てすかとりぽか

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『密教の本』

密教の本』日実用書

1992年。学習研究社刊。
図版や写真を用いて、密教の意義、歴史、密教名人伝等から寺院ガイド、各仏尊の性格と御利益、修法の執り行い方まで密教に関する知識が全体的にわかりやすく説明されている本。

オカルトやキバヤシに傾倒することない編集姿勢は好感が持てる他、曼荼羅の見方や描き方をはじめ、十八道契印・求聞持聡明法・阿持観・九字・不動護摩・霊縛法などポピュラーな修法もわかりやすく、実践に基づいた方法も載っている実用書でもあります。

中学生とかだと本当にやりそうです。
ていうか、やった。

反面、いざなぎ流の呪いの真言や、希代の邪教・真言立川流のダキニ天法なんかも詳しく書いてある危ない本でもあります。

「ダキニ天法」は京極夏彦狂骨の夢』にも出てきて有名ですが、平安時代に伊豆の仁寛が開いた立川流を、文観が南北朝動乱期に後醍醐天皇の庇護の下に大成させ、驚異的な験力を発揮した密教秘法の一つで。

まず、人間の髑髏を本尊とし、その髑髏に漆を塗り、歯をつける。
語らいおける好相の女人と交合し、
その和合水を髑髏に塗ること百二拾度、
ひたすら塗り重ねるべし。

この「ダキニ天法」、アレイスター・クロウリー錬金術「エリクシール」の精製と同様の性魔術で、セックスを力の権現とした異端性から、同じ真言宗高野山からは邪教として非難を受けたそうな。
ただし、その神通力の強大さ故に、後醍醐天皇崩御の時勢に至るまでは国内仏教界で全盛を誇っていたのは事実らしいです。

今の中学生とかだと本当に実践しかねなそうです。
羨ましい。

てか、何でこんな本を読んでたかと言うと、
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↑コレ。
前にも書いた、自分ちの墓にある謎の石仏の来歴を調べるため。
どう見てもコレは半跏思惟の弥勒菩薩が三体も並んでる。
本でわかったのはここまで。謎。
後ろにある二つの石塔には南無阿弥陀仏と昭和二三年という記述があるのみでしたが、明らかに石仏はそれよりも古い模様。

葬式に来ていたおそらく最年長である祖母の妹さんに、これが何か聞いてみたところ「これは六地蔵だ」とのこと。

すみません、六体ありません。三体しかないです。

ただ、六地蔵は六道輪廻を司ることから、墓地の入口に建てられるという意味合いでは、六地蔵で問題ないんだろうなあ。「なんかの拍子」で三体が失われたのかも。

その「なんかの拍子」に思い当たる事実について。
自分が6歳のとき、祖父が亡くなった折のお話。

死因は交通事故。ちょうど筑波万博の帰り道、パンクしたタイヤ修理のために車道へ出たところを別の車にはねられました。はねた車の運転手は「全く見えなかった」と証言していたということを覚えています。

祖父が亡くなるその年、祖父をはじめとした親戚5人で、うちのお墓を手直ししたそうです。当時は既に火葬も一般的になっていましたので、土葬されている部分をショベルカーで掘り返し、出てきたそれらをまとめて火葬した上で、現在のお墓に納めなおしたそうです。

この時、来歴不明の異常に多数のそれらが出たとの話もあり。
おそらく、この石仏もその時に移動されたものと思われます。

しかし、その手直しから数年の間に、関わった5人は全員亡くなられました。いずれも、事故や自殺で、なかには「温泉で亡くなった」という以外死因が明かされなかった方もいました。

さらに、祖父の亡くなった直後に、自分の従姉妹(当時高校生)までもが肺炎で亡くなったことから、当時6歳の自分も周囲から呪いや祟りといった話をまことしやかに聞かされたものです。

そんなこともあったのと、当時大人気だった『バタリアン』を劇場で観たこともあり(6歳に見せるなよ親)、死や祟りに対して過剰な畏れを抱いた自分は、以後熱心な仏教徒となったようで。小一にして「般若心経」を暗誦し、親からは「将来は坊主にしよう」と厭な期待をかけられたりしてた。

しかし、熱心すぎたことから様々な宗教の教義本やオカルト本を読み漁り、研究者の立場としていつしか無神論者となり、(悪い意味で)有名な妖怪研究家の創設した変な大学の変な学科に間違って入り、そこで仕方なく民俗学の研究とかして、今ではただのホラー映画・小説好きになりました。

あぁ、なんかひょんなことから自分の鬱な来歴までが判明。
最近マイミクの友達がみんな鬱日記を書いてるので流行にのる。