求して描いた本作は、そのテーマについてどんなことを語ろうとも、当事者以外は外野です。「自分で子供生んで育てたこともないのに知った風なクチ聞くな!」で終了です。小町に晒されて酷い目に遭います。鬼女の皆さんに住所突き止められてリアルで人生終わります。