てすかとりぽか

最近はポケモンのことを書く場所です。

『タイタンの逆襲』 性欲をもてあます神々

タイタンの逆襲

2012年のアメリカ映画。ジョナサン・リーベスマン監督。『タイタンの戦い』の続編。

前作『タイタンの戦い』がちょうど先週テレビでやってまして。映画館で字幕で観た時は微妙だった気がするんですが、テレビで吹替えでツイッターで実況みながら観たらなんか普通に面白いという。要するにパーティ向けのボンクラ映画だったわけですが、要約すると“だいたいゼウスが悪い”というお話。

で、本作も“だいたいゼウス(とその家族)のせい”で人間が酷い目に遭うお話。

ちなみに映画観て家帰ってきたら、ちょうどテレビで『ビッグダディ』がやっておりまして。こちらも“だいたい親父が悪い”って意味と、“ハック&スラッシュ系の映画”という2つの意味で本作と共通していますね。ていうかなんだ今日の茶番は。もうヤラセってわかってんだから、微妙に人死にぐらい出さないと観ないぞ。

“ヒグマと素手で死闘を繰り広げるビッグダディの運命やいかに!?”ぐらいの引きがないと無理。

閑話休題。本作も“ハクスラ映画”としては珠玉の出来だと思います。というか、こういう『ゴッド・オブ・ウォー』的な世界感の映画は“ハクスラ映画”と呼んで生きたい。雑魚蹴散らして、小ボスが出て、また雑魚蹴散らして、中ボスが出て、武器集めて、最後に超巨大ボスな流れとか。もういいかげんに(自主規制)

ていうか、よもやのゼウス(リーアム・ニーソン)萌え映画。

クロノスが攻めくるってんで追放した兄ハデスに共闘を求めるも、逆に囚われの身(お姫様繋ぎ)にされてしまうゼウス可愛い。で、息子のアレスにも裏切られハンマーでボッコボコにされると「ちょ!おま!アレスやりすぎちゃうん!?」って制しちゃうハデスにぃにぃも可愛い。

お前ら、ほんとは仲良しちゃうんか!?と。まぁ、結果的に仲良しなんですけど。

そんなうっかりパパと仲良し家族がたまに洒落にならないレベルの喧嘩をして、困るのは周囲の人間っていうのはギリシャ神話的で笑うところなんですけど。まぁ、巻き込まれる人間にとっちゃたまったもんじゃないです。小豆島に済んでる人達にとってもたまったもんじゃないです。それは何の話ですだよ。

「ゆくぞ兄者!一緒にせーのっ! かー めー はー めー …」ってやるところは一番ツボりました。

ちなみに神々たちがピンチになると、「こんなこともあろうかと、地上に子種をバラ撒いておいて良かった。」って言う設定もギリシャ神話的、『聖闘士聖矢』的で素敵ですね。主人公のペルさんも、紅一点のアンドロメダ王女にいきなりぶちゅーって。血は争えないですね。息子が見てる前でほんとお前…。

ていうか、ゼウスを筆頭に、ギリシャ神話の神々はほんとゲスいんですよね。

ただ、キリスト教でいう神と違って、ギリシャ神話の神様が人間以上に人間らしく描かれているのは意図的なものだそうです。だからこそ、こんなに後世に至るまで長く語り継がれ、エンタメの題材としても利用されやすいという所以でもあるんですよね。そういう意味では日本神話ももっとリスペクトされて然るべきとは思います。

ラノベの主人公みたいに性欲全くがないとかより、性欲のある人間を見ている方が面白いのです。

先日終わった『バクマン!』なんかも、要するに“処女厨が処女とセックスしたいという目的”を適えるための“手段として漫画を選んだ”という話であって、決して“漫画が目的ではない”という点の圧倒的気持ち悪さが、裏返すと“人間賛歌の物語”という意味では逆に素晴らしいという評論を見て、目から鱗でした。

ちなみに3Dで観たけど、3Dメガネ外し忘れて劇場出たぐらいの必要性でした。

『バトルシップ』 に関するQ&A

バトルシップ

2012年のアメリカ映画。ピーター・バーグ監督。

ひょんなことから太陽系外の地球型惑星との交信を試みたところ、そっからなんか来た。んで、ちょうど日米合同の海戦演習をしてたハワイらへんに落っこちた。とりあえず威嚇射撃してみたら撃ち返して来たんでなんだコンチキショー戦争やんのか上等だコラ!みたいな話。去年あたりからよくある対地球侵略テンプレ映画です。

大事なことですが、“撃ったのは地球側が先”です。

その経緯もあってか、素直に地球の軍隊に感情移入が出来ず、「呼ばれて来てみたらメッチャ攻撃的な星だった…。生き残れるのか俺ら…。」と絶望している宇宙人に肩入れしてしまいがち。それでも不愉快に感じないのは、そんな日和った考えなどお構いなしのマッチョイズム全開で描いてくれてるからだと感じました。

要するに、作ってる連中が計算高い馬鹿ではなく、ホンマモンの馬鹿だと感じられるからですね。

そんなマジキチな人達の手によるものだという点は、ストーリー面の“いい感じの壊れっぷり”を観ていても一目瞭然なので、本作を真面目に読み取ろうとすると大変です。脳みそが疑問符だらけで正直パンクしそうです。そういう映画じゃねーからこれ。酒飲みながら夜中に友達と観る系ですね。

ただ、あえてその疑問符の数々に答えを見出してみたいというのも(ネタとして)アリなんじゃねと。

んでも、できるだけネタバレはシャットアウトしてから観たほうが面白い…っていうより燃える作品なので、ちょっとこっから先は観た人だけ読んでいただきたいなーと。あと、今回は感想というより寝言に近い感じなので、「勝手に物語を読み変えるな!」とかゆー狭量な人もお引き取りくださいな。

        • 以下ネタバレ含みますライン----


バトルシップに関するQ&A(寝言)】

Q. なんで無職クズニートのアレックスが海軍入ってわりとすぐ少尉で艦長だよ!?
A. しらねえよ!

いや、流石に最初っからなげっぱは良くないんだけど、マジでこれいきなり最大の謎なんですよね。入隊からの時間経過もわかりづらいってのもあるんですが、提督が「お前は才能があるのに…」ってのもその説明にはなってないし。途中兄貴と話してた“コネ”の話じゃないかとは思うんですけど。

米海軍で将校になるのは少なくとも士官学校を出るか、ROTC(4年間の大学生の学業と同時に士官候補生としての訓練を受け、卒業単位と規定の訓練過程を修了する)過程が必須。士官学校への入学には米国籍と上院議員又は下院議員の推薦状が必要なので、たぶんこれが“コネ”ってことなんでしょうね。

日本の会社に例えると、“縁故採用でいきなり課長になる”みたいなもんです。殺意が沸いてきますね。

      • -

Q. 宇宙人は何しにきたの!?
A. さぁ…。

いや、ほんと何しに来たんでしょう。地球から送信した交信内容は示されてませんが、まぁ友好を示すような内容だと思うんですよ。で、あの宇宙人の専守防衛的(敵対しないものは攻撃しない)を見る限り、戦争しにきたようには到底みえないんですよね。武器だってテキトーな榴弾と空飛ぶギロチンしかないし。

宇宙人自体の装備もナイフ1本で、近接戦闘(宇宙CQC)挑んでくるぐらいだし。

装備の軽薄さ以上に疑問なのが攻撃性判断システム(攻撃性のありそうなものは赤、なさそうなものは緑で判定)と、それを遵守するコンプライアンスの高さ。これは現実の日本の自衛隊専守防衛の思想を皮肉っているのか?とも思えますが、どう考えても自分らの死に直結する系のモノも緑判定しちゃってるんですよね。

今、お前らが緑判定して見逃した通信機、結果的にお前らの頭上に砲弾の雨を降らすんだが…。

      • -

Q. なんで宇宙人はハワイにきたの!?
A. 他のみんなはニューヨークやロサンゼルスに行くのにね。

信号がハワイから上がってたから?でも、ホノルルなんかに何の用事が。てか、そのせいで途中で人工衛星にぶっかっちゃってその破片が“たまたま香港を襲来して、香港が壊滅”という、“偶発的な大打撃”を与えてしまってはいるのですが。いやでも、確かにハワイ行きたいよね。自分も行きたい。

真面目な話、米海軍の艦隊の中で最大の規模と戦力を誇る第7艦隊の司令部があるからでしょうか。

宇宙人の目的が“なんか攻撃性のあるものをぶっ壊したい”というか“宇宙の紛争根絶を目的とした武力介入”とか何スタルビーイングだよお前みたいなものだとしたら、真っ直ぐにここを目指したという理解もできます。しかも、ちょうど大規模な軍事演習中とか言ったら、そら黙っちゃおれませんですよね。

でも、通信機途中で落としちゃった時点で正直詰んじゃったよ…。お馬鹿…。

      • -

Q. なんで“戦艦ミズーリ”は沈まないの!?
A. 最新鋭艦がバカスカ爆散させられた敵の攻撃を、旧型艦であるミズーリが耐えた理由ですよね。

バトルシップ』ってタイトルから、アレックスたちが乗る“JPJ”は“最新鋭戦艦”と勘違いする人も多いでしょうけど、あれは戦艦ではなく“駆逐艦”です。なので、実は本作のタイトルどおりの戦艦はあくまで“ミズーリ”なんですね。そも、太平洋戦争期の戦艦と現在の駆逐艦で耐久性には大きな違いがあります。

戦艦は強大な艦砲射撃の火力と、敵艦からの艦砲射撃に耐えうる堅牢な防御力を兼ね備えていることが特徴の軍艦です。また、ミズーリが沈めた“戦艦大和”が“不沈戦艦”と呼ばれたことからも解るように、当時の戦艦は速度や足回りよりも“堅牢でどんな攻撃にも耐えうること”が重視されていました。

対して現在の駆逐艦はといえば、大口径の艦砲や重装甲といったかつての大型戦闘艦艇に求められた条件が陳腐化し、また兵器の軽量化や電子化に伴い、艦体も小型化・軽装甲化していたったため、あんなカンヅメ型榴弾ごときでいとも易々と爆散してしまうようになってしまいました。

「この戦艦は沈まんよ(うるおぼえ)」という老人の言葉は精神論ではなく、相応の含蓄があるわけですね。

いや、でもさあ。そんな装甲の厚い薄いで戦況を左右されちゃうほどの宇宙人の科学力ってどうなのさとは思うけどね。広範囲のバリアは張れても、母船の防御はからっきしとかさあ。対物狙撃ライフルで窓ガラス割られて「うおっまぶしっ!」とかさあ。そもそも、有視界戦闘なのお前ら…。

      • -

Q. なんでアメリカ映画の対物狙撃ライフルは無敵なの!?
A. 新しいオモチャか、遊ばせてくれよ。クラレンス。

ロボコップ』を筆頭に、『第9地区』や『ハートロッカー』など、アメリカ映画で対物狙撃銃が出てくると、間違いなく対象に対して絶大なダメージを発揮しています。宇宙人だろうかロボットだろうがお構いなしですね。本作では、宇宙人の母艦のブリッジの窓ガラス?を貫通する大戦果をあげています。

対物狙撃銃(アンチ・マテリアル・ライフル)は、かつての対戦車ライフルに相当する大型の銃で、主に狙撃に使われています。大口径弾の貫通力を生かして車両への攻撃にも使われ、土嚢や壁などの障害物に隠れる敵を殺傷することも。2km先の人を撃って、上半身と下半身とが両断して吹き飛ぶ程の威力があります。

割とゲームなんかでは対人にも用いられますが、非人道的な意味でハーグ条約違反だそうですよ。

それにしたって、映画での対物ライフルの活躍が目覚し過ぎるとは思うんですけど、こうした銃器の開発メーカーは、その宣伝目的としてゲームや映画にもよく出資するみたいです。バレットファイアアームズ社のボルトアクションの50口径ライフルとか、かなりの頻度で活躍してますからね。

『ハートロッカー』だと「俺がバレットを撃つ(うるおぼえ)」って固有名詞出してくるぐらい。

      • -

Q. ジミーに開けないものはないの!?
A. ないよ。だからエンドロールが終わるまで席は立たないようにね。

      • -

正直、上記であげた以外にも疑問符は沢山あったと思うんですが、まぁなんていうか考えようによってはいくらでも想像が広がるって意味で素晴らしく愉快な作品だと思うんですよね。是非、寛大かつ生暖かい目で見守って生きたい、そんな馬鹿映画だと思います。今年もたくさんの馬鹿映画にまだまだ出会えますよーに。

『アーティスト』 犬かわいい

アーティスト

2011年のアメリカ映画。ミシェル・アザナヴィシウス監督作品。

いやー、犬がかわいかったです。犬が。

ぶっちゃけた話、犬がかわいかった以外はよくわからない映画でした。難解というよりは、映像から発信される情報量が少ないのと、単純に自分の教養が足りてないせいだとは思います。おそらくはコレ何かの映画のメタファーなんだろーなー的な描写も結局よくわかりませんでした。

正直、感想っていってもまじで「犬かわいい」しか書けないんですよ残念なことに。

パイレーツ・オブ・カリビアン』観たところで「ジョニデサイコー!」しか感想がでてこないJKのこと笑えませんね。あと映画観終わって席たった途端「ちょっとお兄ちゃん!結局これどんな話だったの?」って話しかけてくるおばちゃんと同じラインに立った自覚がありますよ。まことにお恥ずかしい限りです。

まぁ、でも「よくわかんなかった」というのがほんと正直な感想です。

映画観た後ソッコーでネット検索してそれっぽいネタバレサイト見て、なんとなく知ったか風に評論じみたことを言うことは簡単です。1ミリの作為も見逃さずに正確にストーリーを把握して描写することも難しいことじゃありません。でも、それやっちゃうと「自分が映画を楽しんだ記録」ではなくなっちゃうんですよね。

いや、だってほんとまじで犬かわいかったんだって。話はなんか知らんけど。

って気持ちを残す方が、映画の内容を正確に把握することよりも大事だと思うんです自分の場合。某映画のラストがハッピーエンドかバッドエンドかでなんか最近揉めてたけど、そんなん決めるのは評論家に任せておけばいいんじゃんね。自分がどっちだと感じたか、何故そう感じたか、考える方が楽しいでしょう。

わからんかったら、わからんかった。でもいいと思うんですよ。

「わからんかったから駄目な映画だ!」って言うのは違うと思うけどね。ただ、物語を理解できない視聴者は駄目だとか、脚本を正確に読み取ったから良いとかそういうんもんじゃないっしょ。映画の観方に関して勝ち負けなんかつけてどーすんのと。作ってる側からしたらどっちもいいお客さんなんですよ。

いや、映画に関する教養がないことを誤魔化そうとかそんなことはぜんぜんそんなことないですよ。

確かに映画観てる本数とかそんなにないですし。映画館に行く時間もどんどん減っちゃってるし。昔の名作と呼ばれてる映画観てもだいたい寝ちゃうし。デビット・リンチ作品観ると確実に通常の2倍増しで寝ちゃうし。実際教養はないですけど、教養がないとかうるせーばかにすんなーばか!

もういいよー教養とか必要な映画とかきらいだよーもうー(本音)。

『ドラゴン・タトゥーの女』 と 『逆襲のシャア』

ドラゴン・タトゥーの女

2011年のアメリカ映画。(2009年のスウェーデン同名作品のリメイク版)デヴィッド・フィンチャー監督作品。

原作未読なので、正直よくわからんかった部分も多かったんですけど、概ね面白かったです。今回の感想文については、ネタバレするような書き方はしないつもりですが、オチの部分の感想に触れますので、察しの言い方は読めてしまうかと思いますので、予めご注意いただけましたら幸いです。

本作は、題名にもなってるヒロインのリスベット(ルーニー・マーラ)が何よりの見所です。

はっきり言ってこの作品、このリスベットが好みのタイプか否かでだいぶ印象が変わると思うんですよね。「中学生時代のあだ名はドラゴンでした」みたいな感じや、「悲しみと苦しみを題材に詩を作るのが趣味で全体主義が大嫌い」みたいなゴスゴスしさを“かわいい”に転換できるのであれば。

でも、自分ぜんぜん全く1ミリも趣味じゃないんですよリスベット。

“萌えどころ”が理解らないわけではないんですけど。スパーハカーで冷静で几帳面で時に残虐で仕事の上ではパーペキ(葛城ミサト風)なのに、それ以外では割とドジっ子で儚げでファザコンで。親愛というかそういう感情を示す手段として「とりあえずセックスっしょ?」ってあたりとか。

それでいて、朝起きたらごはんとかちゃんと作っちゃってくれてるところとか。

正直、掠りもしないんですよ自分のセンサーには。センサーが壊れてるのかもしれないけど、ぶっちゃけていうと“男にとって都合の良い要素”ばかりで構成されてる女の子なんですよね。仕事の相棒として最高で、若くて、ご飯も作れて、セックスが好きで、しかも後腐れないとか。

しかも後腐れないとか。

この作品のテーマって、そりゃあの“問題のシーン”を観ればアホでもわかるほど単純明快な“男性性への蔑視”だと思ったんですけど、なんだか結果として(例のモザイクの件も含めて)“男性が見てブヒブヒ悦ぶ”映画になっちゃってんじゃないの?と。リスベットって“萌えアニメによくいるヤンデレ娘”じゃないの?と。

富野由悠季監督の言を借りるのであれば「おまんこを舐めたくなるキャラじゃない」んじゃないかと。

個人的には、リスベットのセックスシーンなんか全くいらなくて、仕事は完璧にこなすけど年上の小汚いおっさんにはビタイチ媚びる様子もなく、でもちょっとだけ気にはしていて朝ごはんなんかは作っちゃったりして、おっさんとよりを戻そうとするオバハンがいれば全力で邪魔するぐらいのキャラなら舐めたくなりました。

そういう意味では、あのオチに関してはどうしても不満かなぁ。

ちなみに、原作著者のスティーグ・ラーソンはパートナーの女性エヴァ・ガブリエルソンとともに本作を書き上げたそうですが、ラーソンが急逝。結婚していなかったため、カブリエルソンには作品に関する一切の権利が残らなかったそうです。なんかその変、原作者の思い描くリスベット像につながってるような気が。

まぁでも、北欧では挨拶代わりにセックスするという噂ですから、そういう社会的事情も組み入れるのであれば、日本と同じ枠で考えると誤解してしまう要素も多いのかもしれません。なんせ北欧神話のメッカですから、厨二的なものの見方、ゴス的なものの見方も全然ドメジャーな精神かもしれないですし。

ちなみに、ミステリとしてどうかというと、正直あまり褒められた内容ではないです。

割と前半の話を聞いてみて、「まさかそんなオチじゃないよね?」と思っていたらだいたいそのまさかです。オチがわかりやすいからダメというわけではなく、そこに至るまでにその他の可能性を示唆して、観客の考えを逡巡させるのがミステリの評価点だと思うのですが、構わずソレ一拓に突き進むところとか。

まぁ、処女作ですしね。ミステリ云々というより、あの“金田一的な閉鎖空間”を見事映像として演出したフィンチャー監督が素晴らしいんだと思います。ほんとこの監督さんのブレのなさはは素晴らしいですね。ヒロインに萌えなくても映像だけで十分楽しめるわけですから、ほんとゴス好きじゃない自分を恨みます。

リスベット、せめてメガネかけてたら良かったかも。

      • -

(2012.3.25追記)
富野由悠季監督の「おまんこ〜」の例を出したのは偶々思いついただけだったんですが、よく考えたらその発言の元となった『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に出てくる少女クェス・パラヤと、リスベットって共通点多いんですよね。めんどくさい性格、超能力と呼べるほどの優秀さ、何より“歪んだ父性観”について。

クェスは物語冒頭で父親を棄て、後に無意識に殺害しますが、リスベットも親父焼き殺してます。

いずれも父親の素行に強い不満を持った結果の決別であり、その代償として年上の男性への恋愛という形で、父性を埋め合わせようとしていく様も共通です。しかし、その男には別に女がいて、故に恋愛は成就せず、結局その優秀さを利用されるだけ…という点までそっくりです。

まぁ、でもクェスが生きてたら、ころしてでも男を自分のものにしたでしょうけど。

宇宙世紀三大悪女”の一人として数えられるクェスが嫌われるのは、ニュータイプ能力による感受性の高さからくる圧倒的な“電波発言”と、親父やギュネイをはじめとした“愚鈍な年上男”に対する見下した態度が故ですが。逆にリスベットに関しては“意外と乙女っぽい”とこが魅力で好かれていたりもします。

ちなみに本作の被害者ハリエットに関しても、不幸な生い立ちという面でリスベットの共感を得ます。

別に何がどれをモチーフにしてるとかではなく、単に共通点が興味深かったので書いてみただけでオチはないんですけど、双方がモチーフにしてる物語はどこかにありそうですね。ていうか、リスベットにはこの台詞を使って欲しかったですね。そこで俯いてしまうのも彼女の魅力なんですけど…。

「嫌な女・・・お前がいなければミカエルのところに居られたのに・・・!」

『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』 pixivで「腐 ホームズ」検索

シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム

2011年の英米合作映画。ガイ・リッチー監督作品。

アーサー・コナンドイルの小説の登場キャラクターに基づいた、2009年の映画『シャーロック・ホームズ』の続編というのはいわずもがなですが、Twitter上の評判観てる限り前作に増してモーホモーホしてるって話ばっかりだったので正直色々不安だったのですが、いや実際モーホモーホはしてましたが。

実際どのぐらいそういう需要があるのかは、pixivで「腐 ホームズ」で検索していただければわかります。

そういう呪いをかけられた上で観てしまうと、もうそういう風にしか観えなくなってしまうのですが、実際そんなでもないですよ。(何の説得力もない。)というかアクションが凄いです。無理矢理話題逸らしたみたいですが、ジャンルとして“カンフーアクション”と言っても過言ではないぐらいアクション要素満載です。

前作にもあった、あの事前に相手の動きを想定してから闘うあの“インテリカンフー”も健在です。

健在というか、滅茶苦茶使われまくってますね。個人的にアレのモチーフは大ヒットゲーム『Fallout3』で使われているバトルシステム「V.A.T.S.(Vault-Tec Assisted Targeting System)」じゃないかと思っているのですが。一瞬時間を止めて、敵の行動を読みつつコマンド先行入力する感じなんか当にそんな感じですもん。

ソレも含めて、ゲーム的な絵面が増えましたね。特にFPSを意識した構図というか魅せ方というか。

何より、出てくる銃器類のフィーチャーの仕方が完全にゲーマー狙いですよ。一人俺歓喜ですよ。大小様々なリボルバー銃から、マルティニ・ヘンリー銃のスナイパーカスタム、マキシム1895機関銃まで、時代考証すると少々疑問が残るような銃器類も構わず出てくる、1890年代的モダンウォーフェアが繰り広げられます。

本作に出てくる銃器類は↓のサイトが詳しいですね。
"Sherlock Holmes: A Game Of Shadows: imfdb"

ちなみに自身は原作シリーズを全く読んでないんですけど。本作が最も影響を受けている『最後の事件』のラスト部分に関してだけは、大槻ケンヂ氏が自著の中で何度も何度も何度も何度も触れる「ホームズがやってる日本式格闘技の“バリツ”って何だ!?」で触れられてるので知ってました。つまり、映画のオチだけ知ってました。

映画の中では“バリツ”なんて単語は出てこないんですが、ちょっと掘り下げてみましょう。

バリツ(baritsu) は、シャーロック・ホームズ原作小説に登場する架空の東洋武術。「柔道を指す」という解釈が一般的だが、「武術(bujitsu)」説、「バーティツ(bartitsu)」説などの異論もある。

【武術(bujitsu)説】
1950年、江戸川乱歩吉田健一などを発起人として、ベーカー・ストリート・イレギュラーズの東京バリツ支部が結成。発会式では、牧野伸顕の「バリツの起源」に関する論文が朗読。牧野によれば、ホームズは「僕は日本式レスリングを含むブジツ(武術)の心得がある」と言ったのであって、ワトスンは「bujitsuをbaritsuと間違えたのだ」という。(わりとWikipediaまま抜粋)

【バーティツ(bartitsu)説】
1899年9月に日本に滞在していたエドワード・ウィリアム・バートン=ライトというイギリス人が、日本人の谷幸雄を伴って1900年9月頃帰国し、「日本の柔術に、ステッキによる相手の指折り術と、パンチ・キックの技を合わせた護身術」を"bartitsu"(バーティツ、バートン流柔術の略)と名付けてロンドンで教えており、雑誌ピアスンズ・マガジンに記事を掲載していた。同誌にはドイルも小説を掲載していたため、その記事を読んでいた可能性は高く、「"baritsu"とは"bartitsu"の誤記である」とする説がある。(わりとWikipediaまま抜粋)

いずれにしても、本劇中では“例のインテリカンフー”として表現されているため、「あれがバリツの正体だったのか!」とオーケン氏あたりは大喜びしてるんじゃないかと思います。『Fallout3』の「V.A.T.S.(バッツ)」と音が似てるのは気のせいでしょうか。なんか関連あんじゃない?というのは邪推しすぎでしょうか。

要するに、“ホモ”って単語使わなくても十分感想が書けたなぁというオチです。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 ネタバレなし(優しい)

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

2011年のアメリカ映画。スティーブン・ダルドリー監督作品。

ジョナサン・サフラン・フォアによる同名小説が原作。2001年のアメリカ同時多発テロ事件を背景としており、この事件で父親を失った9歳の少年オスカー・シェルが、父の遺品から見つけた鍵の秘密を探るためにニューヨーク中を探るという物語。自分は原作は未読で、ほぼ前情報ゼロで本作を鑑賞しました。

号泣しました。

泣き所を話すとネタバレになってしまうので詳しくは話せないのですが、“なんか人が死ぬ”とか“動物が死ぬ”とか“なんか知らんけどいろいろ酷い目に遭う”とかよくある泣かせ映画とは一線を画する不意打ちでした。別に泣けるから良い映画だとはそういうつもりはないけど、色々憑き物が落ちてスッキリしました。

ただ、日本での評判は良いのに、本国アメリカでの評判は芳しくないということ。

アカデミー賞にもノミネートされていますが、作品賞を含む2部門のみ。そのノミネート自体も疑問視されているという本作。勿論、アカデミー賞だから良い映画だなんて観方をするつもりはないですけど、個人的な主観では扱っているテーマや脚本や俳演を見ても、不評と感じる要素など何もないように感じました。

日本でツッコミの多い“主人公のガキがウザい”という点に関しても不評理由とは思えないです。

オスカーの性格と行動の理由に関しては、劇中ものすごく丁寧にありえないほど理解りやすく説明してくれていますからね。そこを読み違えて批評する人はさすがに少ないと思いますし、オスカーの事情をわかった上で彼を嫌うのであれば、正直いって“鬼畜”すぎます。世の中そんな人ばかりとは思いたくないです。

あと、“タイトルの意味がよくわからない”という点について。

確かに映画の内容からだとさっぱりわからないのです。でも、“オスカーが探し求めて、最終的に得たもの”で、映画の内容だけに捉われず、普遍的な意味での“ものすごくうるさくて、ありえないほど近いもの”ってソレ以外考えられないんですよね。ソレについて話すとやっぱりネタバレなので話せないのですが。

ちなみに、最後に見つけたモノの話と、自分の泣き所の話は全く別です。

9.11の事故で家族を失った者が、何を考え何に苦しんでいるのかを描いた作品でもありますが、その部分は物語の構成要素の一部でしかなく、語りたいテーマは全く別。さらに謎解きの要素や、対人コミュニケーション問題、登場人物がそれぞれ抱えるの秘密など、様々な要素が絡まりあって1つの物語になっていきます。

単純な“泣き映画”としてだけじゃなく、エンタメ映画として、滅茶苦茶面白いんです。

何を言ってるのかさっぱりわからないと思いますが、正直この映画をネタバレなしに語るに十分な文章スキルを持ち合わせていない自分がもどかしいです。是非、著名な映画評論家の方々には本作を観ていただいて、それぞれのお話をお聞きしたいです。結構、個々人のスタンスによって観方が別れると思います。

話を戻して、「何でアメリカで不評なのか?」という点について。

CinemaNavi21さんの解説“「ものすごくうるさくて…」本作のどこが監督賞・脚色賞ノミネートに値しなかったのか〜新作映画解説?”が一番しっくりきました。要は、“「9.11同時多発テロ」というアメリカにとって21世紀最大のトラウマをイギリス人監督が取り上げたから”という、米国人のプライドに根付いているという理由ですね。

うん、まぁそうだよね。特にアカデミー的な人にとっては。

でも、日本で3.11を映画の題材にした邦画監督が「不謹慎だ!」って非難されたにも関わらず、リドリー・スコットが監督するって言ったら特に何も言われないのは不思議な話ではありますけどね。いずれにしても、被災した人々が何を思い何に苦しんでいるのか、ソレを描くことは何より大事なことだとは思います。

本作は色々解釈が別れる作品だと思います。でも、観ると他人に優しくなれます。それだけは確かです。

『上杉隆 VS 町山智浩』 嫌悪感の正体

ニコ生×BLOGOS番外編「​3.14頂上決戦 上杉隆 V​S 町山智浩 徹底討論」

タイムシフト視聴。1時間13分頃。上杉さんのブログに書いた書いてないの追求。
「上杉ブログからみんなで探して!」と視聴者に訴えかける町山さん。
血液がふっと沸騰する感じ。これだ。これが嫌悪感の正体だ。

      • -

自分は元々は映画評論家である町山さんのファンです。ご本は何冊も拝読しております。

この論争が始まったのは3ヶ月前。町山さんの上杉さんに対するツィートを見るたび、この血液がふっと沸騰する感じ、嫌悪感に襲われるようになりました。町山さんのフォローを外しても、別の誰かからリツィートでソレが回ってきます。町山さんが嫌いになりました。この時期、明らかに宇宙で一番嫌いなのは町山さんでした。

同時に「この嫌悪感の正体は何なのか?」ということを知りたくなりました。

ふつうは嫌いなものは見ないように聞かないようにスルーするものですが、ここまで嫌いになると逆に興味が沸くと言うか、怨念と言った方がいいのか。一部始終を見届けたくもなりました。そして、昨日ニコ生で行われた「​3.14頂上決戦 上杉隆 V​S 町山智浩 徹底討論」をタイムシフト視聴して、ある結論に至ったのです。

※『上杉 VS 町山』の簡単なまとめはこちら

この嫌悪感の正体は“集団リンチの構造”に対するものです。

具体的には、“町山さんが他人を攻撃する際にとりまきの人間を利用する”こと。発言の過程を「誰かまとめて!」と周囲に呼びかける行為。“日垣隆さんを炎上させた”の時から顕著に見られるようになった彼の喧嘩術。今回ニコ生の中でも、上杉さんのブログ発言を探す際に、視聴者を利用しました。

ブログのURLは、番組上はひろゆき氏が提供されていたように見えていましたが、2chなどを通じて町山さんのフォロワーの方々が発見してくださっていたようです。この点、はじめ「町山応援団は発見できなかった」と認識し、事実と相違のある内容を書いていた点、訂正と併せてお詫び申し上げます。(2012.3.20訂正)

町山応援団の方の情報収集能力の高さより、忙しい町山さんが周囲の協力を得たいというお気持ちは大変理解できるものです。ただ、その目的が“他人を攻撃すること”である時点で、周囲協力を仰ぐ町山さんの態度を邪なものであると感じてしまったというのは、自分にとって正直な感想です。(2012.3.20訂正)

「お前らも一緒にやろうぜ。」集団リンチや集団レイプを連想させるその態度。血液が沸騰する。

そして、その残酷なオーダーにも無邪気に応じる町山応援団の人たち。今回の論争も端から見守る気などなく「町山さんが上杉を血祭りにあげるのをみたい!」だけの人たち。「キンタマ蹴り潰すぞ!」とさらに暴力表現で周囲を煽る町山。「上杉逃げるなよ!」と退路を断とうとする町山とその応援団。

自ら手を下さずとも、特定個人が流す血を共有することに、心から快楽を感じる人たち。

20100522023711_thumb.jpg

[リンチ (lynch)]
私刑のこと。法律に基づかないで、特定集団(およびそれ自身が定める独自の規則)により決され、執行される私的な制裁。

それが良いとか悪いとか、勝ちだ負けだの話ではないです。とにかく、自身が“集団リンチの構造”と“ソレを執り行う人々”に対して尋常でない嫌悪を感じるということに気づきました。思えば、リアルな集団リンチやネチっこい集団レイプシーンがある映画はよくわかんないけど嫌いだってことも思い出しました。

家族を集団でリンチされた主人公が、一人で相手を全滅させたとしても、全然怒りが収まらないことも。

自分自身がリアルでリンチされた経験があるわけではないですが、中学の時に目の前でDQN5人が生意気な後輩をボコろうとしてた時、感情的に間に入ってしまったことはありました。DQN5人相手にするとか正気の沙汰じゃないのに。運よくその時は相手が引き下がってくれましたが、ロジック抜きで厭なんですそういうの。

「上杉さんが嘘つきだから」とかいうのも関係ないです。てゆか、嘘つきだからボコってもいいの?

今回のニコ生を例えるなら“嘘つきで有名な上杉君を学級裁判にかけて、クラスの人気者の町山君がこれまでついた嘘を吊るし上げる。”ことだと思うんだけど。そのシチュエーションを想像しただけで発狂しそう。クラス全員敵に回してでも嘘つきの味方したくなる。別にその嘘つきのためじゃなく、自分の精神の安定のために。

結果的に吊るし上げに失敗した町山さんは事実誤認をお詫び。嫌悪感はだいぶ薄れました。

しかし、上杉さんがキンタマ蹴り潰されて痛みにもがき苦しむのを見られなかった町山応援団は、その鬱憤を晴らすべく「町山さん完全勝利!」と叫びながら、上杉さんやその周囲に当り散らしている現状には、より激しい憤りを感じます。何より、「勝ち負けは目的ではない」と言った町山さんを貶める行為であると感じています。

町山さんにも彼らを焚きつけた責任はあります。この方々の沈静化を訴えるよう望みます。

結果論としては、自分の弱点とも呼ぶべき性質を発見できたという意味で、町山さんには感謝しないといけないとは感じています。ただ、その性質を改善できるか、改善すべきかという部分については全く別の話なので、また同様の“集団リンチ”を見かけた場合には、感情的に全力でクサしてしまうと思いますので悪しからず。

      • -

最後に、基本的には自分は映画評論家としての町山さんのファンです。映画に関する知識量には感服する想いです。ただ、自論と異なる映画評を見つけては横からクサし“異論を封殺する”やり方は嫌いです。少なくとも自分は“他人を攻撃するための武器として映画を利用する”のは、映画界を代表する方にして欲しくはないです。

なぜなら、町山さんに影響されてか、“映画を武器として扱う”人々が増えているからです。

今回の論争後も暴れている町山応援団の方を見ればわかりますが、とにかく“他人の意見を攻撃することで自分を上に見せたい”という人たちです。別にそういう方法論もダメとは言わないのですが、喧嘩目的で映画を扱う方が増えると、純粋な目的で映画を楽しむ人が減り、映画業界自体の衰退にも繋がりかねません。

(まぁ、ゲーム業界が似たような状況だからね…)

ちなみに自身は元から町山さんのファンでこの件を知ったわけですから、上杉さんの肩を持つつもりはありません。(↑に嘘つき上杉君と書いてる通りの認識です)。ただ、相手がどんなであれ、集団リンチへの嫌悪は変わりません。相手が先にやったということであれば、それも許せないことであると思います。(2012.3.20追記)

ただ、どっちが先とか多いとか少ないとか勝ち負けとか良い悪いの話をしてるのではないのです。
自分が嫌いなものの話をしているだけなんですね。(2012.3.20追記)

兎に角、今回の件はこれで一旦おしまい。


※一部追記文章を撤回いたしました。理由についてはコメント欄にて。(2012.4.30)